鑑賞会にて

暫らくブログを書かなかったのには事情がありました。それはこの未曽有の国家的な危機に臨み、この国のあまりにも脆弱かつお粗末な危機管理体制に驚愕し、かつ憤りを感じ、ブログをかく度についついそれに対する批判、愚痴が文章を占めてしまうからでした。できれば心地よい言葉でブログを埋め尽くしたかった。しかしながら社会状況とそれに対する政府、マスコミ,それに御用学者たちの対応がそれを許してくれなかったのです。この国では政治もマスコミも学問も全く機能していないようですね。(また愚痴ってしまった汗)
そんな週末、連日高校や中学の鑑賞会にお招きを受け、若い人々の前で演じ、彼らの若いすがすがしいエネルギーをいただきました。金曜日は鈴本演芸場にて千葉県の公立高校による寄席の鑑賞会。ただし、カンジヤマは寄席の一部としてマイムのほんの醍醐味の一部をご披露しただけです。しかしながら若者の反応は凄かった。ホンの20分の持ち時間は驚きと爆笑の連続でした。是非この高校には次回カンジヤマのフルの舞台を鑑賞していただけたらと心から願っております。マイムは笑いだけではありません。驚きだけでもありません。より懐の深い芸術なのです。
そして、本日は目黒にある八雲学園中学校のみなさんにお招きを受け一時間半のフル舞台。実はこの中学校はすでに4年前に公演をしたばかりの学校でしたが、再び生徒さん達が入れ替わったという事でお招きいただきました。(http://kanjiyama.exblog.jp/6765494/)
嬉しい限りです。一時間半のフルの長い公演時間ですので、地震などの不安はありましたが、さすがに管理の行きとどいた立派な学校で、耐震構造にはかなり力をいれていらっしゃるという体育館の設備の立派さは公立の比ではなかった!!その体育館に響いたどよめきのような歓声は、逆に今までの社会状況でストレスがたまった私達を癒してくれました。この若者の明るさがあれば日本は大丈夫だと確信しました。これからの若い人たちには明るい社会を少しずつ構築していってほしい。そんな願いを胸に熱く秘めながら舞台をやらせて頂いた一日でした。舞台って本当に素敵ですね。演者が観客のみなさんを笑わせて、そして同時に自分たちがその笑い声で癒されているのです。八雲中学の皆さん本当にありがとう!!合掌

2011-04-23 07:59 | ひとりごと | コメント

恩返しという愛の行為

2009年の正月にブログに書いた事だが、釈尊のダンマッパダにある言葉が大好きだ。「怨みは怨みをもってはやまず、愛をもって止む」 すごい重みをもって迫ってくる。戦後サンフランシスコ条約が締結されたとき、当時のセイロンはこのダンマッパダ(法句経)の句を引用して日本への戦後の賠償請求権を自ら放棄したという。この愛の行為には本当に頭が下がる。思い起こせば自分が若かりしころ、インドの仏蹟をブッダの道をたどりながら放浪した時に、いつも様々な形で助けてくれたのがスリランカのマハーボディーソサイエティーの僧侶たちだった。
そして今回こんなニュースを読んだ時、またもや目頭が熱くなった。スリランカのカランナゴダ氏(58)は福島原発事故後にも関わらず予定を変えずこの度新たに駐日大使として着任したそうだ。元海軍司令官で、2004年のスマトラ沖地震で自国が大被害を受けた際に、国内西部地域を担当する軍幹部として救援活動にかかわった人物だという。 カランナゴダ大使のその時のコメント:「こんな時こそ日本との結束を示すために、私は送られてきた」。彼は日本在住のスリランカ人に対し「日本にとどまり日本人を助けるように」と伝えていたそうだ。その中で仙台の避難所に食料などを届けるなどの動きも出てきたという。
福島第一原子力発電所の事故を受け、多くの西洋諸国の間で東京から退避した大使館もある非常事態の中で、日本から受けた過去の恩恵を必死に返してくれようとする人々がいる。昨日もベトナム戦争で米軍がまいた枯れ葉剤の影響で「結合双生児」として生まれ、日本で分離手術を受けたグエン・ドクさんが、被災者への義援金を携えて来日したという。ドクさんは「第二の故郷の日本の人たちに恩返ししたい」と知人らに呼びかけ、ベトナムで義援金を募ったという。
過去に受けた恩を忘れず、必要な時に必ずそれを返してゆく、そしてまた、それが恩となりお互いがお互いを支え合う。日本はこういった行為にも将来さらに報いなくてはならないと思う。つまり今後私利私欲の利益のみを追求する自由主義経済から、こういった恩返しをする、人々を幸せにするための経済発達を目指さなくてはならないのではないか。結局のところ人を幸せにすることが一番自分を幸せにする行為なのだから。これもブッダの知恵なのだ。

2011-04-15 06:20 | つれづれなるままに | コメント(1)

チャップリンの殺人狂時代

最近頻繁に思い出される名言がある。チャップリンの映画[殺人狂時代」の中の台詞だ。「一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ。殺人は数によって神聖化させられる。」 これは明らかに当時台頭したナチスのヒットラーに対して発せられたチャップリンの痛烈な批判の言葉だ。被害者数のあまりの多さと、事の重大さは、犯罪という言葉自体すらをも凌駕してしまうようだ。ましてや、そのモンスターが対抗すべき力を金の力で掌握してしまっているときはなおさらだ。
そして、もしもそのモンスターに向かって投石すると、その行為者は直ちに逮捕され監禁される。一人の漁師の首を絞めて殺したら殺人者としてすぐさま拘束されるし、一人の農家に致命傷を負わしたら、たちまち前科者だ。小さな子どもの首に切りつけたら世間から非難をあびるが、それが何百人、何千人という漁師や農家を殺し、子ども達の咽喉に十数年後に手術の縫い傷をつけるとなると、その行為は犯罪としては立証されない。一つの県の存在を滅ぼした時、そのモンスターについてはその罪は賠償金という言葉でしか語られない。素晴らしいトリックだ!!まさに芸術的トリックじゃないか。ブラボー!!
追記:このブログ書いた後に、なにげに忌野清志郎のlove me tender を聞いていたら涙があふれてきた。
歌詞の一つ一つが悲しく響いていた。たしかこの歌を歌った後、清志郎自身もかなりの圧力掛けられて番組下ろされたりしていたっけな~ 清志郎ブラボー

2011-04-13 05:46 | ひとりごと | コメント(1)