恩返しという愛の行為

2009年の正月にブログに書いた事だが、釈尊のダンマッパダにある言葉が大好きだ。「怨みは怨みをもってはやまず、愛をもって止む」 すごい重みをもって迫ってくる。戦後サンフランシスコ条約が締結されたとき、当時のセイロンはこのダンマッパダ(法句経)の句を引用して日本への戦後の賠償請求権を自ら放棄したという。この愛の行為には本当に頭が下がる。思い起こせば自分が若かりしころ、インドの仏蹟をブッダの道をたどりながら放浪した時に、いつも様々な形で助けてくれたのがスリランカのマハーボディーソサイエティーの僧侶たちだった。
そして今回こんなニュースを読んだ時、またもや目頭が熱くなった。スリランカのカランナゴダ氏(58)は福島原発事故後にも関わらず予定を変えずこの度新たに駐日大使として着任したそうだ。元海軍司令官で、2004年のスマトラ沖地震で自国が大被害を受けた際に、国内西部地域を担当する軍幹部として救援活動にかかわった人物だという。 カランナゴダ大使のその時のコメント:「こんな時こそ日本との結束を示すために、私は送られてきた」。彼は日本在住のスリランカ人に対し「日本にとどまり日本人を助けるように」と伝えていたそうだ。その中で仙台の避難所に食料などを届けるなどの動きも出てきたという。
福島第一原子力発電所の事故を受け、多くの西洋諸国の間で東京から退避した大使館もある非常事態の中で、日本から受けた過去の恩恵を必死に返してくれようとする人々がいる。昨日もベトナム戦争で米軍がまいた枯れ葉剤の影響で「結合双生児」として生まれ、日本で分離手術を受けたグエン・ドクさんが、被災者への義援金を携えて来日したという。ドクさんは「第二の故郷の日本の人たちに恩返ししたい」と知人らに呼びかけ、ベトナムで義援金を募ったという。
過去に受けた恩を忘れず、必要な時に必ずそれを返してゆく、そしてまた、それが恩となりお互いがお互いを支え合う。日本はこういった行為にも将来さらに報いなくてはならないと思う。つまり今後私利私欲の利益のみを追求する自由主義経済から、こういった恩返しをする、人々を幸せにするための経済発達を目指さなくてはならないのではないか。結局のところ人を幸せにすることが一番自分を幸せにする行為なのだから。これもブッダの知恵なのだ。

2011-04-15 06:20 | つれづれなるままに | コメント(1)

恩返しという愛の行為 への1件のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。