東奔西走

さてさていよいよ上野鈴本演芸場は今日が千秋楽。弟子との共演は一回一回が彼と自分の良き学びの糧となる。そして演芸場終了後、明日は乗り日で鳥取へ電車で移動。そして明後日公演後、宮城県大崎市へ、そして八戸へというまさに東奔西走の日々が続く。井上揚水の歌が聴こえて来そうだ。♫頑張れ、みんな頑張れ・・・パントマイムは東へ西へ~♪(苦笑) 昨日は三連ちゃん舞台の疲れが取れず、あまりの倦怠感に演芸場終演後近くで見つけた指圧施療所に飛び込んだ。こういう飛び込みは普段あまりしないのだが・・・・なぜならば当たりはずれがある。自分で指圧師の資格を持っているという事はある意味悲劇的で最初の一触れでその人の上手い、下手がわかってしまうのだ。が、しかしさすがに始まってから「やめて」とは言えない(苦笑)・・・だが、昨日は大当たり!!中国人の若い女性だったのだが、これが実にうまい!!ひと押しひと押しがツボにぴったりとくるし、圧の加減も実に見事だった。丁寧な施療を受けながら「こんなに一生懸命にやったら、絶対に自分の身体が凝ってしまうだろうな~」などと襲い来る睡魔の中でぼーっと考えているうちにどうやら爆睡してしまったらしい(苦笑) そして何と初回の施療代が60分3000円!!「えええ?申し訳ないよ~~」と思いつつ感謝感謝でお支払いする。こんなラッキーな事ってあるのだ。施療後は生き返ったように気分爽快で帰路につけた。  今日で八月も終わり。今日はこれから少々時間はきついが本番前午前中にジムへいってから演芸場へ。最後だから多少疲労はでても汗かく事で爽快感が得られればと・・・・願いつつ。

2010-08-31 06:13 | つれづれなるままに | コメント

うれしかった事三連発!

秋田の湯沢高校芸術鑑賞会も大盛況に終わり、深夜湯沢より帰京。初めてパントマイムを生の舞台で見たという生徒さんが多い中、物凄い反応で実にやりがいがあった。そして帰京後、またまた演芸場の舞台の毎日が再開された。 そんな中、昨日(27日)はとてもうれしい事が3つ重なった。まずは先日このブログやカンジヤマのウェブでも紹介した大学の教え子の一人がヴェトナムのボランティア活動から無事帰国した事。詳しい成果はこれから報告してくれるそうだが、ヴエトナムの学生達と協力し、立派にハンセン氏病患者さん達の為にシャワー施設を完成させてきたという報告を受ける。この活動にはこのブログの読者の皆さま初め、多くのカンジヤマのファンの方々にも暖かいご声援、御協力をいただきました。この場をもう一度お借りして感謝いたします。後ほど詳しい報告をこのブログにも載せさせていただきたいとおもっております。小さいけど確実に平和への、そして人間愛の種を植えて来られたと信じています。こういった民間の、それも若いエネルギーが願わくば、浅ましくて醜い大人たちの偽善行為を払しょくしてくれる事を念じつつ・・・・とにかく彼女に「おめでとう。そして御苦労さま」 二つ目は、やはりもう一人の早稲田の教え子が東大大学院の一次試験に合格したという知らせがきた。自分の授業を立て続けに全て取り続けたという風変りな?(失礼!)子だが・・・それだけに推薦状を頼まれたときには力が入った。もちろんまだまだ二次試験もあるのだが、とりあえず嬉しかった。 三つめはウィスコンシン大学院の後輩に当たる友人が(学位は他大学院であるが)立派に最終口頭試問を突破し、博士号取得というニュースをもらった。本当に嬉しかった!!何百という人間が途中で学位を諦める中、彼女は様々な困難にもめげずに最後まで意志をつらぬいた。在米8年。本当によくやったと思う。我がことのように飛び跳ねて喜んだ。「心からおめでとう!!」 みんなそれぞれの分野で一生懸命に生きている!!そんな気分に浸れた一日だった。自分にとても励みになる嬉しい事の連続。みんなのエネルギーに感謝、感謝。そして大した事はしていない身なのだが、そんな毎日をつれづれなるままに書かせて頂いた週刊新潮の「私の週間食卓日記」が発売されカンジヤマにかかわる皆様にこんな日々をおくっておりますとのご報告兼ねてお知らせさせて頂いた。栄養アドバイザーの方が81点を下さり、身体の使い過ぎと睡眠不足を心配なさってくださった。確かに徐々に年齢に応じたリズム修正は何処かで必要なのかもしれない。ただ、身体にムチ打ちながら舞台が毎日出来る幸せをかみしめている。そして周りの友人たちが様々な生きざまでエネルギーをくれる。感謝、感謝だ。

2010-08-28 12:17 | ひとりごと | コメント(2)

ん~~??おぼろ月夜?

鈴本演芸場4日目も物凄い入りでした。団体のお客様が大勢入られて立ち見の方がたくさん!!嬉しい事です。昨日はパートナーのCは朝から車で本日の公演地秋田県湯沢まで運転してくれたので私が一人で演芸場をこなしました。寄席が初めてのお客様が多いようでしたのでひと動きひと動きに物凄い反応。 汗を拭く暇もなく終演後上野駅でこまちに飛び乗り、一路秋田へ。雫石をすぎたころ窓の外は小雨が降り始め、湿ってかすんだ東北の山々の風景がそれはそれは美しかった!!なんとなく山頭火を口づさみたくなるような気分。しばらくするとその夜空にぼやけたまん丸い月が・・・・一瞬「おぼろ月夜」っと口から出そうになり、ふと考える。確か「おぼろ月夜」って春の季語だったような・・・・では、これをなんと表現するのか・・・とここまで考えた時にソシュールの主張する言語の恣意性というものをついつい考えてしまった。おぼろ月夜という言葉をしらなければ、この素敵な風景をそのまま自分の中に受け止められたのかもしれない。しかし、人は一度このような体験を形容する(区切る)記号(言語)を知ってしまうとついついそれに符号するものを探し出し、レーベリング(ラベル付け)をしたくなってしまうのだ。しかし、またこれはその文化の中のその特定の言語を操る人々の中ででしか通用しない事が多い。おぼろ月夜といってもそれは英語を使用する人々にはピントこないのだ。(つまり「もったいない」が英語にないのと同じ) 言語学者ソシュールは、言葉が存在して初めて、概念や事物が誕生するという。つまり私たちは使用する言語によって世界や自分自身の体験の区切り方が違ってくるのだ。ん~~~、言語を使わずに物事を考えるのは不可能なのか??  しかし、あえてより直接体験をしてみようと試みる。ぼ~~~っとかすんだまん丸い月を見つめてただその月と一つになって楽しもうとしてみた。言語がなければこんなに素敵な体験もありなんだ。言語の美しさにも心打たれるが、直接体験という事も現代人は必要なのではないだろうか。ただ見るものと一つになってそのものになりきる。そこには美しいも醜いもない、ただ、それがある。たしかに生易しい事ではないが、何気に心が癒される。この際おぼろ月夜はどうでもいい(苦笑) さてさて今日25日はここ湯沢で高校の芸術鑑賞会。また若いエネルギーと対峙して沢山芸を楽しんでもらい、私たちも沢山エネルギーもらってこよう。

2010-08-25 06:07 | つれづれなるままに | コメント(2)