中村又五郎先生

デビッド古本の来日の目的の一つに中村又五郎さん(人間国宝)へのご挨拶があった。デビッド古本は1982年当時Akihito Scholarship・・・つまり今の天皇陛下が皇太子であられたときのお名前を冠した奨学金にて国立劇場の養成科にて一年間歌舞伎を学んだのだったが、その前から歌舞伎役者の中村又五郎氏が頻繁にハワイを訪れ、当時のハワイ大学の学生たちに親身に歌舞伎の御指導をされていらっしゃったらしいのだ。日本に滞在している時も、そしてその後に来日するたびに又五郎センセーはデビッドを本当に可愛がって下さり、しょっちゅう食事に招待してくれていたのを自分も覚えている。その又五郎さんが今年の二月に他界され、彼らハワイでの弟子たちが嘆き悲しんでいた。それを代表するかのようにデビッド古本は又五郎氏に是非ともお礼とご挨拶を!と来日したのだ。(この他にも来学期ウィスコンシン大学演劇学部が歌舞伎鳴神を公演する準備もあるのだが)。それに同伴するがごとく自分も中村又五郎先生のご自宅をお訪ねさせて頂いた。とても気さくで素敵な先生の娘さんが応対してくださり、たくさんお話をさせて頂いた。帰り際に頂いた又五郎先生の手拭いは自分の生涯の宝物になるとデビッドは非常にうれしそうだった。日本人以上に義理堅く、そして師に対する礼節は徹底している。日本の若者に教えてもらいたいくらいだ。 その夜は鰻を食べようということで南千住は尾花へと向かった。妻と息子とが合流し、相変わらず凄いボリュームの鰻をさかなにウィスコンシン時代の話に花が咲いた。今日5月29日は実は自分にとってある特別な意味のある日でもあるのだが、これはまた後ほど書くことにしよう。明日は(というか日付では今日は)松江で仕事だ。 (写真は尾花の鰻重!!相変わらず凄い)

2009-05-30 01:37 | つれづれなるままに | コメント

古き良き時代へ古き良き友と

話は多少前後するが、28日は大学が終ってから浅草でウィスコンシン大学教授の友人デビッド古本と待ち合わせし、雨の中を吾妻橋より初めての屋形船にのった。日本人より、より日本人を愛し、より日本人っぽいハワイ出身の日系人デビッド古本。彼とは1982年自分が一時、数か月ハワイ大学の大学院で学んだ時以来30年近い友人である。ハワイ大に行ったのもかなり複雑な事情があった。当時1982年教育演劇では最高峰のプログラムを誇っていたワシントン大学の修士課程に合格し、渡米の支度をしている自分に思いがけない手紙が来た。当時のレーガン大統領の予算凍結のあおりをくらい、ワシントン大学の教育演劇コース自体が閉鎖されるという信じられない事態であった。その時期に及んで自分にとり選択肢は二つ、つまり浪人するか、あるいはまだ出願の時間が許されているハワイ大学へ行くかであった。自分はハワイ大をとりプログラムの内容もあまり把握しない状態でハワイ大学大学院の演劇学部へ一時的に入学した。そこで新学期が始まる前に友人に誘われるままに出席したのがこのデビッド古本の渡日パーティーであったのだ。そのパーティーでデビッドに紹介され、確か一度だけ握手を交わした・・・・たったそれだけの出会いであった。・・・ところがその半月後、自分の祖父が危篤に陥り、その上ハワイ大学のプログラムが人形劇中心に組まれている現状に満足がいかずに自分は結局一か月もしないうちにハワイを後に帰国する事になる。その時にデビッドの友人が、彼が日本へいった後にいろいろと苦労しているようなので助けてほしいと頼まれたという経過がある。帰国した自分はそこからデビッド古本といろいろと交際を始めることになる。翌年自分は母校ニューヨーク州立大学大学院へ奨学金をもらい渡米する事になるが、それまでの一年間、彼は国立劇場の養成科にて研修を積み、自分は日本にてマイムの修行をすることになる。ところが縁というものは面白いもので、その後18年後に自分は再び博士課程への挑戦を心にきめ、全米の教育演劇博士課程を持つ大学院を訪ね歩いて担当教授に面接をしてまわっている途中でウィスコンシン州マディソンに出向いた。そしてそこの担当教授と話しているうちにデビッドがウィスコンシンに前年に就任していることを聞き、その日のうちに15年ぶりの再会を果たしたのだ!!しかもその日が8月15日!!お盆なのである。(もっともこれを指摘したのも彼であったのだ)人の縁というものは不思議なものだ。そして今再び日本にて彼と再会し、こうして古き良き日本を分かち合っている。屋形船は雨でかすんだ隅田川をより情緒豊かなものに演出しながらお台場へと抜けレインボウブリッジをくぐる。古き良き東京と現代の東京を対象的に照らしながら航行していた。下船後は浅草名物神谷バーの電気ブランに半ば無理やりデビッドを誘い、二人で再開の喜びを語りあった。はじめての電気ブランでかなり酔いがまわってしまったのだ(苦笑) 有朋自遠方来 不亦楽・・・友遠方より来たる、また楽しからずや・・・・ (写真は屋形船からみた雨のレインボーブリッジと神谷バーの電気ブラン・・・明治の当初、珍しいものにはすべて電気~~と名付けていたそうなのだ)

2009-05-29 11:08 | つれづれなるままに | コメント(5)

アメリカよ、アメリカよ!!

今朝の新聞記事にアメリカの格付け会社ムーディーズが米国債の格付けをトリプルAに据え置くというニュースが載っていた(日経ウェブ)・・・オイオイオイオ~イ、バブル崩壊後の日本の会社や国債をことごとく無情に格下げしていた割には自分の国をこんなに「希望的推測」でいい加減な格付けするのかよ?!!(怒)という感想は恐らくほとんどの日本人がもつものではだろうか?まさにこの機に及んで、というあからさまな自国防衛だ。勝手すぎないかい?オリンピックの競技をはじめ、まさに歴史は西洋人の勝手なルールブックのもとに展開されてきた。もうそろそろいいんじゃないかな、アジアの独自の価値観をどんどん主張し、推し進めて・・・?勝手すぎる西洋の自己中心的な論理にいつも媚を売るようにすり寄って必死になって歯を食いしばってきた日本。こんな勝手なことばかりされてそれでもまだ「欧米か!?」 アメリカにさんざん世話になった自分がこんなこと言うのも変だが、だがしかし、おかしいことはやはりおかしいのだ。そんなアメリカの言うままになって必死に日本を米国の都合の良いように作り変えている日本の政治家があまりにも無能で悲しい。 ・・・と、話はくるりと変わり、北海道以後、大学が毎日つづいており、休む暇がなく今週末には再び島根県松江に英語のショーをしに行く予定だ。体力の回復がかなり遅くなったことに気づいてはいるが、まあ、こんなプロセスもまた楽しむことにしよう。今日は早稲田の後にウィスコンシン大の教授をしている友人をつれてちょっと都内観光。たった一日空いた明日の金曜日はなんと某人間国宝だった役者さんのお宅をとある事情でお尋ねすることになった。私自身は通訳兼付き合いなのだが、なんとなく緊張する。

2009-05-28 06:47 | つれづれなるままに | コメント(1)