カンジヤマとは About Kanjiyama

カンジヤマとはAbout Kanjiyama

カンジヤマ・マイムとは?

アメリカ仕込みの本格派マイム。子ども、若者、お年寄り、そして演芸場からアカデミック、あるいはポリティカルな会合まで、あらゆる客層を惹きつける「おしゃべりなマイム芸人達」。
1985年アメリカはメーン州で結成された。「感じる」心が「山もり」になったマイムという意味で命名された。現在、大爆笑と感動の涙の舞台を全国で展開中。テレビ出演に、「笑いがいちばん」「演芸特選」(以上NHK)、「笑点」「遠くへ行きたい」(以上読売日本テレビ)などがある。徹底的に訓練された身体的至芸を道具に、洗練された発想と学問的な裏付けで、「人生に憧れをもつ」ことの大切さを伝えるべく、日夜努力を続けている。
現在のテーマは笑いと教育の融合。英語教育などに身体芸を応用したユニークなアプローチを開発している。2012年4月よりNHKテレビ「おかあさんといっしょ」の身体表現コーナー「パント!」のマイム振り付け、指導を7年間担当。同時に現在まで文化庁の公演派遣事業の委託劇団として12年間連続採択され、現在も全国を巡演し続けている。

カンジヤマA
(別名: マイム博士)

Ph.D(教育演劇学博士)。早稲田大学国際教養学部(SILS)講師。ニューヨーク州立大学演劇学部修士課程を経て、ウィスコンシン大学演劇学部博士課程修了。アメリカマイムの巨匠、トニー・モンタナロ氏に長年師事し、米国内の様々な大学にてマイムや教育演劇のクラスを指導する。マイム歴47年。マイム、教育演劇に関する著書、訳書、および論文多数。
なかでも2008年日本の教育演劇に関する博士論文が、アメリカ教育演劇協会より最優秀論文賞を受賞した。NHK国際放送「日本語クイックレッスン」のマイムコーナーを担当し、「おかあさんといっしょ」の身体表現コーナー「パント!」の振り付け、指導も手掛ける。

さらに詳しく

講師歴
・早稲田大学(2007年~現在)
・上智大学(2014年~2019年)
・東京学芸大学(2010年~2014年)
・玉川大学(2007年~2014年)
・桐朋学園短期大学(1995年~2001年)
・東京女子体育大学(1996年~2001年)

・厚生労働省認定指圧マッサージ師免許取得(1990年)
・インド政府公認ヨーガ教師(インド、カイヴァリアダーマヨーガ研究所、1991年)
・日印文化交流ネットワーク幹事および世話人
・落語協会正規会員(2001年~現在)
ヴィパサナーの瞑想実践者でもある。

メディア掲載
・東洋経済オンライン
「パントマイム歴40年の男が説く『やりきる力』」
・ウィスコンシン大学
『A mime speaks: Q&A with acclaimed performer and UW-Madison alum Takeo Fujikura』
・アクティブラーニングイン天竺
アクティブ・ラーニング in 天竺 ~息子と共にインドを歩く~
・日本経済新聞
「肉体で詠む『奥の細道』」(PDF)
・企業と人材
「巻頭エッセイ 分岐点(私のターニングポイント)」(PDF)

カンジヤマB

多摩美術大学大学院修了。彫刻を専攻後、身体表現に興味を持ちパントマイムの道へ。10年以上のダンス経験と役者としての経験を生かしてマイムの創作活動中。アーティストのMV出演やTEDxTokyo出演をはじめ様々な舞台に立つ一方、ギャラリーや、芸術祭でのパフォーマンスもおこなう。またパントマイムワークショップの講師として都内の施設や保育園などでも活動している。

カンジヤマC

左より、くるみ、色、ありさ(ゲストパフォーマー)。 プロで活躍するそれぞれのバックグラウンドを最大限に活用し、そのプログラムによって最適なC君が出演いたします。

Grab it! 学術的裏付けと、洗練された舞台があなたをつかんで放さない!

私とカンジヤマ・マイム トニー・モンタナロ Tony Montanaro

アメリカマイムの第一人者

I have known Takeo Fujikura as a student and close friend for over 20 years. I have watched him grow from young enthusiastic student to world class performer on Television in Japan. He is a great mime talent who is skilled in both writing and performing. His sketches are fresh and original. I think the secret to his success is his devotion to the art form of mime.

When he returned to Japan after studying with me he created his mime toupe which he named “Kanjiyama Mime”. I was not surprised to witness ‘Kanjiyama’ become very successful and popular. Kanjiyama Mime has taken the art of mime a giant step forward combining the traditional with the personal. They have succeeded in bringing into their work their Japanese origins. There is a tendency among mimes to copy directly the French style laced with American overtones. This company has evolved beyond this and created a highly personal and yet stylized theatre form that is both humorous and dramatic. They are a warm, funny and highly entertaining team.

I believe that Takeo has the Midas touch and will turn any venture into gold.

カンジヤマA(藤倉健雄より)

アメリカにてカンジヤマAが、ニューヨーク州立大学時代の恩師リチャード・カイラ—教授を通じて弟子入りしたアメリカマイムの巨匠です。
カンジヤマの作品を高く評価し、20年以上に渡り演出し続けてくださった恩人。マルセル・マルソー、弟子の中でも特に一目置いていたパントマイムの鬼才です。
カンジヤマはモンタナロ氏のお陰でそのユニークな芸風を確立できました。

トニー・モンタナロ
1927年生まれ。2002年他界。
マルセル・マルソーやドクルーに師事後、アメリカマイムのパイオニアとして数多くのプロを育て上げ、また自らも40年以上にわたりステージを通してマイムの普及に生涯をかけたアメリカマイムの第一人者である。
カンジヤマ・マイム藤倉健雄の師匠にあたり、藤倉がニューヨーク州立大学在学中(1980〜)から20年以上にわたり指導した。著書に「mime spoken here」。
関連サイト: http://www.mimetheatre.com/

私とカンジヤマ・マイム 永 六輔 EI, Rokusuke

放送タレント、エッセイスト、作詞家

パントマイムというジャンルの芸能が好きなんですが、なかなかスカッとしない、明るくない、どうも滅入ってしまうというパターンが多い中で、カンジヤマ・マイムのパントマイムというのはそのパントマイムの枠を大きく広げただけではありません。もちろん鍛え上げた身体、あらゆる肉体表現の可能性を極めようとしています。さらにそれだけでなく、さらにパントマイムというアーティストという形になりますが、カンジヤマ・マイムはボードビリアンという要素の方が強くて、だからこそ客席の世界に登場してその前後が落語であっても納まってしまうという魅力を持っています。

一方で松尾芭蕉を題材にして「奥の細道」を全部マイムで見せてしまうというような長い作品も作りながら、パントマイムがどうすれば多くの人に明るい形で愛されてゆくか、つまりエンターテイメントとしてみんなに好かれるかという事を真剣に考えています。

カンジヤマ・マイムーーーこのマイムをどこかで生で見ると体の一つ一つの動き、鍛えられた筋肉が微妙にーー僕で言うと言葉を酷使しているということがもし言えるとしたらーーかれらは体を酷使して体を言葉に変えている。あるいは心を体の動きに変えている。今、体というものがどうも「やせる」という事以外に評価されない時にとてもユニークなパントマイムと考えます。

カンジヤマA(藤倉健雄より)

永六輔さんとの出会いは半ば偶然。
カンジヤマ・マイムが最初にニューヨークから帰国した1986年、他の日本の芸人さん達を追いかけながら、その技を何とか盗すもうとしていたショーの司会をされていた永六輔さんの話芸に心底ほれ込んでしまいました。
「逆説的かもしれないが、今の日本のマイムに欠けているのは、この、人をグイグイ巻き込んでしまう話芸かもしれない」 カンジヤマはそう直感し、それ以来約一年半、永さんの司会するショ—に足繁く通い続け、永さんの話芸を研究し続けました。
その後永さんと旅をご一緒させていただき、色々なテレビもご一緒させていただき、沢山の事を教えて頂きました。まさにカンジヤマのマイムを進化させてくださった恩師です。

永 六輔
1933年生まれ。放送タレント、エッセイスト、作詞家など幅広い分野で活躍している。
著書に「大往生」「二度目の大往生」など。ラジオ番組に、「誰かとどこかで」「土曜ワイドラジオTokyo永六輔その新世界」「子供電話相談室」、テレビ出演番組にNHK「視点論点」などがある。
若き頃のカンジヤマ・マイムに飛躍のきっかけを与えた大恩人であり、現在でも親交が続いている。

私とカンジヤマ・マイム 村上 信夫 MURAKAMI, Nobuo

元NHKエグゼクティブアナウンサー

元気の出てくる”ことばたち”
(近代文芸社刊「元気のでてくることばたち」より)

パントマイムというと、暗いところで、顔を真っ白に塗った人が黙って動く。そんなイメージを根底から覆したのが、カンジヤマ・マイムだ。彼らのステージ照明は明るい。蝶ネクタイを締めて服装はよそいきだが、顔は化粧気がない。ほとんどだまっていない。しゃべり続けている。客席からは笑いがたえない。
それにしても、カンジヤマ・マイムとは面白い名前だ。「感じることが山のように盛り上がった」マイムを演じていきたいという思いが込められている。

(中略)

デビューは1985年、アメリカ・ニューヨーク。帰国後、日本全国で公演活動をしている。
カンジヤマ・マイムの十八番のひとつに童謡マイムがある。「こんなときに童謡が聞こえてきたら困りもの」ということをマイムで表現する。彼らの至芸を、文章で伝えるのは、とても難しいのだが、あえて文章化してみるとこんな感じだ。
《一人の男が、口笛を吹きながら、いい調子で車を運転している。ところが、ネコを轢いてしまったらしい。そこヘタイミング悪く聞こえてきたのが、「ネコふんじやった」。客席からは爆笑が起こる。
だが、運転していた男は冷や汗タラタラ。昇天したネコも現れ、男をウラミツラミで、かきむしる。ネコが去ったあと、男が客席に背を向けると、男の背中にネコの霊がはりついている。客席は、また笑いの渦につつまれる》

《五七五のマイム》 彼らは、俳句マイムという誰も試みていないジャンルを開拓した。文字通り、五七五の俳句の世界をパントマイムで 表現するわけだ。
健雄さんに言わせると、「パントマイムというのは、これでもかこれでもかというほど、むだを省いていく芸。それを、体の動きという限定された中で表現していく。俳句も五七五という束縛の中で、自由奔放に表現していく。共通している部分が多い」とはいうものの、例えば池に飛び込む蛙の姿をそのままマイムにするといった直訳をしてもしかたない。原作にとらわれず自由に発想しつつ、原作のイメージも表現するという難行に挑んでいる。

芭蕉に「あかあかと日はつれなくもあきの風」という句がある。「あきの風」をどう表現したらいいのか、二人は考 えあぐねた。あきの風を忠実に表現することはない。トンボが風に乗って飛んでいく様子を表現するのが視覚的でいいと思い当たった。これを彼らは、「季語」に対して「季動」と呼ぶ。
このマイムもあえて文章化してみる。
《後ろ向きに旅人が歩いている。カラスの鳴き声が聞こえて、二人は振り返る。鐘が鳴る。Bが日が沈むしぐさ。Aが拝むしぐさ。二人は、前後に重なって後ろ向きになる。両手を広げてバタバタとトンボが飛んでいくしぐさ。そして、再び振り返ったとき、二人は旅人に戻り、今夜の宿目指して歩いていく》

《風船の贈り物》 カンジヤマ・マイムは、かつてこんな体験をしたことがある。想像上の風船を作って、客席の少女に手渡した。はにかみながらも少女は、風船を受け取ってくれた。公演終了後、ホールの玄関で、少女は待っていた。そして、公演中、ずっと風船の糸を握りしめていた少女は、「この風船、ほんとうにもらってもいいの」と聞いてきた。カンジヤマの二人はこう答えた。
「もちろんおうちに持って帰って大切にしてね。そして今度は、あなたが風船をいっぱい作って、友達に分けてあげてね。」
おそらく、この少女のまわりには、風船を持った友達があっと言う間に広がったことだろう。どんな高価なおもちゃより、大切な宝物になったにちがいない。

パントマイムに必要なのは、身体と想像力だけ。「感じる心」をもっていれば、表現力も豊かになってくる。カンジヤマ・マイムの芸をみていると、知らず知らずのうちに空想の世界に遊んでいる自分に気づく。あるはずのないものがあるように見えてくる。
今年の暮れも、カンジヤマ・マイムは、クリスマスの贈り物を届けに、全国を飛び回っている。

近代文芸社刊行「元気のでてくることばたち」¥1500 絶賛発売中
カンジヤマの他にでてくるゲスト達
木村拓哉、さだまさし、吉永小百合 他、多数

村上 信夫
2001年から11年に渡り、NHKラジオの「声」として活躍。
『ラジオビタミン』『鎌田實いのちの対話』案内役。
2012年4月から、全国を回り「嬉しい言葉の種まき」をする。
1953年、京都生まれ。元NHKエグゼクティブアナウンサー。
これまで、『おはよう日本』『ニュース7』『育児カレンダー』などを担当。
著書に『ラジオが好き!』(海竜社)『ことばのビタミン』(近代文芸社)『いのちの対話(共著)』(集英社)など。

カンジヤマA(藤倉健雄より)

1994年、当時村上さんがご担当だったNHK「おはよう日本」という朝のニュース番組の中で「特集’94この人」という、その年活躍が注目されている人々に焦点をあてたインタビューコーナーがあり、そこでカンジヤマが村上さんにインタビューして頂いたのをきっかけに、その後交友を続けさせて頂いています。
カンジヤマが博士号を取得後帰国した2007年も、NHKラジオ「今日も元気でわくわくラジオ」のパーソナリティーをつとめていらっしゃり、その番組の「ときめきインタビュー」に出演させていただきました。
また、2012年の6月には三越劇場にて特別ゲストでご出演頂いたのも記憶に新しいです。
インタビューを受ける度に、その懐の深さと、相手を思いやる優しさに包まれ、プロのインタビューの凄さを学ばせて頂いております。

私とカンジヤマ・マイム 上田 信行 UEDA, Nobuyuki

同志社女子大学現代社会学部現代こども学科教授
ネオミュージアム館長

カンジヤマ・マイムの藤倉さんと最初に出会ったのは、ボストンだった。
そして、一瞬にして意気投合してしまった。
あらゆる可能性について山のように話した。
マイムのこと、演劇を通したパワフルな教育メソッド、そしてドラマティック・インテリジェンスという輝く知性について。
あの時の光景が昨日のようだ。
その後日本に戻ってきて活動をスタート。だけど、その後しばらくして突然ウィスコンシン大学大学院に行きたいと相談を受けた。
すごい決心だったと思う。そして2006年、教育演劇のドクターを取得して帰ってきた。タフな男である。
藤倉さんの魅力は、人間の身体が持っている表現の可能性をもっと磨こうよと、いつも私たちに情熱的に語りかけてくれる姿勢にある。彼はカンジヤマという名前のとおり、「感じる」心が「山もり」になって、笑いをエンジンに人と人をつないでいく。カンジヤマさんは今年から素敵なパートナーとさらに新しいマイムの世界を耕していくと聞いている。ものすごく楽しみだ!

カンジヤマA(藤倉健雄より)

上田さんとの出会いは彼がハーバード大学の博士課程、そして私がニューヨーク州立大学の修士課程にいた四半世紀ほど前のことである。
最初に友人を介して電話でボストン〜ニューヨークの間で長距離電話で「はじめまして」と自己紹介をしてから約4時間以上話しつづけてしまったのを覚えている。それ以来、上田さんの教育学への熱い思いに触れるたびにその熱さが私の演劇畑を耕す重大な肥料になっていったような気がする。私の教育演劇のインスピレーションはこの方から放たれたものなのです。

上田 信行
1950年、奈良県生まれ。同志社女子大学現代社会学部現代こども学科教授、ネオミュージアム館長。同志社大学卒業後、『セサミストリート』に触発され、セントラルミシガン大学大学院、ハーバード大学教育大学院で学ぶ。帰国後は『おかあさんといっしょ』(NHKの教育番組)制作に関わるなどした後、現在は教育工学を専門とし、「学習環境デザイン」をテーマに活動中。とくに、自らの研究を実践する「ネオミュージアム」を設立、人と人とが出会い、コミュニケーションをとおして生まれる学びの場として数々のワークショップを開催している。

私とカンジヤマ・マイム 古今亭 志ん輔 COCONTEI, Shinsuke

噺家

佐渡が島に鼓童という太鼓のグループがあります。
そこでカンジヤマさんと会ったのが初めての出会いだと思います。
永六輔さんに連れられて、私志ん輔とカンジヤマ・マイムの二人で参加しました。

二人が永さんから「何かワークショップをやってくれ」と言われて、「落語のワークショップ…」と思って悩んでいたのですが、カンジヤマさんはいとも簡単に「桃の食べ方」というのをみんなにやって、教えながら、笑わせながら、おいしいところを持っていきました。

あれはもう何十年前なんでしょう? 20年とか、30年にはならないと思う、20年くらい前だと思います。その、佐渡のやつはね。
それからの活躍は知ってのとおりですが、でもまさかこの人が寄席に出るとは思いませんでした。

寄席に新しい風が吹き込みました。

今後の課題は、カンジヤマさんが「俺が世界一だ」と思っている気持ちが、いつなくなるかです。

カンジヤマA(藤倉健雄より)

僕は初めて師匠の「子別れ」という噺をみせて頂いた時、ぶっ飛んだ!!
そして頭の中で呟いたのを覚えています。「もしも、パントマイムに出会う以前にこの師匠のこの噺を聞いていたら、おそらく僕は噺家の道を歩んでいたに違いない!」と。それほど師匠の噺は自分にとって物凄いインパクトがあったのです。
皆さんも是非一度師匠の芸を実際にご覧ください!僕の言う事が分かりますよ!

古今亭 志ん輔
1953年9月25日 東京都品川区生まれ
1972年3月 3代目故古今亭志ん朝に入門 前座名は「朝助」
同年4月 初高座 演目『時そば』
1977年3月 二つ目に昇進 師匠志ん朝の前名「朝太」襲名
1982年4月から1999年3月 NHKテレビ「おかあさんといっしょ」にレギュラー出演
1985年9月 真打昇進「古今亭志ん輔」襲名
2000年から2003年 NHK-FMラジオ「名曲リサイタル」のパーソナリティを務める
2000年より新日本フィルハーモニー交響楽団とのファミリーコンサートに出演
現在落語協会理事
公式サイト: http://www.0874sinsuke.com/

私とカンジヤマ・マイム 植村 朋弘 UEMURA, Tomohiro

多摩美術大学 造形表現学部 デザイン学科 教授

カンジヤマ・マイムの舞台を見ていると、これから何がはじまるのか、次に何が飛び出してくるのか、どんな話が展開していくのかワクワクしてくる。誰もがその魅力に見入ってしまうのだ。カンジヤマ・マイムの身体から広がる世界に、同じ身体をもつ我々は、あっというまに引き込まれてしまう。

その修練された技の話をカンジヤマ・マイムにしてもらうと、我々はついやってみたくなる。ところが実際にやってみると…、同じ身体をつかっているのに、同じ動きが思うようにできないのだ。普段の動きと見せるための動きに違いがあるからだ。そこに普段使わない筋肉を使うことに戸惑いながら、不思議で新鮮な感覚を覚えていく。

その身体の表現から広がる世界と、見せようとするときの技とのギャップを感じることで、カンジヤマ・マイムのすばらしさ、パントマイムの難しさや奥深さ、そして楽しさを実感することができる。そこでは、訓練されたリズムや動き、力の入れ方・抜き方・時間のとり方などの連続、顔や声の表情の変化、物語の展開などが様々な要素によって構成されている。日常では気づくことのできない、身体の仔細な動きについてあらためて味わうことができる。

そして身体という道具を使うことで「自在に何にでもなる」ことができる。色々な透明な小道具や情景を浮き上がらしていく。パントマイムは「身体を使ったおしゃべり」なのだ。皆同じ身体をもっているからこそ表現の魅力と不思議さが伝わり、そこに共感と驚きが生まれ、自分でもできそうな予感を感じさせてくれる。

またパントマイムには、それを見る私たちの「想像力」をかき立てるはたらきがある。それによって我々の中にそれぞれの物語が生まれていく。それら巧みな技のリアルな動きと想像がひとつになり、独特な世界となって人々の心を引きつけていく。そしてさりげない日常がパントマイムによって表現されることで、あらためて心が豊かになっていく。カンジヤマ・マイムのパントマイムにはそんな感性を気づかせてくれる魅力にあふれている。

デザインの中にパントマイムの世界を取り入れたならば、つまり自分自身でモノになってそれを使う人とのやり取りを表現してみることで、はじめて気づく新しい世界が見えてくるに違いない。それを通してデザインすることができれば、きっとモノ達と親密に楽しく関われることにちがいない。そんな可能性をカンジヤマ・マイムのパントマイムはデザインに指し示してくれているように思える。

カンジヤマA(藤倉健雄より)

2000年頃、カンジヤマが初めて定期的に都内でマイムのレッスンを始めたときに、自らのご専門にマイム的発想、動きのメカニズムを取り入れるべく、入門されたのが植村先生でした。
異分野の要素を積極的にご自分のデザイン分野に取り入れようとなさるその態度には心から敬服いたします。

植村 朋弘
1962年、兵庫県生まれ。多摩美術大学教授。
筑波大学芸術専門学群卒、同大学院芸術研究科を経て、GKインダストリアルデザイン研究所に入社。
1995年より多摩美術大学専任講師を経て現職。
2005年、筑波大学より博士号授与。
専門はプロダクトデザイン・情報デザイン。
以前より身体の経験に基づいたデザインを展開しており、現在は表現ワークショップなど「学習環境のデザイン」に範囲を広げ、特に「幼児の表現を通した学びや遊び」をテーマに実践研究を展開している。またワークショップなど「学びの活動を観察記録するためのツール(アプリケーション)」の研究開発をおこなっている。

私とカンジヤマ・マイム 中原 淳 NAKAHARA, Jun

東京大学 准教授

僕は、「大人の学びを科学する」というコンセプトのもと、企業・組織で働く大人のコミュニケーション・学習・成長を研究している。カンジヤマ・マイム藤倉さんには、僕が、東京大学で定期的に開催している「ワークショップ」に、時々、ご出演いただいた。お忙しい中お越し頂き、非常にありがたいことである。

例えば、以前、「パントマイムを使って、大人が、自分の身体のこわばりに気づくようなワーク」をお願いしたことがある。
藤倉さんは、パフォーマンスをまじえつつ、場の雰囲気を和ませる。最初は少しためらいがあった参加者も、すぐにワークに没頭する。
自分の身体が、いかに自分の意志に従って動けないのか。企業・組織で多忙な日々を過ごす中で、いかに、自分の身体がこわばっていくのか。参加者はワークを通して気づくことができた。

藤倉さんの魅力は、演劇教育学博士として、深く物事を探求しつつ、一方で、圧倒的なクオリティのパフォーマンスを発揮できることにあると思う。
もし藤倉さんが「大人の学び」に興味をもってくださっているのだとしたら、「大人の学びを科学する」のと同時に、「大人の学びをアートする」ことのできる非常に希有な存在になられるのかな、と思う。
今後も、藤倉さんのパフォーマンスに目が離せない。
ぜひ、また東大におこしください。

カンジヤマA(藤倉健雄より)

2006年、カンジヤマがアメリカより帰国後、東大にてラーニング・バーというユニークな学びを追及するワークショップにお招き頂き、マイムのデモンストレーションをさせて頂いたのがきっかけで、その後も様々な東大のワークショップ、日本教育工学会のワークショップなどにお声をかけて頂いています。
ものごとを見る視点の鋭さ、瞬時に複雑な工程を把握し、簡略化して視覚化できるその力にいつも感服しております。

中原 淳
東京大学准教授。北海道旭川市生まれ。東京大学教育学部、大阪大学大学院人間科学研究科をへて、文部科学省メディア教育開発センター助手、米国・MIT大学客員研究員、東京大学 大学総合教育研究センター講師、2006年より現職。2003年、大阪大学より博士号授与。
「大人の学びを科学する」をテーマに、企業・組織における人々の学習・成長・コミュニケーションについて研究中。
研究の詳細はBlog:NAKAHARA-LAB.NET