身体で詠む 奥の細道 The Narrow Road to the Deep North

身体で詠む 奥の細道The Narrow Road to the Deep North

身体(パントマイム)で詠む奥の細道 身体(パントマイム)で詠む奥の細道

「身体で詠む 奥の細道」とは?

カンジヤマ・マイムがライフワークの一つとして追い求める芭蕉の風雅の世界。この言葉の風雅を動きに翻訳する事は果たして可能なのだろうか?
1990年代に渋谷ジャンジャンにて永六輔氏のアドバイスで始まった、カンジヤマ・マイムの俳句マイムという長い求道の旅は、よみうりテレビ「遠くへ行きたい」の番組で芭蕉の足跡をたどりながら進化し続けた。
最近では2012年、日本橋三越劇場公演などを経て今、更にその歩を進めています。
五七五で森羅万象を濃縮した言葉の芸術を、還元再凝縮という作業を通して身体で詠む奥の細道。動きと俳句の奇想天外、絶妙なコンビネーションをお楽しみください。

身体で詠む 奥の細道 ギャラリー

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*** 鑑賞会に関して、カンジヤマ・マイムより重要なお知らせ ***

最近、カンジヤマ・マイムの名を無断で使用し、鑑賞会などに売り込みをしている業者が多々見受けられます。
カンジヤマ・マイムは学校、会館での鑑賞会・公演依頼は全て業者を通さずに直接お受けいたしております。
公演に関するお問い合わせ、その他ご質問は全てカンジヤマ・マイム事務所までお願いいたします。

カンジヤマ・マイムの身体で詠む 奥の細道 永 六輔 EI, Rokusuke

放送タレント、エッセイスト、作詞家

朝日新聞 1995年5月23日永六輔のメディア交友録より

あらゆる筋肉を一瞬にして緊張させ、次の一瞬にはそれを弛緩(しかん)させてしまう。または、特定の筋肉だけを自分の意志通りに動かす。こうしてパントマイムはその肉体表現を作品にするのである。
と簡単に書くことは出来るが、肉体表現だけで観客を笑わせたり、感動させたりするとなると、これは困難なことだ。

自己満足の作品が多くなるパントマイムの世界で、寄席の高座でも好評なのが「カンジヤマ・マイム」のコンビである。つまり、色物として芸人思考のマイムをつくっているのだ。
例えばマルセル・マルソーを芸人とは言わない。芸術家というが、芸人と芸術家は芸の差ではなく意識の差である。カンジヤマは、漫才、マジック、曲芸の世界に飛びこんで、芸人としての修行で、マイムを寄席の世界に定着させてきた。一方で基本的なマイムを寄席の芸人に教えるようにもなり、相互に刺激を与えているのがよくわかる。

僕はこの二人が、寄席以前のステージで公演したパントマイム「奥の細道」に感動した。そこでは見事な芸術家だった。

永 六輔
1933年生まれ。
放送タレント、エッセイスト、作詞家など幅広い分野で活躍している。
著書に「大往生」「二度目の大往生」など。ラジオ番組に、「誰かとどこかで」「土曜ワイドラジオTokyo永六輔その新世界」「子供電話相談室」、テレビ出演番組にNHK「視点論点」などがある。
若き頃のカンジヤマ・マイムに飛躍のきっかけを与えた大恩人であり、現在でも親交が続いている。

カンジヤマ・マイムの身体で詠む 奥の細道 村上 信夫 MURAKAMI, Nobuo

元NHKエグゼクティブアナウンサー

元気の出てくる”ことばたち”
(近代文芸社刊「元気のでてくることばたち」より)

《五七五のマイム》
彼らは、俳句マイムという誰も試みていないジャンルを開拓した。文字通り、五七五の俳句の世界をパントマイムで 表現するわけだ。
健雄さんに言わせると、「パントマイムというのは、これでもかこれでもかというほど、むだを省いていく芸。それを、体の動きという限定された中で表現していく。俳句も五七五という束縛の中で、自由奔放に表現していく。共通している部分が多い」
とはいうものの、例えば池に飛び込む蛙の姿をそのままマイムにするといった直訳をしてもしかたない。原作にとらわれず自由に発想しつつ、原作のイメージも表現するという難行に挑んでいる。

芭蕉に「あかあかと日はつれなくもあきの風」という句がある。「あきの風」をどう表現したらいいのか、二人は考 えあぐねた。あきの風を忠実に表現することはない。トンボが風に乗って飛んでいく様子を表現するのが視覚的でいいと思い当たった。これを彼らは、「季語」に対して「季動」と呼ぶ。
このマイムもあえて文章化してみる。
《後ろ向きに旅人が歩いている。カラスの鳴き声が聞こえて、二人は振り返る。鐘が鳴る。Bが日が沈むしぐさ。Aが拝むしぐさ。二人は、前後に重なって後ろ向きになる。両手を広げてバタバタとトンボが飛んでいくしぐさ。そして、再び振り返ったとき、二人は旅人に戻り、今夜の宿目指して歩いていく》

(中略)

パントマイムに必要なのは、身体と想像力だけ。「感じる心」をもっていれば、表現力も豊かになってくる。カンジヤマ・マイムの芸をみていると、知らず知らずのうちに空想の世界に遊んでいる自分に気づく。あるはずのないものがあるように見えてくる。
今年の暮れも、カンジヤマ・マイムは、クリスマスの贈り物を届けに、全国を飛び歩いている。 

近代文芸社刊行「元気のでてくることばたち」¥1500 絶賛発売中
カンジヤマの他にでてくるゲスト達
木村拓哉、さだまさし、吉永小百合 他、多数

村上 信夫
2001年から11年に渡り、NHKラジオの「声」として活躍。
『ラジオビタミン』『鎌田實いのちの対話』案内役。
2012年4月から、全国を回り「嬉しい言葉の種まき」をする。
1953年、京都生まれ。元NHKエグゼクティブアナウンサー。
これまで、『おはよう日本』『ニュース7』『育児カレンダー』などを担当。
著書に『ラジオが好き!』(海竜社)『ことばのビタミン』(近代文芸社)『いのちの対話(共著)』(集英社)など。

カンジヤマ・マイムの身体で詠む 奥の細道 身体で詠む奥の細道 藤倉 健雄 FUJIKURA, Takeo

日本経済新聞 1994年2月16日 文化欄より

簡潔さは機知の精髄

簡潔さのなかに凝縮された深み。フランスが世界に誇る現代マイムの第一人者マルセル・マルソーの舞台を垣間見たことからすべてが始まった。演目は「青年、壮年、老人、死」。せりふを使わずに、しかも生身の身体一つで人間の一生を数分にして演じ切った。そしてこの数分間の演技が、舞台に無縁な当時十七歳の学生であった私のその後の人生を決定づけてしまったのである。彼を目撃したことにより私は現在、自らバントマイミストとして舞台に立っている。

パントマイム?パントタイム?パートタイム? 日本ではその呼称すらいまだに誤解されかねないこの芸能の名は、古代ギリシャ語由来で、バントス(すべて)をミーモス(模倣)するという意味がある。ここから発展してすべての物、森羅万象のエッセンスを凝縮し、身体による簡潔表現に昇華するのがパントマイムである。
「簡潔さは機知の精髄である」。これはシェークスピアの「ハムレット」の中の一節だ。マルソーとの出会い以来、「パントマイムのだいご味を一言で?」と開かれたら、私はいつもこの言葉を引用している。

永六輔さんのすすめで私はカンジヤマ・マイムでこのようなマイムを追求してきた。米国の師匠であり、マルソーのまな弟子のトニー・モンタナロ氏が「感じる」ことが「山」のように盛り上がったマイムという意味で命名してくれた。
俳句というまさに五七五の簡 潔さのなかにすべてを凝縮した「言葉のパントマイム」に出会ったのは、永六輔さんのおかげであった。永さんの旅にご一緒させて頂いた折、何気なく「山頭火をマイムにしてみない?」というアドバイスを頂き、幾つかの句をマイムの動さにしたのが俳句マイムの始まりであった。

その後、山梨県中富町の「句碑の里」という日本全国の俳句ファンの自作の句を句碑にするというボランティアの集いに、幾度となくご招待を受け、一般の方々の俳句をマイムにしたのが好評だった。そして、いよいよ松尾芭蕉の「奥の細道」に挑むことになった。

このように経過をつづると簡単だが、俳句マイムの道は楽ではなかった。カンジヤマ・マイムは、俳句は全くの素人。また、芸の未熟さもあって、俳句マイムをするには生身の身体表現がいかに限りあるものか、思い知らされる毎日であった。俳句マイムとはどんなものか、最近作ったものを例に紹介しよう。例えば中富町の句碑の里には、永さんの「寝返りをうてば土筆(つくし)は目の高さ」という句がある。寝転んでいて、寝返りを打つと土筆が目の前にある・・・・・・。これではただの当て振りである。実をいうとこの句は簡潔すぎてかえって難しく避けていたのだが、テレビ番組で中富町の特集があった際、半ば無理やり作らねばならない羽目になってしまったのだった。

すべては無から創造

七転八倒の末、思い付いたのが「寝返りをうつ」=知らぬ間に、「土筆は目の高さ」=季節、時間の経過、ということであった。そしてこの句の解決のヒントになったのが、永さん作詞の「坊や」という曲を、偶然ラジオで耳にしたことであった。
結果はこうである。親子が草原に散歩にくる。子供が父の手を擦り抜け、草原で戯れている間に父親はウトウトと居眠りをしてしまう。子供は草原の中に土筆を見つけ、それをつかもうとした瞬間に土筆そのものになりムクムクと成長する。やがて父親が寝返りをうち、わが子に目をやるとその子は知らぬ間にすでに自分の日の高さにまで成長している。やがて老いた父親は今度はその子に手を引かれ歩み出す。

これはあくまで私たちの創作であり、原句の意図とは関係ない。排句マイムの創作とは、五七五に擬縮されたエッセンスの還元、再擬縮作業なのである。 ただし、これはうまくいったほんの一例であり、いつもこのようにスムーズにいくとは限らない。奥の細道にしても同様で、例えば「夏くさや兵どもが夢の跡」の「夢の跡」とはどのように表現したらよいのだろうか? あるいは、「あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風」の「あきの風」とは? こんなカベに絶えずぶち当たった。
ただ、このカベと朝な夕な格闘し続けるうち、ある日突然、それこそ啓示のような解決の光が差すことがある。そしてそれらは、先の例のようにラジオを聞いている時とか、湯船の中とか、全く予期しない時に突然やってくることが多い。

排句マイム創造の難しさとはこの啓示の光を偶然に手に入れるまで、いかに執ように動作やイメージとの悪戦苦闘に耐えられるかということかも知れない。マイムという芸能には能・歌舞枝などの伝統芸能に見られるような『便利な』約束事も、様式化された動きもないのである。すべて無から創造されなければならないのだ。

「語い」蓄積に役立つ

山頭火から入ってよかったと思う。白由律の自由奔放な作風は、私たちのような全くの素人に、原作の意図にとらわれず、自由に発想を転 換することを教えてくれたような気がする。そのうえ、山頭火には情景描写だけでもおもしろいものが沢山あった。おそらく永さんはこのことをご承知で、私たちに山頭火をまずすすめて下さったのだと思う。
この情景描写を視覚化することは、私たちの俳句マイムの動きのボキャブラリー(語い)を蓄積するのに大いに役立った。そして何よりもその中で、季語を動きにするコツを少々会得できたということだ。例えば「あきの風」を表すには、そのまま秋風を忠実に表現しょうとする必要はない。トンボなどが風に乗って飛んで行く様子を、具体的に描写したほうが視覚的には分かりやすい。これは言ってみれば、季語に対して「季動」とでも呼んだものであろうか。もちろん、これも私たちの勝手な解釈であり、かの芭蕉翁がご覧になったら、怒りのあまり卒倒してしまうかも知れない。

悪戦苦闘は現在も続いており、いまだ解決できない句も沢山ある。いや解決できた句はほんの一握りだ。こんな未熟な私たちだが、幸いにも、「遠くへ行きたい」というテレビの旅番組に出演する機会に恵まれた。芭蕉の足跡をたどって俳句をマイムにして旅をするじ芭蕉の句の理解を深めることができる。「月日は百代の過客にして、行さかふ年もまた旅人なり……」。思えば、二十年近く前にマイムの魔力に魅せられてしまった私は、その瞬間から知らず知らずのうちにこの「機知の精髄」を求めてさすらう、生涯の旅人になってしまったのかもしれない。そしてこの完成することのない旅は、まだまだ始まったばかり。
私たちカンジヤマ・マイムは若輩を省みず、日本で初のパントマイムの入門書「おしゃべりなパントマイム」を今月出版する。後から来るであろう、より優れた旅人たちの道標になればと念じている。

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