信じることと疑うこと

スーザン・ボイル(Susan Boyle)があちこちで話題になっている。イギリスのいわゆる素人を対象にしたタレントショー(Britain’s Got Talent)にて超田舎者の風貌の47歳のおばちゃんが登場し、審査員が小馬鹿にした質問をぶつける。「なぜその年まで歌手になりたいのになれなかったの?」それに対して彼女は、「今までチャンスがなかったの。今日がそのチャンスになるのかも」会場は嘲笑につつまれ、何人かは彼女の目指す歌手名「エレン・ペイジ」に対して憐れみと嘲りが混じった顔をゆがめる。やがて、彼女がミュージカル「レ・ミゼラブル」の「夢やぶれて」(I Dreamed a Dream)を歌い出すと会場の反応は今までとは正反対のものとなる。審査員の表情は嘲笑から驚きに豹変しやがて歌のエンディングは満場の拍手とスタンディングオベーションに包まれる。こんなYOUTUBE動画がものすごいアクセス数らしい。 冷静に考えて、審査員その他がテレビの本番前までに出演者の誰か、何をするのかを知らないわけがない。リハーサルもあれば、顔合わせもあるだろう。であるからして、これはある程度の演出であり、審査員の表情は決して本当に初めての純粋な驚きの表現ではないと思われる。が、しかし、やはりここで考えさせられるのは熟練された芸というものの力である。少なくとも観客は彼女の歌の力を知る由もない。そして演出がどうであれ、やはり歌に相応の力がなければ、あれだけの会場のどよめきを作り出せたはずがない。これはある意味、とても芸の演出というものを真剣に考えさせられる場面だった。 第一に歌自体の威力がある。レ・ミゼラブルのI Dreamed a Dreamはその歌自体が人生の深い哀愁を見事にうたっている。歌詞を聞くだけで自分は毎回泣いてしまうのだ(お恥ずかしい・汗)昔、ブロードウェイでこのミュージカルを見た時の全身で受けた感動は今も体の記憶として残っている。 そして、もちろん彼女の歌声。これも自分のあるブロードウェイ体験を彷彿とさせたのだが、以前あまり英語がわからない時にみたウィンター・ガーデンシアターの「キャッツ」。あまりにもダンサーたちのナルシスト的な目くらましのテクニックに少々麻痺し、飽きがきて「ミュージカルってこんなもんか?」って思っていた時にきいた老猫グリザベラが歌う「メモリー」!これには泣けたのだった。そのころ、ん~十年前の自分にはとてもストーリーを英語で追えるようなものでなかった故に、この歌のコンテクストもなにもわからずにきいた。しかし、それでも泣いてしまったのだ。芸はすごい!!ちょうどこんな記憶が呼び覚まされた。 そして最後にこの演出。あるブログにて最近のミスUSAのコンテストをみたのだが、もしもこの英国の番組にあのような絶世の美人が出てきて、期待に添うようにあの美声を見せたらこのような感動とはたしてつながったのだろうかとつくづく考えてしまった。まず第一に歌の内容と彼女の年齢、風貌はあまりにフィットしている。彼女の内面からあふれる人生の重さをその歌詞とともに見事に表わされているような気がする。 だが、実はもう一つ違う側面も考えられる。人間は期待をある演出で裏切られるのが大好きなのだと思う。その裏切り方が嫌みがなく、そして自らの既成概念を見事に打ち破ってくれ、その上普段自分が望んでいるものの実現をみせてくれるものが大好きなのだろう。心のどこかで信じている、いや信じていたい理想がそこに実現されるとき人間は純粋な感動を受ける。そう、人間は表面じゃないんだよ!と人々は何百回、何千回と聞かされてきた、しかし、実際の人生でそんな理想之実現をみるのは稀だ。今では陳腐になっておそらくその内容をほとんどの人が信じていない世の中だ。Never judge a book by its cover (見かけで内容を判断するな!) そんなこと言っても現実を見ろよ、しょせん美人が得をし、そして高価なものを身につけている者が勝者じゃないか!!これが世の常なのである。この言葉を常に半信半疑で完全には信じられなかった人々がまさにこの瞬間にその普段の期待(予期する答え)を完璧に裏切られ、その理想を信じることができたのかもしれない。そしてそれがこれほどまでの感動を生むのではないか・・・などと考えてしまった。

2009-04-22 08:58 | ひとりごと | コメント

青春のS&G

ついに、ついに!そして遂に!Simon & Garfunkle (サイモンとガーファンクル)の東京ドームコンサートのチケットをゲットした。2003年にマディソンにいたころ、忙しい論文の最中に思い切って一人で車を走らせ、シカゴのユナイテッド航空のアリーナまで見に行ったのを思い出す。朝早く起きて、自分でおにぎりを作り、そして大好きな梅干しとオカカをまぜていれて海苔でつつんだものをかじりながらカーステレオでガンガン流してS&Gを聞きながら胸を躍らせていた。3時間も早くついたのだが、列にならぶ初老の見ず知らずのアメリカ人夫婦とそれぞれのS&Gの青春の回想を分かち合いながら楽しい会話で時間が止まっていた。その前回の1981年のセントラルパークコンサートの時、自分は初めての留学と格闘最中でおしくもニューヨークにいながら見損なったのが悔しかったのだ。その後クイーンズに住む友人にS&Gの育った街(♪my little town)を案内してもらったこともある。 わが青春の音楽!(ってこれしかないのも寂しいが・・・)。中学一年の時に初めてみた洋画が「卒業」。その中でダスティンホフマン演ずるベンの役がアメリカ東部の大学を卒業したばかりの若者。この「東部の大学」いう響きがなぜかやたらに魅力的だった。その後みた映画、「アメリカングラフィティー」でもやはり東部の大学はなぜか特別な響きをもっていた。結局自分はその東部の大学で21から25歳までを過ごすことになる。自分の英語は東部のニューヨークアクセントだとよく言われるが、やはり彼らの曲を丸ごとコピーし続けたのもかなりの影響だといえる。よく友人にidea,chinaなどの最後の音にあるはずのない”R”の発音がはいっていると指摘される。(もちろんこれは中西部の友人にいわれるのだが・・・) 今もfacebookで何十年ぶりにコンタクトをとってくるニューヨーク時代の友人たちはみなS&G狂として自分を覚えていてくれるらしい(苦笑)前回もそうだったのだが、もうコンサートが始まって間もなく、スクリーンに彼らが映り、懐かしい曲が流れるだけで両目は涙であふれてきそうだ。うれしい時、悲しい時、孤独な時、怒った時、そして感動した時、常に彼らの曲が傍らで流れていたような気がする。今から興奮状態だ!!うれし~~~

2009-04-16 10:25 | つれづれなるままに | コメント(2)

新一年生

例年より遅れて今日から玉川大学での担当授業が開始された。芸術教育と支援、そして演技基礎(マイム)の実技だ。芸術教育論・・・日本でこの科目が受講できる大学はそれほど多くないと思う。もともとこの芸術教育は大正時代にここ、玉川大学創始者の小原先生が坪内逍遥とほぼ時を同じくして提唱され、その後社会の注目を浴びることになったのだ。今でこそ芸術=教育ということをそんなにいぶかしげに思う人はいないと思うが、当時は何しろ芸術、特に演劇といえば河原乞食の別称をもつ特別な世界の人間が行うものであった。それが教育と結びつくなどということを想像すらしなかった人々が大半ではなかったのか。その小原先生が創始された玉川学園、そして双璧のもう一方の坪内逍遥先生の早稲田で講義ができるこの幸せ。かみしめながら講義をしている。 話を元に戻して新学期、新しい若者が希望を胸にクラスを取り始める。彼らに秘められたポテンシャルは無限だ。これからどうにでもなる素材。素晴らしくもなれば、最悪の人間にも成り得る。楽しみだね~笑

2009-04-14 10:12 | つれづれなるままに | コメント