天国の後の・・・

軽井沢より帰京し、なんとなく身体のだるさと咽喉の痛みを感じた。なるべく安静にしようと軽くシャワーあびで夕食をとりアメリカより直輸入?!の「どす黒い」睡眠薬が入った総合感冒薬を飲み、意識をうしなうように寝てしまった。が、しかし、翌日眼をさますと物凄い全身の節々の痛みと上気道の炎症を感じた。まずい!!これはまずい!!ジムでの筋肉痛などという問題ではなく、全身がまるで拷問をうけているような痛みだ。 ということで今日一日は家族に感染することをおそれて自分の狭い書斎に布団を敷き籠りながら現在38・5度の熱と節々の痛み、そして咽喉の脹れと孤軍奮闘中。まさに天国のあとの地獄である。だが、だが、私の師匠トニーモンタナロの最後の遺言であった「power of now」によればこんな時こそ今、この瞬間に生きろという。痛い、苦しい、この気分が永遠につづくかもしれないというlife situation(人生の見え方)と今実際にある自分の真の中の幸福を見極められたときに、人は物質ではない真の存在意義を知るという。 おそらく熱でどうにかしていると思われるでしょうね。(苦笑)そうなんです。どうにかしています。そんななか、ああ、幸せと自分に言い聞かせております。天国の後のまた天国。・・・・・

2010-05-29 07:28 | ひとりごと | コメント(7)

忙しさの中のひと時

またまた長い間ブログを滞らせてしまいました。大学教え、演出、舞台、そして運転・・・とやりたいことやりながらその忙しさの中でがんばってジム通いしながら体調を整えております。(だからいつも眠いのなんのって・苦笑) 地方公演へいったその足で大学の授業に向かい、終了後の虚脱感の中でのジムのランニングはこれまた気分爽快。そしてまた旅公演・・・・やりたいこと三昧の日々。ただ最近本がまったく読めない。字を追おうとするといきなり睡魔が襲う(爆)まあ、こんな時期もあってよいのかなと・・・(博士論文書いているときは逆で動けなかったゆえに5キロも太ってしまいました。) 今、これを軽井沢の宿で書いております。今朝はこれからこちらの某学校での芸術鑑賞会での公演を予定しております。さすが軽井沢空気がきれいでうまい!!昨夜は近くの温泉で久しぶりに命の洗濯したような・・・これもこの仕事のおいしい一面です。さまざまな場所をおとずれると素敵な温泉にたくさんめぐり合います。 ということで何気ないご報告のみです。毎日の舞台ができる幸せと、大学で好きなことを教えられる今、この幸せをかみしめつつ・・・・・

2010-05-28 04:21 | つれづれなるままに | コメント(3)

演者の質、観客の質: ハーバード大学の授業をみて

実は昨日のハーバードの授業後半は、何故かいつもはにこにこ顔でハッピーな4か月の娘が、珍しく虫の居所が悪かったらしくてなかなか私をテレビに集中させてくれなかった(汗)。今一度ビデオにてじっくり楽しませてもらおうと思う。それにしても懐かしいキャンパス風景だった。妻が三年間ここで教えていたので、私も滞米最後の半年をケンブリッジで過ごし、ハーバード大学の図書館で論文のリサーチをしていた。そして、なによりも息子がこの大学の病院で生まれ、ベビーカーを押しながらよくこのキャンパスを散策した。 さて、番組を見ていてつくづく感じた事は(その行われた授業が劇場であった事にも起因するのだろうが)学生=観客としてのアメリカ人の質であった。今でも初めてアメリカで舞台をした30年ちかく前の衝撃を覚えている。そのリアクションが積極的かつ貪欲で驚いた。何でこんなに反応するのかと思わせるくらい相手がその能動的反応で「楽しもう」として笑ってくれるのだった。そのおかげで演じている自分まで知らぬ間にいつもの自分でないくらいの動きができたり、その「間」が冴えてくるのが感じられるのだ。つまり観客が舞台上の演者を育ててくれるという事実を初めて30年近く前にこの身で知った。同じ事を同じように日本の観客の前でやった時の逆カルチャーショックもまた体感記憶に残っている(苦笑)。 こういった態度はもちろん幼少のころから自分らの周りの大人達の反応をうかがい見つつ、そしてはぐくまれてくるものなのだろう。つまりは昨日の授業のおおよそ半分の担い手は学生達ではなかっただろうか。正直な事を言えば、昨日の学生たちの反応は自分の経験からしてみればまだまだ鈍いくらいだった。だが、これはテレビカメラが入っているという事へのある種の意識や、実際の授業の難解さ、レベルの高さに起因する事も事実だろう。あれほどの内容にもどしどし挙手しつづける風景は日本では考えられない。やはりあっぱれハーバードだ。あのマンモス授業にしてもそうなのだから、ましてや普通サイズのクラスなどはより凄くなる(お断りしておくが、勿論全てのクラスでこうなるわけではなく、アメリカでも中には退屈なレクチャーを繰り返す教授、学生が居眠りするクラスもある)。 自分は前回は約3年半に渡り教育演劇のクラスをウィスコンシンで教えていたが、中途半端な準備で授業に臨むと大変な事になる。必ず色々と質問攻めにあって突っ込まれるのだ。だが、だからこそ授業テーマに関する話題が膨らみ、自分でも意図していなかった関連性のある面白いネタが質問によって引き出されてくるのだった。あっぱれアメリカの学生気質だった。翻って日本の大学での講義は「ごまかし」が聞くのも事実なのだ。(言っておくが私はごまかしはしていない爆)つまり、学生達はひたむきにうつむきながら真面目にノートを撮り続けるのだが、質問をかなり執拗に仕掛けない限りはあまり積極的な問いかけをする者は非常に限られた一部の学生のみだ。 もちろんサンデル教授の授業マネージメントにも目を見張るものがあった。形而上学から入り、それに関連する興味を引くような日常の具体例をどしどしあげて必ず机上の空論では終わらせない。そしていちいち学生の名前を聞き、たとえ勘違いな回答にもそれなりの評価をしつつ具象例を検証する。(ただ一体どうやってこの授業の成績をつけるのかも興味ある疑問であった・・・・汗) まだまだ沢山の感想はあるが、本当に不思議なのがこういったクラスも日本の基礎学力のクラスも大学でのクレジット(=単位)として同等に扱われるという事実だ。そして学士という称号がやがてこういったクレジットの集積に与えられる。(もちろんその大学のネームバリューでかなりその価値もちがってはくるだろうが)。だがしかし、大学の授業としての質の高さには本当に圧倒されるし、もっと「アメリカで学びたい」という昔もっていた願望を今一度刺激されるものだった。 最後に蛇足として一つだけ自慢させて頂ければ、私の妻はこのハーバード大学で三年間日本語クラスを教え、やはり凄い人気があった。三年間優秀教師として表彰されつづけた!!彼女の机の壁にはその「かっこいい」表彰状が今でも飾られている!!でもそんな彼女でも日本では常勤の仕事を見つけるのは難しいのが現状だ。なぜだろうか。教師の資格とは論文数だろうか、学位だろうか、学会発表の多さだろうか?それとも・・・・?

2010-05-17 06:46 | つれづれなるままに | コメント(3)