鈴本演芸場最終日

今日29日は鈴本演芸場最終日(実際寄席は明日までですが、仕事の関係上カンジヤマは本日までです)。この八月下席は昨日まで毎日満員のお客様でした。立ち見もちょくちょくという凄い入り様。有難い限りです。 様々なネタを三日間ごとにためしてきました。楽しかった。今回の顔付けも面白い噺家さんばかりで、非常に勉強になりました。今回は少々無理して午前中ジムで筋トレとランニングした後で寄席にはいっておりましたので、帰宅後はグッタリ(汗)。それでブログの更新がしばらく途絶えてしまいました。今も身体は筋肉痛。でも運動不足よりは心地よい疲労感です。 しかし、相変わらず政治は馬鹿げた派閥争い。なぜ世間の常識が永田町へ行くと通じなくなるのでしょうね。今現在も仮設住宅で必死に今を生きていらっしゃる方々の税金でのうのうと権力争いに明け暮れる輩たち。世の中なんか腑に落ちない。

2011-08-29 08:44 | つれづれなるままに | コメント(2)

決断できない日本‐なぜ誰も裁かれないのか?

本日発売の文春新書、『決断できない日本』を読んだ。著者は『沖縄はゆすりの名人』との発言報道に国務省日本部長の座を更迭されたケビン・メア氏。あの事件で彼がその座を退いたのが3月10日、震災の前日だったとはその後の混乱ですっかり忘れてしまっていた。著書のおおよその部分はメア氏自身と日米を巡る沖縄問題について書かれているが、その第一章は「トモダチ作戦の舞台裏」と題されており、震災、および原発を巡る一連の事件をアメリカ側からの視点で綴っている。その視点に興味をもってこの本を読み始めたのだが、驚愕の事実が綴られていた。相変わらずの日本政府および官僚達の無能ぶりと機転のきかないおざなりな態度に無性に腹が立った。 例えば原発直後に米国は支援の為の提供可能なアイテムのリストを日本政府に提示したそうだ。そこには無人ヘリなどの原発対応に欠かせない品目が沢山書かれていた。ところが、このリストに2週間もたってから後に返ってきた官僚の返事が「もしも無人ヘリが放射能汚染などに遭遇した場合の補償をどうしたら良いのか」などという枝葉末節な質問の羅列だったという。自国民の命が危険にさらされている時に、補償の額などを気にかけている態度に、その他人事のような怠慢さを感じるのは自分だけだろうか?もしも我が子が死にそうな時に、愛するその親達はこういった態度をしめすだろうか?(だったら普段何の役にもたっていない自衛隊の戦闘機に何十億もかけるなよ!) もっともこの他にも、例えば海外から支給されたガイガーカウンターが国民に渡されずに何千台も倉庫に保管されたままだったという事実もネットで報道されていたのは周知の事実だが。一事が万事。まったくもって何の為に働いているのかわからない人々が官僚に多い。 またこの今回の原発事故を何年もさかのぼる過去に、ブッシュ政権が9.11後のテロ対策として原発へのテロ攻撃を研究していた際に、同盟国日本の余りに手薄な原発警備に驚いた米国が、日本の警備要員の武装の必要性を説いた際の日本政府の返事が、全く必要がないとの事だったらしい。いわく、「なぜなら銃の所持は法律違反になるからです」と・・・この回答に米国要人達は、これが果たしてジョークなのかと困惑したそうだ。 これら理解に苦しむ一連の日本政府の対応に関連して、過去の驚くべき事実も語られていた。例の御巣鷹山のJAL墜落事故の事。墜落が午後7時前後という事で、現場が暗くなる時間である上に、鬱蒼とした御巣鷹に着陸可能な部隊は日本の自衛隊には無かったそうだ。そこで米軍から日本政府に横田基地にある夜間捜索可能な部隊を至急派遣するオファーをした所、それが日本政府によってあっさり断られたという事実。当時数少ない生存者の証言で、墜落直後はかなりの生存者がいた事は新聞その他でも報道されていたのは自分も記憶している。つまり日本政府は自国民を見殺しにしたのだ。これが犯罪でなくてなんであろうか。私がもしも犠牲者の遺族であったなら、当時の政府のこの返答の責任者を訴えるだろう。 過去にどれだけこういった怠慢、おざなりの無責任な対応が政治家、官僚によってとられてきた事か、そしてその大勢の無責任な言動の為にどれだけの命が奪われ、その裁きがなされてきただろうか?まずはこの根幹から問い直さなければこの国の将来は無いように思う。今回の泊原発にしても、まったく福島の反省がされないままに惰性と共に再開(もっとも今までもフル稼働していたらしいが)されてしまった。この責任の所在は?責任を問わずに、反省なしになぜこの国は暴走を続けるのだろうか?そろそろこんなメチャクチャに終止符を打つべきではないだろうか。

2011-08-19 08:55 | ひとりごと | コメント(1)

お盆に臨んで

盆の季節になると世の中の機能が一時麻痺し、停止したように思われて少しほっとする。もっとも既に高速道路の帰省ラッシュなど、慌ただしさの側面も伝わっては来るが・・・ この時期に必ず読みたくなるのが仏教書。昔からインド仏教史にやたらに興味があり、何十冊も読んできた。今年も二三冊もって実家の松戸に帰る予定。迎え火、送り日の間のつかの間にお盆という意味を今一度考えるひと時。 ただし、今年の故郷の風景は今までとかなり違う。なんと実家の松戸は現在ホットスポット。先日の市民グループ『放射能防御プロジェクト』による測定でも松戸はかなりの線量を記録してしまった。楽しみにしていた息子との江戸川土手での段ボール滑り降りもできない。故郷の景色が一変してしまった。まさに世の中の常ならざる法則を感じる。そしてこの世の理不尽さもしかりだ。正義は必ずしもない。というより正義は常に金の力、権力によって踏みにじられている。そんな状況の中で息子にどんな事を教えたらよいのか。 昔仏蹟をたずねインドを数か月さまよい歩いた時に、やはり同じ無常感に浸ったのを思い出す。ブッダの誕生の地、ルンビニー、正覚の地ブッダガヤ、初転法輪のサルナート、入滅の地クシナガラ、そして雨安吾の地ラージャガハの霊鷲山(りょうじゅせん)や竹林精舎、そしてシュラーヴァスティーの祇園精舎。すべて荒れ果てていた。あれほど一時勢いのあった仏教の聖地が無残な姿になって保存されていた。仏滅後にそのブッダの教えを巡り、多くの論争がされ、そして戒律も頻繁に解釈の変更がされた。部派に分かれながら、そしてそれぞれの教えを確立して分かれて行った仏教。その東方の果ての成り行きが、日本仏教。その軌跡を辿り、その過程の中での人々の悩み、苦しみを知ると本当に深い意味合いが味わえる。自分をまずは救うのか、自分を差し置いても他人を救うのか。いや、自分を救えずに他人を救えるのか。こんな人間の根本の葛藤が仏教史ににじみ出てくるのだ。迎え火、そして送り火、このプロセスの中で果たして自分は自分の息子に何をしめせるのか。 昨日友人からのメールにあった。五山の送り火に使用する陸前高田の松の薪に関する話題に関して彼は、「京都って日本一神社仏閣等が多い街じゃない?今まで京都の宗教者が被災者救援の先導をしたっていう報道を聞いた事がない。」と。実に率直でフランクな疑問だ。そして同時にこれは北伝仏教の東の果ての仏教のなれの果てである葬式屋さん、あるいは観光寺経営者という現状をよく表している。息子にはこの機会に是非仏教に触れてほしい。ただし、本物のブッダの教えに。そのためにもこの季節を大切に一緒に過ごしたい。

2011-08-12 12:12 | ひとりごと | コメント(1)