宮崎にて、そのニ

今日は宮崎市民文化ホールにて「新春ファミリーコンサート」に出演した。オーケストラアンサンブル宮崎の皆さんと一緒にルロイ・アンダーソンの作品を面白おかしく料理した。このルロイ・アンダーソンなる人物にとても興味を持ち始めて、去年より英語の文献を読み漁った。ちょうど1908年生まれなので今年が生誕100年ということなのだ。それにしても日本はもちろんアメリカでもこのアンダーソンの名前と音楽が一致して答えられる人間は少ない。しかし、彼の曲はだれでもが日常に耳にするとても身近で有名である事に驚かされる。代表的なものに、トランペット吹きの休日(これはよく運動会などで聞く物である)、タイプライター(実際のタイプライターをつかって曲にしている)、そしてそり遊び(そりすべり)というクリスマスシーズンには必ずかかっている曲にいたるまで本当に驚くくらいの才能だ。聞く所によると、彼はすべてこれらの曲の著作権を放棄したらしい、だからこそ誰でもが使えるかわりに作曲者としての彼の名前がのこらないのか?まさに大天才はそんなことどうでもよいのかも知れない。
このショーの台本を書いたのだが、アンダーソンにまつわるエピソードはその面白さがつきない。たとえば前出のそり遊びというクリスマスの代名詞のような曲は実は彼が1946年にコネチカットに住んだときの夏が特別な猛暑であったそうであり、その猛暑のなかであの曲を作曲したというのだ!!
そしてこのアンダーソンが生まれ、育ったのが私が論文終了最終段階で住んでいたボストン郊外のケンブリッジと言う町であった。大学、大学院とアンダーソンはハーバード大学に学び、そして博士号は言語学、とくにゲルマン語とスカンジナビア語の研究にて授与されたそうだ。其の上かれはなんと10カ国の言葉をあやつり、戦時中はスカンジナビア語の通訳としても活躍した将校だという。まさにオールマイティーの音楽家である。
とにかく、このコンサートの始まりは以前テレビ朝日の「題名のない音楽会」に出演した時に永六輔師匠にアイディアをいただいた、ロボットでする指揮というのを利用させていただいた。固まったまま二人の男性に抱えられて指揮台にあがり、スイッチをいれられると自然と動き出し、指揮を始めるという具合だ。久しぶりの指揮は本当に緊張した。実際に演奏しているとき、プレーヤーの皆さんは私の指揮などみないで演奏されるわけだが、やはり最初の始まりはこちらがきっかけを出さねばならない!!いや~このキュー出しにほとんどの緊張と神経をすりへらしてしまったようだ(苦笑)小さい子どもさんからお年寄りまで本当に素敵な笑顔でみてくださり、よいコンサートだったと思う。ただ、ここででた弁当もやはりチキン南蛮がはいっていたのにはびっくり!!笑
写真はロボットで指揮をするカンジヤマ・マイム

2008-01-15 01:05 | 公演 | コメント

宮崎にて、その一

宮崎にきた。久しぶりの宮崎だ。あちこちにおデコの広い知事のイラストが氾濫している。「どげんかせんといかん」という今流行っている表現は実は彼の故郷、都城の方言だということを初めて知った。ここ宮崎市の言葉では「どんげかせんといかん」というらしいのだ。言葉って本当に微妙につかみどころが無く、面白いと思った。でもこのイラストちょっとやりすぎかな?どうも麻痺してくる、鼻についてくる・・・・逆にいうとこれが無くなったらどうなるのだろうか宮崎は?(苦笑)
こちらのおやこ劇場さん主宰でニューイヤーマイムなるものを佐土原の会館にてやったが、大盛況だった。当日12日はなんと昼間は23度まであがり、この季節になんと半袖でいないと暑くてたまらないという天気だったのには驚いた。さすが南国宮崎!!とても気持ちがいい。
舞台のあとの交流会にてお母さん達に子育てについて、青少年の夢と生き方などについて様々な質問をされたが、それに答えているうちについつい自分のマイム始めた頃を思い出して話してしまい、久しぶりに自分の辿って来た道を振り返って「まあ、よくもここまできたもんだ」といい意味でも悪い意味でもつくづく思いにふけってしまった。なにしろ自分の家は商人の家、それも6代つづく家業をしており、自分は長男。その長男が突然大学一年のときに、「日本の大学辞めて、演劇勉強しに、ニューヨークの大学の演劇科に入る」と言い出したのだ!!親も面食らったに違いない(苦笑) もちろん自分でも親の立場や思いも痛いほどわかり、それゆえにこころの中で葛藤する日々がつづき、なんとある日、顔面神経麻痺という結果にいたってしまったのだった。様々な神経科に見てもらったがデータに異常はなく、心的なストレスだといわれ、ようやく親も理解をしめすようになった。
まあ、そんなことを思い出しながらお母さん達の質問に答えていて、いつの時代も親は同じ心配をするものだとつくづく思った。
こちらに来て一つ好きになった食べ物がある。それはチキン南蛮なるものだ。お酢の味がきいていてとても疲れた身体にしみるようにおいしかった。つくり方調べてみようっと!!笑
写真は其の時の舞台より

2008-01-13 12:33 | 公演 | コメント

駅のホームにて思ったこと

昨日演芸場の帰りに某駅で電車を乗り換えて、別の列車に乗り込んだ瞬間、自分の後ろでバサッと音がした。その瞬間「すいませーん!!電車を止めてください!!」との必死の声が上がった。後ろを振り向くとなにやら男性が電車とホームの間を必死に覗き込んでいる。「あっ!!」小さな子どもが電車との隙間から線路に落ちた!!みんなで必死になってドアの中央に立ちふさがり、ドアが閉まって列車が発車しないようにした。もうそれ以外のことなど出来る余裕がなかったのだ。・・・・間一髪、駅員が気づき、電車はとまったままになり、そして父親と見られる男性は子どもを両手で引き上げた。ホットする。・・がしかし自分でなんだか足ががくがくして心臓の鼓動が高まったまましずまらなかった。もちろん子どもは大泣きして男性にしがみついている。まわりも安堵のため息をみなでついた。無事で本当によかった。しかし、一瞬の出来事で人間にできることって本当に限られているとつくづく思った。心の準備は大切である。なにがあっても適切な行動ができる人間でありたい。
しかし、またこの父親がもしも聾唖者だったらどうしたのだろうかと思ったら、なんだかぞっとした。日本は様々な意味でバリアフリーの設備がいきわたっていない。もし、他に誰もいずに聾唖者だったら・・・・ぞっとする。そんなたよりない社会なのだ、日本は!!例えば小さな子どもをもってつくづく思う。ベビーカーに子どもを乗せたままエスカレーターは危険ですとアナウンスするくせに、エレベーターがないのだ。じゃあ、そのベビーカーもったまま階段を下りろというのか。実際にそうして苦労して階段を降りている母親が多い。今までに何人のベビーカーの上げ下ろしを手伝ったことか!!情けない社会だ。くだらない事には即金を使うくせにこんな基本がおろそかになっている。例えば東京駅から新幹線に乗る時に車椅子で試しに乗るルートを通ってみてほしい。なんとスロープは端っこにある、そしてそこから上がって、今度ははるかかなたのもう一方の端っこからエレベータがあるのだ。そしてこれもよくあることだが、もしもエレベータがたまたまあり、それにのってホームに出たはよいが、肝心の次の電車の方向と時刻を示す掲示板がまったくその場所にはなく、ぐるっと一回りしないと来る電車の時刻が分からないのだ。本当にその立場に立って計画していないという証拠だと思う

2008-01-10 10:28 | ひとりごと | コメント