駅のホームにて思ったこと

昨日演芸場の帰りに某駅で電車を乗り換えて、別の列車に乗り込んだ瞬間、自分の後ろでバサッと音がした。その瞬間「すいませーん!!電車を止めてください!!」との必死の声が上がった。後ろを振り向くとなにやら男性が電車とホームの間を必死に覗き込んでいる。「あっ!!」小さな子どもが電車との隙間から線路に落ちた!!みんなで必死になってドアの中央に立ちふさがり、ドアが閉まって列車が発車しないようにした。もうそれ以外のことなど出来る余裕がなかったのだ。・・・・間一髪、駅員が気づき、電車はとまったままになり、そして父親と見られる男性は子どもを両手で引き上げた。ホットする。・・がしかし自分でなんだか足ががくがくして心臓の鼓動が高まったまましずまらなかった。もちろん子どもは大泣きして男性にしがみついている。まわりも安堵のため息をみなでついた。無事で本当によかった。しかし、一瞬の出来事で人間にできることって本当に限られているとつくづく思った。心の準備は大切である。なにがあっても適切な行動ができる人間でありたい。
しかし、またこの父親がもしも聾唖者だったらどうしたのだろうかと思ったら、なんだかぞっとした。日本は様々な意味でバリアフリーの設備がいきわたっていない。もし、他に誰もいずに聾唖者だったら・・・・ぞっとする。そんなたよりない社会なのだ、日本は!!例えば小さな子どもをもってつくづく思う。ベビーカーに子どもを乗せたままエスカレーターは危険ですとアナウンスするくせに、エレベーターがないのだ。じゃあ、そのベビーカーもったまま階段を下りろというのか。実際にそうして苦労して階段を降りている母親が多い。今までに何人のベビーカーの上げ下ろしを手伝ったことか!!情けない社会だ。くだらない事には即金を使うくせにこんな基本がおろそかになっている。例えば東京駅から新幹線に乗る時に車椅子で試しに乗るルートを通ってみてほしい。なんとスロープは端っこにある、そしてそこから上がって、今度ははるかかなたのもう一方の端っこからエレベータがあるのだ。そしてこれもよくあることだが、もしもエレベータがたまたまあり、それにのってホームに出たはよいが、肝心の次の電車の方向と時刻を示す掲示板がまったくその場所にはなく、ぐるっと一回りしないと来る電車の時刻が分からないのだ。本当にその立場に立って計画していないという証拠だと思う

2008-01-10 10:28 | ひとりごと | コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。