メンドータ湖の夕日

朝から丸一日大学の図書館で調べ物をした後、疲れを癒しに例の湖畔のテラスに出て軽い夕食をとった。ちょうど西に傾き始めた日は真っ赤に大空を染めながら湖面に浮かぶ無数のヨットを美しいシルエットに映し出し、湖畔でくつろぐ人々の目と心を奪っていた。一日の終わりを、その真っ赤な夕日をつまみにビールで喉を潤しながらの夕食は実に命の洗濯だった。日中真っ青な空を映し出していた湖面は別人のような様相をして静かに波打ちながら徐々に暗さを増してゆく。大自然のショーの前には人間の小手先のエンターテイメントは太刀打ちできない。こんな美しい場所で5年も過ごせた事に感謝したい。しかし、だが、正直のところ実際に苦しかった日々にはこんなに自分が幸せだという事には気付けなかった。人間とは苦境の渦中にいるときは本当に目の前の美しさ、自然の雄大さに目を向けられないものだとつくづく思った。「いつかきっとこうなりたい、きっともっとこんな夢が実現するだろう。」こんなあせりで未来にばかり目を取られている自分に気付く。先日大学の目抜き通りであるステート・ストリートを歩いている時にふと目にしたポスターの言葉が今脳裏を過ぎる。いわく、 “There is no way to happiness. Because happiness is the way.” 「幸せに続く道程などというものは存在しない。なぜならば、その道程自体が幸せそのものなのだから」 今、この瞬間、これが地獄か極楽かは自分の心が決めているのだろう。実に“Power of Now” である。自分のマイムの師、トニー・モンタナロ氏の最後のアドバイスでもあった。(写真上はテラスの夕日。下はその北にあるMaple Bluffでの夕日)

2008-08-17 08:32 | つれづれなるままに | コメント

アメリカ人の食生活

様々な友人、恩師に招待を受け、そのたびに今更ながらつくづく思うのだが、とにかくアメリカ人の食生活は身体に良い事はあまり無い(苦笑) 一つ一つの食べ物の量もさることながら、その内容も実に過剰な油と糖分に満ち溢れている。また、その食事と共に飲むソフトドリンクはたとえダイエットと名をうってはいても、さすがにそのグラスの大きさを見ると圧倒される。その豪華な?食事の後に必ず当たり前のように出されるデザート。それはそれはドでかいアイスクリームやケーキ!!日本人ならば三人くらいで食べても余りそうな大きさだ。もっと恐ろしいのはこの習慣が徐々に当たり前に思えてくるという事実だ。
それに対して(ニューヨークやボストンなどの大都会は例外だが)人々の歩き回る距離はあきれるほど少ない。一歩家を出るにも車にのる。家のガレージからショッピングモールの入り口まで車に乗って移動。そしてハンバーグから銀行までを車で通過しながら街を走りまわる。これでは肥満になるなという方が不自然だ。特にボストンからマディソンに入ると人のサイズの大きさがつくづく感じられるのだ。いけない、いけないと思いつつ、デザートを出されると断りきれない、やはり根が日本人なのだ(苦笑) まずい!本当に困ったものだ(汗) 
写真はデリに並ぶ恐ろしいほどのケーキの数々!!

2008-08-15 08:25 | つれづれなるままに | コメント(2)

ウィスコンシン州、マディソンにて

8日夜にマディソンに到着後、さまざまな旧友、恩師にご招待を受け、挨拶周りをしているうちに日にちがどんどん過ぎていってしまった。しかし、母校ウィスコンシン大学は、やはり美しいキャンパスだ。二つの大きな湖、メンドータ湖とモノナ湖に挟まれてくぼんだ地峡(isthmus=ちょうど佐渡島の中央のくびれのような場所)に位置するのがマディソン市なのだが、その中央のメンドータ湖に面するマンモス校がこの大学だ。テラスと呼ばれるいわゆる学食の外庭はこのメンドータ湖に臨む憩いの場なのだが、これが実に美しい。夏場には何十艘というヨットがその帆を風になびかせている。青い空を満面に映し出す湖と白い帆、そしてまわりの緑の森のオーケストレーションが時の過ぎ去るのを忘れるくらい人の心をじっとさせてくれる。しかし、実はこれも4−9月一杯くらいの間だけ。あとは雪に覆われて冷たい冷たい日々が続く。しかし、だからこそこの限られた夏から秋の期間、この湖に面したテラスは多くの人々を誘う。ちなみに屋外でビールを飲める学食としては全米でもその名をはせているらしい。自分が8年前に初めて訪れたときも、この美しい風景にうっとり惚れ込んでしまった。思えば最後まで悩んで迷ったニューヨーク大学博士課程との比較の中で、大きく自分の心を誘ってくれたのがこのテラスだったのかもしれない。今少々ばて気味だった身体と心をこのテラスがゆっくりと癒してくれそうな気がする。人生ボーっとする時間が必要だ。緊張の後には弛緩する必要がある。張り詰めた琴をたとえに仏陀もそう諭していたような気がする。そういえば八年前このテラスで最初に出会って話し込んだのがチベットの尼僧さんたちだった。日本は御盆。遠く離れた地から先祖に感謝をこめて目をつぶろう。 (写真はウィスコンシン大学のテラス)

2008-08-14 07:59 | ひとりごと | コメント(3)