ついに4代目に引導が!!

昨日、秋葉原の東芝でいよいよ私のパソコンである、4代目ダイナブックが引導を渡された。ハードディスクとDVDプレーヤーが非常に調子が悪かった。今まで四台ともにそれぞれ大きな役割を担ってくれたパソコン達だった。初代のPCは初の著書「おしゃべりなパントマイム」を書き上げ、二代目はそれに続く「ザ・パントマイム」を、そして三代目により、晩成書房から2000年渡米直前に出版した翻訳書、「パントマイムのすべて」を完成させた。しかし、なんといっても今回の四代目ダイナブックはひと際思い出深いモバイルパソコンだった。なにしろ300ページにわたる博士論文を仕上げたのはこのパソコンだったからだ。これを片手にウィスコンシン大学の図書館をはじめとして、ハーバード大学イェンチンライブラリー、日本の国会図書館、早稲田大学図書館、東京芸大図書館などなどをめぐりめぐってリサーチしながら書き続けた日々が詰まっている。多くの友人、恩師からのメールでの励ましもこのPCを介して沢山いただいた。しかし、やはりこの世の常で、形あるものは必ず壊れてゆく宿命なのだとつくづく自分に言い聞かせてもいた。
帰りに秋葉原の電気街を右往左往し、今でているパソコンを見て歩いた。しかし、どこできいてもウィンドウズ・ヴィスタは評判がよろしくないのには驚かされる。なんとなく自分の身体の一部が滅びてしまったような虚無感を払拭させるために、普段やらないことをやろう、と思い立った間際に目の前に一人のコスプレ少女が若者に囲まれて写真を撮られていた。ええい、こうなったら、北海道ツアーのときにミートホープで記念写真とったノリで写真撮っちゃおうと、その少女に写真を撮らせてもらったのがこれです(苦笑)
最初はその系列のコスプレかなにかのお店の広告のために駅前にたたずんでいると思ったのだが、よくよく聞くと、なんと高校の卒業旅行で地方から上京しているただの普通の女の子だった!!(お断りしておきますが、自分はなにもやましい気持ちでこの少女に近づいたわけではありません!!汗・・・苦笑)しかし、世の中変わったもんだ。もうついてゆけない。芸人より度胸あるかも(苦笑)
ちなみに、ブログへの掲載許可を確かめるとその少女は条件として彼女のブログを紹介するということを言い出した。http://ameblo.jp/cyas-pon/ 

2008-03-19 12:12 | ひとりごと | コメント

体感記憶

昨日は目黒で公演があった。なんと10数年ぶりに訪れる会館であったのだが、其の会館の搬入口から衣装などを運び入れている時に其の10数年まえにこの会館で公演したときの記憶が鮮明に蘇ってくるのに驚かされた! 音響のスタッフがそこで仕込みの時に使っていた曲、其の時あった楽屋でのある事件、その他こんな細かい忘れていたはずの事が沢山蘇ってきたのだ。これには驚いた。実に体感記憶と言う奴だろうか。
昔、指圧の国家試験(カンジヤマは指圧師の免許ももっているのだ!)に向けて脳生理学を勉強していた時に面白いビデオをみた。昔のアメリカかどこかの記録映像だが、患者さんの脳を(側頭部)を露出して電気刺激を様々な部位に与えながらその患者さんがなにを感じているかを医者がインタビューしていたのだ。こんな事もちろん今では考えられないが、だが、其の映像で側頭部のある特殊な部位を刺激すると、其の患者さんは昔よく聞いていた、(そして今はすっかり忘れていた)あるメロディーが聞こえたそうだ。つまり忘れていたと思われていた記憶も、実は脳内に必ず宿っており、それを単に引き出すすべを知らないという事なのだろう。
そして今朝方は其の昨日の刺激のせいか、明け方昔の友人の夢をみていた。(実はかなり怖いゆめだったのだが・・・・汗)ん~、まだまだ記憶のメカニズムは解明されていないようだが、不思議な事が沢山ある。この体感記憶、おそらくある形でデータ化されて脳に潜んでいるのだろう。そしてある初めての経験がその脳内データに近い時、もしかしたらデジャブがおこるのだろうか。ん~わからん。それともこれって本当に前世の記憶?!
昨日楽屋をお世話してくださった女性の方が話してくれた。「うちの子、前回いらしてくださったとき、小学校の3年生くらいでした。今はお蔭様で大学にいっております。」・・・一瞬どっと歳月の重さを感じたが、カンジヤマのやったマイムを今でも鮮明に覚えてくれていたともうかがった。こうして自分は何百、何千,いや何万の子ども、青少年たちの記憶のどこかに必ず残っている記憶の一部となるのだという実感を感じた。だとするならば、本当にいい記憶を残してやらねば

2008-03-17 07:31 | ひとりごと | コメント

沖縄にて

カルマヨーガという言葉がある。実践のヨガ、実行のヨガ、そして、行為のヨガ、結果、見返りを求めないヨーガとも訳される。人間が自分の能力の限界を悟った時に本当の行為のヨーガができるという、今日は沖縄でそれを学ばせていただいた。
詳細はここではあえて書かない。なぜならばあまりにプライベートな事だから。とにかく今日も例のごとく病院をたずねて子どもたちにマイムをみせた。その後、マイムを見に来る事ができなかった子どもの病室にいってマイムを見せることにした。病室に入ると予想をこえた痛々しい子どもの情景が目に飛び込んできた。「なぜこんな可愛い子が?!”」素直な最初のこころの叫びだった。あまりに予期しなかった状況に一瞬とまどった。その子は泣いていた。ベッドにすがって泣いていた。「もしかしたら、自分にはこれは無理だ!」と思った。でも同時にその子がとっているポーズが自分の息子と重なったのだ。其の瞬間心の中でつぶやいていた「どうか誰か自分の身体を使ってください!!」と・・・・・
その後は夢中で実はあまり覚えていない。無我夢中で出来る事すべてした。気がついたらその女の子が僅かに微笑んでいた。・・・嬉しかった。確かにさっきまで泣いていた子が微笑んでいた。終わってみると疲労からかすっかり気持ち悪くなり、帰りの車で久しぶりに酔ってしまった。
今日は自分の力ではなかった。どこかの大きな力が自分を動かしてくれた。本当にそんな気がした。こうしたい、こうなって欲しい、それだけだった。あとは天に任せた。でも天が動いてくれた。感謝だ。この子が微笑むマイムができて本当に嬉しい。よかった。

2008-03-14 02:29 | ひとりごと | コメント