and this too shall pass

本当はブログなど書いている時間はない、はず、なのだが・・・極度の忙しさとストレスで寝られない日々が続いている。迫りくる原稿の締め切り、舞台の仕事、公演の準備、授業の準備、学生の指導、試験の採点、事務仕事、論文のスピーチ原稿、etc, etc・・・最近は朝10kmのランニングもサボっている(涙) おいおい、このままじゃメタボマイムになるぞ~!! メタ、メタ、meta?…….メタ・認知(metacognition)という言葉がある。自分の情動について客観的視できる能力のことだそうだが、今の自分は完全にこの怒涛のvicious cylce (悪循環)の中に完全に足を取られて抜け出せずにあがいている状態だ。ん~思い切って二時間くらいヨガができれば・・・なんて考えつつ、体がついてこない
以前このブログで自分の携帯アドレスのことに触れた事がある。and this too shall pass…
2001年にBS放送「この人この芸」という番組に出演したときに「好きな言葉は?」ととっさにアナウンサーに聞かれて答えたものだが・・・「そして、これも過ぎ去るもの」直訳すればこのようになるが、実はこれには深い意味があるのだ。
その昔、ソロモン王が側近の賢者に「苦しみのどん底にいる人間が聞いたら歓喜に踊り、幸福の絶頂にいる人間がきいたら愕然とする」そんな知恵の塊りをさがしだせと命令したそうな。その賢者苦労して全国行脚し、ある日露天商の前を通りかかった。さてさてその露天商の老人がならべる骨董品を見渡していると、その老人が「何かお探しか?」と聞いてきた。賢者は事の成り行きを話すと、その老人は「ならこれはどうかの?」といって、おもむろに商品の中から指輪をとりあげ、そこになにやら言葉を掘り出したそうな。賢者はその指輪をソロモン王に持ち帰ると、王はまさしくこれはその知恵に間違いないとご満悦だったという。
苦しみも、幸せもいつまでも永遠に続くものではない、そしてこの瞬間も常に過ぎ行くものである・・・こんな意味だろうか。つまり所業無常。闇が深ければ夜明けはそれだけ近いという。ん~もっと暗くなりそうだ(苦笑)これもまた過ぎ行くもの・・・深いな~ デモ過ぎたら楽しい思い出なんだろうな~(笑)こんな繰り返しが人生かも・・・そして何度これを繰り返してきた事か。 今できる事、それは今を味わう事。そして吾唯足知(吾唯足る事のみを知る) 今が一番!!楽しまなくっちゃ。だって今しかないものね。この文章多少分裂ぎみです。失礼(写真は今の自分の癒しグッズ!? 息子の寝顔を下から撮ってみました爆)

2008-06-05 06:45 | ひとりごと | コメント

東村山公演

いよいよ6月、まず最初の日曜日は東村山での英語とマイムのショーで始まった。このショーもいよいよ構成にたくさん遊びが出てきてどんどん面白くなってゆく。基本動詞の動詞句がいかに日常で使われて便利かをマイム的なユニークな解説を施しながら動いて笑いながら学ぶ異色英語教育マイムショーなのだ。
最近またまた新聞紙上で教育再生懇談会が英語教育の強化を求めて、国に小学校3年から英語を必修化するように提案した。そしてそのために英語教師にTOEICなどであるレベルの点数を取る事を条件とするように提言した。「おいおいおい!!もっと慎重にかんがえてくれ~」理想はいいが足元の現実を見ようぜ!!そんなに豊富に人材が確保できるものだろうか。TOEICなどで英語教育の適性が判断できるのだろうか?もし、今現在自分の息子が英語教育を小学校で受けねばならないのなら、そしてそれが絶対の義務ならば、自分はあえて日本を出たいと思っている。なぜならば弊害が多すぎるからだ。今自分は息子になるべく標準的な英語の音に耳をなじませてもらうように努力している。遊んでいる背景にもなるべく生の英語を流している。だから最近までりんごは「エポー」(これはもちろんなるべく英語らしく表記しているつもり)と発音していた。だが、大正生まれの両親と一日遊ばせていたら、いつの間にか夕飯の時刻あたりには「アップル」と見事におじいちゃんの日本語的な音!?になっていたのだ!!(笑)こんなことが今現在の小学校で起こっていることはまず間違いない。そしてそんな弊害をあえて今なぜ推進しようとするのだろうか。
まずは人材育成を心がけましょうよ!!そして文科省もちゃんと過去の教育方針の効果と結果をみすえて責任の所在をはっきりさせるような仕組みをつくってほしいものです。なぜならば過去の教育方針(たとえばゆとり教育)の失敗などの責任はだれがとったのでしょうか?いいな責任取らないですむ仕事って!!ひずみは子どもたちがかぶり、そして誰もその責任をとらないまま、またまた変な方向へ英語教育が進み始めている今日この頃の日本です。(写真はカンジヤママイムの英語とマイムのバラエティー)

2008-06-02 06:27 | イベント | コメント

utubeおそるべし

マイムの理論と歴史の授業で学生のプロジェクトがそろそろ始まった。近代までのマイム芸人はあまりビジュアル素材がないので、自分がほとんどを講義でカバーしたが、そろそろ学生たちにもプロジェクトとして主たる身体芸人のリサーチをしてもらっている。今日はスイスのクラウン、グロックだった。その芸一つ一つに学生たちが驚嘆の声をあげていたのがとても嬉しかった。そうなのだ、本物の芸は時を隔ててもその輝きを失わないのだ。思えばこのグロックの芸に最初に触れたのが80年代の前半だった。ニューヨークの友人がすごいビデオがあるぞと自慢げに見せてくれたが、それを見てぶっ飛んだ。その驚きの芸がいまだ若者たちの心をつかむのだ。たとえば今のテレビのお笑い芸人たちの芸は果たして何十年後それを見て驚嘆するに値するものであり続けるだろうか?身体芸人たちのおそるべき芸の数々に触れるたびにその圧倒する迫力に関心するのだが、その裏には想像を絶する努力と忍耐があるのは当然のことだ。
それにしても80年代に初めてこのグロックのビデオに触れたとき、必死にそのビデオを入手しようと東奔西走したが、なかなかこれが手に入らなかった思い出がある。まさにアメリカ中をかけめぐってやっとの思いでVHSテープを手に入れたときは嬉しかった。それが現代においては信じられないくらい容易にUチューブ上で手に入る。時代とは恐ろしいものだ。だが、しかし、かといって反面便利であるということと、その価値を十分に活用できるということとは別問題である。
たとえば、今は英語学習のための生の英語教材が巷に氾濫している。誰でもどこででもすぐに生の英語に触れられて、そしてそれらを簡単に録音できて、英語が学習できる環境がある。が、しかし、それが果たして今の学習者たちにとって本当に有効活用されているのだろうか?
自分が学生のころ本物の英語が聞きたくても、そうは簡単に手には入らなかった時代であった。生の英語のテープは本当に高価で、めったに入手できないものだった。そんなときに必死に手に入れたケネディー大統領の就任演説。まさに貴重品だった。それが今ではこれさえもUチューブで簡単に手に入ってしまうのだ。だが、学生のころの自分は、この希少価値があったカセットテープを手にしたときから、これをそれはそれは大事に四六時中もちあるき、常に耳にイヤーフォンで聞き続けた。その甲斐あって、お陰でケネディー大統領の就任演説はすべて音だけで丸暗記できたのだ。今でもすらすらケネディーの物まねができるほど彼のニューイングランドアクセントは自分の中で生きつづけている。もしかして今のように用意に入手できたらこれほど大切に集中できたかどうか。
これと同様、芸人のヴィジュアル資料にしてもそうだとおもう。一つ一つの価値をどのように生かすかというのは本当に個人の意識でしかない。
願わくば、この価値が一人でも多くの学生にわかってもらえるように願っている。(写真はスイスの偉大なクラウン、グロック)

2008-05-30 12:26 | ひとりごと | コメント