utubeおそるべし

マイムの理論と歴史の授業で学生のプロジェクトがそろそろ始まった。近代までのマイム芸人はあまりビジュアル素材がないので、自分がほとんどを講義でカバーしたが、そろそろ学生たちにもプロジェクトとして主たる身体芸人のリサーチをしてもらっている。今日はスイスのクラウン、グロックだった。その芸一つ一つに学生たちが驚嘆の声をあげていたのがとても嬉しかった。そうなのだ、本物の芸は時を隔ててもその輝きを失わないのだ。思えばこのグロックの芸に最初に触れたのが80年代の前半だった。ニューヨークの友人がすごいビデオがあるぞと自慢げに見せてくれたが、それを見てぶっ飛んだ。その驚きの芸がいまだ若者たちの心をつかむのだ。たとえば今のテレビのお笑い芸人たちの芸は果たして何十年後それを見て驚嘆するに値するものであり続けるだろうか?身体芸人たちのおそるべき芸の数々に触れるたびにその圧倒する迫力に関心するのだが、その裏には想像を絶する努力と忍耐があるのは当然のことだ。
それにしても80年代に初めてこのグロックのビデオに触れたとき、必死にそのビデオを入手しようと東奔西走したが、なかなかこれが手に入らなかった思い出がある。まさにアメリカ中をかけめぐってやっとの思いでVHSテープを手に入れたときは嬉しかった。それが現代においては信じられないくらい容易にUチューブ上で手に入る。時代とは恐ろしいものだ。だが、しかし、かといって反面便利であるということと、その価値を十分に活用できるということとは別問題である。
たとえば、今は英語学習のための生の英語教材が巷に氾濫している。誰でもどこででもすぐに生の英語に触れられて、そしてそれらを簡単に録音できて、英語が学習できる環境がある。が、しかし、それが果たして今の学習者たちにとって本当に有効活用されているのだろうか?
自分が学生のころ本物の英語が聞きたくても、そうは簡単に手には入らなかった時代であった。生の英語のテープは本当に高価で、めったに入手できないものだった。そんなときに必死に手に入れたケネディー大統領の就任演説。まさに貴重品だった。それが今ではこれさえもUチューブで簡単に手に入ってしまうのだ。だが、学生のころの自分は、この希少価値があったカセットテープを手にしたときから、これをそれはそれは大事に四六時中もちあるき、常に耳にイヤーフォンで聞き続けた。その甲斐あって、お陰でケネディー大統領の就任演説はすべて音だけで丸暗記できたのだ。今でもすらすらケネディーの物まねができるほど彼のニューイングランドアクセントは自分の中で生きつづけている。もしかして今のように用意に入手できたらこれほど大切に集中できたかどうか。
これと同様、芸人のヴィジュアル資料にしてもそうだとおもう。一つ一つの価値をどのように生かすかというのは本当に個人の意識でしかない。
願わくば、この価値が一人でも多くの学生にわかってもらえるように願っている。(写真はスイスの偉大なクラウン、グロック)

2008-05-30 12:26 | ひとりごと | コメント

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