The Red T!!

今朝一番で宅配便がきた。中には二枚の真っ赤なTシャツ。先日学会発表の為にウィスコンシン州マディソンの母校を訪ねた友人が送ってくれたUniversity of Wisconsinの文字入り、スクールカラーのTシャツだ!嬉しさに舞い上がった。もっとも最近学会に発表しにいくと知らせをくれた彼に半ば無理やり頼み込んだのだが・・・(汗) (すまない富!!ありがとう、がんばれ東工大博士)
自分は身の回りにいつもウィスコンシングッズを置いているのだが、この新しい2枚のTシャツもそのひとつで旅で長い長い旅を過ごす車の前列シートにいつもかぶせているのだ。自分にとって苦しい事やつらいことがあるといつも励ましになるこのウィスコンシングッズの一つがまた新しくなる。メガネケースにはウィスコンシンのマスコットのアライグマのバジャー、パソコンにはウィスコンシンの真っ赤なWマーク、そしてカバンの中には常にウィスコンシンの応援歌のOn Wisconsin の電子音のなるキーホルダーがある。どうだ、まいったか(爆)
そのウィスコンシン時代の友人の仲間の一人から最近一緒に本を出版しないかという誘いが最近あって今企画を練っている。どんなものになるか楽しみだ。さてさて今夜は落語協会の都内の企画寄席に出演です。

2009-10-23 09:55 | ひとりごと | コメント

怒涛の二日間

一昨日は玉川大学を一日教えた後、スタッフのメンバーを先に名古屋へ車で送りだし、自分は夕方から紀尾井町のホテルニューオータニへ赴いた。いつもお世話になっている江戸屋小猫師匠の江戸屋猫八襲名披露パーティーに出席するためだ。いやー、その豪華な出席者の数々!!さすがは江戸屋猫八、小猫師匠の人脈には圧倒された。まずは冒頭のあいさつに自民党河野洋平氏。氏はそのスピーチの頭で「あちら側では世襲制があれこれ言われておりますが、こちら側の世襲はめでたいことで・・・」ってうまいことをおっしゃっていた。でも「こちら側はあちら側ほどそんなに甘くはないよ」って頭の中で呟いていた自分がいた(苦笑) 本当に芸能界はあちら側比べ、その評価は甘くないものだ。続いて鏡開きには元横綱千代の富士の九重親方をはじめ、徳光さんに、笑福亭鶴瓶師匠、その他とにかく華やかな面々。それを進行するのがこれまたフジテレビの露木アナウンサーと来た。途中には舞台を終わらせてかけつけた播磨屋こと、中村吉右衛門氏。鬼平犯科帳シリーズで先代猫八師匠と共演なされていらしたことを思い出した。フレンチのコースと矢継ぎ早に注ぎそそがれるワインに酔いしれているうちに時間制限に!!あわててニューオオタニを飛び出して一路東京駅へ向かい、そのまま新幹線で一宮へ。深夜にホテルについた。
今朝は9時から近くの文化会館で仕込み、公演。某高校での芸術観賞会は舞台条件は最良ではなかったが、内容的にはとてもよかったと思う。マイムを見たことのない高校生たちが大笑いしながら最後は真剣に舞台に集中してくれた。好きな事教えて、いろんな人と出会えて、そして舞台ができる最高の幸せ。感謝感謝だ。公演前にまたまたいくつかの連絡が入り、今後の舞台がインフルエンザのためにキャンセルになり、少々がっかりしていた矢先、来年6,7月にかなりまとまったステージが決定したので、これもバランスだなと思い、またまた感謝だった。舞台が楽しい。やれる限り舞台をやっていきたい。

2009-10-22 12:17 | つれづれなるままに | コメント

故郷は遠きにありて・・・

先週末実家に立ち寄った。地元の松戸神社の祭だったので息子に自分が子供時代に親しんだあの夜店と人混みのわくわくする雰囲気を味あわせたかったのだ。ところが、ところがだ。昔の祭の際には神社入り口まで出店と人とでごった返していたあの風景はまったくなかった。ショックだった。閑散とした境内には人影はまばらで、出店は計5件くらいがひっそりと端っこにたたずんでいた。近くで綿菓子を作っていたおじちゃん(といってもおそらく自分より年下だとおもうが)に話しかけた。「どうしたの?この閑散とした状態は?」彼の答えはいたって簡単。もう松戸の中心部には子供がいないで年寄りばかりだと。そして10年くらい前からまったく祭に人が集まらなくなった。だから「俺(彼自身)みたいに地元出身の者でなければ、こんなに儲からない所にはこないよ」というのだ!! 彼とかなりの時間立ち話をしてその昔の名物「「文化フライ」(かなり怪しげな油で揚げてソースで食べるフライもの)の話に盛り上がったのだが、本当に寂しかった。よく何十年ぶりに私のように松戸の祭をたずねてきて同じような驚きに打ち拉がれている中年や初老の人々がいるそうだ。・・・とりあえずお参りをして、そのおっちゃんから500円もする綿菓子を義理で買い、杏あめを息子に買い与え、帰ってきた。翌日は、さすがに11年ぶりという神幸祭という特別行事があったので、そのペイジェントには人があふれてはいた。しかし、あの夜の祭りの静かさのショックはいまだに残っている。
その翌日の18日の神幸祭というものだが、もともと江戸中期に始まる古式神輿祭が再興されたものらしい。東南西北の各方位をつかさどる四神の像、青竜、朱雀、白虎、玄武を筆頭に稚児行列や山車など様々な趣向をこらしたペイジェントだ。これを息子とみていて実に不思議な感慨に浸った。実は今大学で教えている演劇史でも必ずヨーロッパ中世の宗教劇のペイジェントをたどるのだが、実に類似し、重なる要素が沢山見られるのだ。ヨーロッパ中世はもちろんローマカトリックをその本山とし、キリスト教の一大宗教劇が山車に乗せられ、民衆の遊び心と合体して驚異的な人気を博したらしい。おもに職人の組合のような組織が趣向を凝らしてそれぞれの技を誇示するかのような一大スペクタクルを展開したという。
院生時代にかなりこの中世の宗教劇の詳しいリサーチをやったことがある。例えば、ノアの箱舟のような劇には船づくりの職人のギルド(組合)が駆り出され、それこそ凄い技を見せ付けるために一大スペクタクルを繰り広げるのだ。現在のベルギーのある町で行われたこの劇はたとえば、その屋外ステージの裏に立ち並ぶ家の屋根屋根に大きなワインの樽を並べ、そこに水をためておく。そして洪水のシーンにはその水を一気に男たちが栓を抜いてステージ上に降らせるのだ!!記録によるとかなり長い間その雨というか洪水は続いてステージに降り注いだという。またノアの奥方がこれまたコミカルなヒステリーに描かれており、ノアに対していつも文句たれていながらいざ箱舟へという時に乗るのを拒絶するといったコメディーが展開されたりする。つまり劇自体の内容は真面目でも大衆がそれなりに楽しませられる仕組みになっていたのだ。いってみれば宗教の笠をかぶった大衆娯楽とでもいうラベル付けも可能かもしれない。
おそらく日本のこういったペイジェントも今のような地味なものではなく、もっと娯楽志向を凝らしたものだったに違いない。特に民衆の娯楽というものがそれほど多様化していない時代だったからこそ。本当に文化の違いこそあれ、日本の中世も宗教をベースに同じような民衆の楽しみが宗教のデモンストレーションを通じてあったということだ。同じように山車に乗せられた崇拝対象物やら象徴的な物体などが所狭しと町を練り歩く。この民衆の娯楽的な宗教儀式はそれぞれの時代に日常生活からのひと時の逸脱を楽しみ、エネルギーを発散させる安全バルブのような役割を果たしていたのかもしれない。写真はその行列と中世宗教劇からのイメージ




2009-10-20 12:00 | つれづれなるままに | コメント(1)