故郷は遠きにありて・・・

先週末実家に立ち寄った。地元の松戸神社の祭だったので息子に自分が子供時代に親しんだあの夜店と人混みのわくわくする雰囲気を味あわせたかったのだ。ところが、ところがだ。昔の祭の際には神社入り口まで出店と人とでごった返していたあの風景はまったくなかった。ショックだった。閑散とした境内には人影はまばらで、出店は計5件くらいがひっそりと端っこにたたずんでいた。近くで綿菓子を作っていたおじちゃん(といってもおそらく自分より年下だとおもうが)に話しかけた。「どうしたの?この閑散とした状態は?」彼の答えはいたって簡単。もう松戸の中心部には子供がいないで年寄りばかりだと。そして10年くらい前からまったく祭に人が集まらなくなった。だから「俺(彼自身)みたいに地元出身の者でなければ、こんなに儲からない所にはこないよ」というのだ!! 彼とかなりの時間立ち話をしてその昔の名物「「文化フライ」(かなり怪しげな油で揚げてソースで食べるフライもの)の話に盛り上がったのだが、本当に寂しかった。よく何十年ぶりに私のように松戸の祭をたずねてきて同じような驚きに打ち拉がれている中年や初老の人々がいるそうだ。・・・とりあえずお参りをして、そのおっちゃんから500円もする綿菓子を義理で買い、杏あめを息子に買い与え、帰ってきた。翌日は、さすがに11年ぶりという神幸祭という特別行事があったので、そのペイジェントには人があふれてはいた。しかし、あの夜の祭りの静かさのショックはいまだに残っている。
その翌日の18日の神幸祭というものだが、もともと江戸中期に始まる古式神輿祭が再興されたものらしい。東南西北の各方位をつかさどる四神の像、青竜、朱雀、白虎、玄武を筆頭に稚児行列や山車など様々な趣向をこらしたペイジェントだ。これを息子とみていて実に不思議な感慨に浸った。実は今大学で教えている演劇史でも必ずヨーロッパ中世の宗教劇のペイジェントをたどるのだが、実に類似し、重なる要素が沢山見られるのだ。ヨーロッパ中世はもちろんローマカトリックをその本山とし、キリスト教の一大宗教劇が山車に乗せられ、民衆の遊び心と合体して驚異的な人気を博したらしい。おもに職人の組合のような組織が趣向を凝らしてそれぞれの技を誇示するかのような一大スペクタクルを展開したという。
院生時代にかなりこの中世の宗教劇の詳しいリサーチをやったことがある。例えば、ノアの箱舟のような劇には船づくりの職人のギルド(組合)が駆り出され、それこそ凄い技を見せ付けるために一大スペクタクルを繰り広げるのだ。現在のベルギーのある町で行われたこの劇はたとえば、その屋外ステージの裏に立ち並ぶ家の屋根屋根に大きなワインの樽を並べ、そこに水をためておく。そして洪水のシーンにはその水を一気に男たちが栓を抜いてステージ上に降らせるのだ!!記録によるとかなり長い間その雨というか洪水は続いてステージに降り注いだという。またノアの奥方がこれまたコミカルなヒステリーに描かれており、ノアに対していつも文句たれていながらいざ箱舟へという時に乗るのを拒絶するといったコメディーが展開されたりする。つまり劇自体の内容は真面目でも大衆がそれなりに楽しませられる仕組みになっていたのだ。いってみれば宗教の笠をかぶった大衆娯楽とでもいうラベル付けも可能かもしれない。
おそらく日本のこういったペイジェントも今のような地味なものではなく、もっと娯楽志向を凝らしたものだったに違いない。特に民衆の娯楽というものがそれほど多様化していない時代だったからこそ。本当に文化の違いこそあれ、日本の中世も宗教をベースに同じような民衆の楽しみが宗教のデモンストレーションを通じてあったということだ。同じように山車に乗せられた崇拝対象物やら象徴的な物体などが所狭しと町を練り歩く。この民衆の娯楽的な宗教儀式はそれぞれの時代に日常生活からのひと時の逸脱を楽しみ、エネルギーを発散させる安全バルブのような役割を果たしていたのかもしれない。写真はその行列と中世宗教劇からのイメージ




2009-10-20 12:00 | つれづれなるままに | コメント(1)

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