日本は全員ダチョウ倶楽部?

オストリッチ・シンドロームという言葉がある。ダチョウ症候群とでも訳すのだろうか?ダチョウは、敵に追われ、最後に追い詰められると、地面の穴に頭を突っ込んで、現状から目をそらすそうだ。(本当かな?苦笑)
英語でもこの表現は使われている。ostrich putting its head in the sand あるいはこのような現実逃避をhead-in-the-sand disregard とも言う。
最近この表現をしきりに思い出す事がある。実は子どもが通う某保育園に一週間前、自らガイガーカウンターでの園庭の砂場の放射線量の計測を申し入れた。そして結果次第によってはみんなで表面の土を取り除こうと提案した。(もちろん結果が何もなかったら万々歳だ!!) そして一週間が過ぎ、園長からの返答を聞いた「まだ理事長や市役所から回答がありません」???????
がっかりした。実にがっかりだ。妻がとても上手な喩で私の怒りを解説してくれた(感情的になった私は、果たしてこれは自分が異常なのだろうかと、必死にこの不条理を理性で理解しようと努めていた)。妻曰く、「もしもガラスの細かい破片が園庭の砂場にばらまかれたとする。果たして園は父兄が自ら実際の状況を確認させてくれと申し入れたら、一週間たった後で、いまだ回答がないなどといえるだろうか?この一週間子供たちはこの園庭で実際に遊んでいるのだ!!」 放射線は目には見えないが確実に存在する。そして、その影響は幼児が一番感受性が高く受けやすい。それも、今、流行りの「今すぐ直接的に健康に影響は無い」のは当たり前で、影響は5~10年後に出るのだ!!
もっともこれは日本という国の縮図のようなもの。みなこういった客観的な事実としてのデータから目をそらそうとしているような気がする。いや、目をそらさせようとされている。そしてその先陣をきるのが文科省や厚生労働省。成田や横浜の倉庫にはアメリカやフランスから日本人の為に寄贈されたガイガーカウンターが万の単位でそのまま配布されずに眠っているという。二カ月も過ぎてだ!!そしてパニックを避けるために?風評被害??を避けるためにという、一種の詭弁というか、偽の「言い換え」を駆使しながら現実逃避を続けている。そして一方では官僚や政治家たちは自分の子息の安全は速やかに確保している。
では、どうしたらよいのか?まずは目の前から始めよう、現実をしっかり目にして、そして対策を講じればよいのだ。恐れる事もない、まずはデータをしっかり直視しよう。それにはそれぞれの組織、機関の長が勇気と自分の判断力を持たねばならない。だから長なのだから!!世田谷区長はそれを立派に成し遂げつつある。世田谷区では各保育園、幼稚園で放射線量を測定させるという!!素晴らしい。だから私たちは選挙の際、長とつくものを選ぶのに最新の注意を払わなくてはならない。そうしないとペテン師やら詐欺師にそのポジションが乗っ取られるのだ。辞めると言って辞めないダチョウペテン師、そしてそのペテン師をだまして辞めない詐欺ダチョウペテン師、今まで原発を推進してきたのに現政権だけが悪いが如く執拗に辞めろというが、それ以上の具体案をだせずにいる野党ダチョウペテン師がゾロゾロ・・・・

2011-06-04 01:50 | ひとりごと | コメント(7)

ドラマによる心的外傷の修復

玉川大学芸術学部で担当している講座、「芸術教育と支援」で使用しているダニエル・ゴールマン著、『EQ:心の知能指数』という本がある。この第13章「心的外傷の修復」の書きだしはこうだ: (以下EQより引用)
カンボジア難民だったソム・チットは、三人の息子におもちゃのAK−47マシンガンを買ってほしいとせがまれて躊躇した。息子達—11歳と9歳と6歳は、学校で友達がやっている「パーディー」という遊びをするためにおもちゃのマシンガンをほしがったのだ。その遊びではパーティーという名の悪者がサブマシンガンを使って子どもたちを殺戮し、最後の自分自身に銃を向けて自殺することになっている。ただし、時には子供たちがパーティーを殺すという展開になることもある。(引用終わり)
上記の「パーディー」とは1989年2月17日にカルフォルニア州ストックトンのクリーブランド小学校にて数百人の子供たちに向かって銃を乱射した犯人の名前だ。その後彼は自分の頭部を撃ち児童の目の前で自殺する。5人の児童が死亡し、29人が重軽傷を負った。この衝撃的な事件の後、この学校の子どもたちは自然発生的に上記の「パーディー」というゲーム、遊びを始めたのだという。子供たちは、いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)を本能的に癒すために、このようなショッキングな体験を安全な遊びとして再体験するのだそうだ。ダニエル・ゴールマンによるとこの遊びには二つの治癒に至る経過があるという。ひとつは安全な状態=不安感の恐れがない状況においてそのトラウマ的な記憶を再現することにより「記憶に正常な反応を結びつけること」だ。そしてもう一つは想像力により、現実に起こった悲劇的な結末とは違った明るい展開を与えることによって「悲劇の際の無力感を克服する」のだそうだ。 こういった症例はこれ以前からも様々な場合にレポートされてきた。これを劇の応用法のひとつの可能性として学生に提示し、知らせてきた。(もちろん、ここで厳密に区別しないといけないのは教育演劇は、基本的には演劇療法ではなく、この両者はまったく別のものであるという事である。飽くまでも療法は有資格者が指導するべきもので、素人が安易に手を出してはいけない。巷では素人のリーダーがこういった療法まがいの指導をするのを多々見受けるが心配である)
そして、今日のサンケイのウェブ版に今回の津波震災後に被災地の子供たちが「津波ごっこ」なるものを頻繁にテーマにして遊びだしているという報告を見た。ある子どもはジャングルジムに上り、津波を逃れ、またあるものは机の上に上る。つまりそうすることにより、自らの安全を再確認しているのだ。やはり子どもたちはどうしたら、自らのトラウマが癒されるのかを本能的に知っているのだろう。ここで大人はこれを絶対にいさめてはならない。温かく見守ってやらねばならないのだ。大切なのはこの「自然発生的な」という事であり、飽くまでも子供たちの自発的行為としての劇遊びでなくてはならないのだ。そして結末も彼らに任せておく。ただ大人は見守り、他を傷つけるような限度を超しそうな行為のみを注意するようにする。あとは彼らの本能に任せるのだ。もっと言えば大人も、もしも解放され、自意識を無くし、遊びに没頭できるようになればこういった遊びは彼らにさえも有効になると思う。劇はこういった自発的行為として、癒しの役割を持つ事が多々あるのだ。
因みに私の息子(5歳)が最近某集まりで大人に「将来何になりたいの?」と聞かれたときに応えた事:「僕はね、福島の第一原発の三号機建屋を直す人になるんだ!!」・・・喜んでいいのか、あるいは憂うべきなのか・・・いやはや・・・なんとも・・・(汗)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110528/edc11052822120004-n1.htm

2011-05-28 11:45 | つれづれなるままに | コメント(1)

大安吉日!

何事にも縁起を担ぐ人、あるいはまったく無関心な人がいる。また、自分が縁起を担がなくとも周囲の人間の為にあえてそうする場合もある。本日早朝私達は引っ越しました!!そう、大安吉日です。笑 それぞれのメンバーが一番大切なものと、日常特によく使用する家財一式をもって早朝仕事前に引っ越しました。因みに私が持ち込んだものは、勿論マイムの舞台衣装、博士号の証書、大好きな仏像、ブッダガやの大塔の写真、アリストテレスの胸像、家族の写真、そして愛用の茶碗一式だった。残りは20日に全て移動予定というわけ。
これで周囲も安心安心!!(笑) それにしても久しぶりの引っ越し。大学の授業の合間をぬっての公演リハーサル、論文書き、その他の雑用で息つく暇もない最中の引っ越しである。夜になると意識がもうろうとする。すざましい量の本の整理がなかなかすすまなかったのだが、今回は妹に助けられた(というか、今回も・・・苦笑) 持つべきものは妹である(爆) あと四日。大好きだった西国分寺にはあまりに多くの思い出がある。街をあるけば沢山の知り合いに出会う。自然が残るこの町が大好きだった。感謝感謝だ。

2011-05-16 12:21 | つれづれなるままに | コメント(4)