ドラマによる心的外傷の修復

玉川大学芸術学部で担当している講座、「芸術教育と支援」で使用しているダニエル・ゴールマン著、『EQ:心の知能指数』という本がある。この第13章「心的外傷の修復」の書きだしはこうだ: (以下EQより引用)
カンボジア難民だったソム・チットは、三人の息子におもちゃのAK−47マシンガンを買ってほしいとせがまれて躊躇した。息子達—11歳と9歳と6歳は、学校で友達がやっている「パーディー」という遊びをするためにおもちゃのマシンガンをほしがったのだ。その遊びではパーティーという名の悪者がサブマシンガンを使って子どもたちを殺戮し、最後の自分自身に銃を向けて自殺することになっている。ただし、時には子供たちがパーティーを殺すという展開になることもある。(引用終わり)
上記の「パーディー」とは1989年2月17日にカルフォルニア州ストックトンのクリーブランド小学校にて数百人の子供たちに向かって銃を乱射した犯人の名前だ。その後彼は自分の頭部を撃ち児童の目の前で自殺する。5人の児童が死亡し、29人が重軽傷を負った。この衝撃的な事件の後、この学校の子どもたちは自然発生的に上記の「パーディー」というゲーム、遊びを始めたのだという。子供たちは、いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)を本能的に癒すために、このようなショッキングな体験を安全な遊びとして再体験するのだそうだ。ダニエル・ゴールマンによるとこの遊びには二つの治癒に至る経過があるという。ひとつは安全な状態=不安感の恐れがない状況においてそのトラウマ的な記憶を再現することにより「記憶に正常な反応を結びつけること」だ。そしてもう一つは想像力により、現実に起こった悲劇的な結末とは違った明るい展開を与えることによって「悲劇の際の無力感を克服する」のだそうだ。 こういった症例はこれ以前からも様々な場合にレポートされてきた。これを劇の応用法のひとつの可能性として学生に提示し、知らせてきた。(もちろん、ここで厳密に区別しないといけないのは教育演劇は、基本的には演劇療法ではなく、この両者はまったく別のものであるという事である。飽くまでも療法は有資格者が指導するべきもので、素人が安易に手を出してはいけない。巷では素人のリーダーがこういった療法まがいの指導をするのを多々見受けるが心配である)
そして、今日のサンケイのウェブ版に今回の津波震災後に被災地の子供たちが「津波ごっこ」なるものを頻繁にテーマにして遊びだしているという報告を見た。ある子どもはジャングルジムに上り、津波を逃れ、またあるものは机の上に上る。つまりそうすることにより、自らの安全を再確認しているのだ。やはり子どもたちはどうしたら、自らのトラウマが癒されるのかを本能的に知っているのだろう。ここで大人はこれを絶対にいさめてはならない。温かく見守ってやらねばならないのだ。大切なのはこの「自然発生的な」という事であり、飽くまでも子供たちの自発的行為としての劇遊びでなくてはならないのだ。そして結末も彼らに任せておく。ただ大人は見守り、他を傷つけるような限度を超しそうな行為のみを注意するようにする。あとは彼らの本能に任せるのだ。もっと言えば大人も、もしも解放され、自意識を無くし、遊びに没頭できるようになればこういった遊びは彼らにさえも有効になると思う。劇はこういった自発的行為として、癒しの役割を持つ事が多々あるのだ。
因みに私の息子(5歳)が最近某集まりで大人に「将来何になりたいの?」と聞かれたときに応えた事:「僕はね、福島の第一原発の三号機建屋を直す人になるんだ!!」・・・喜んでいいのか、あるいは憂うべきなのか・・・いやはや・・・なんとも・・・(汗)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110528/edc11052822120004-n1.htm

2011-05-28 11:45 | つれづれなるままに | コメント(1)

ドラマによる心的外傷の修復 への1件のコメント

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