書斎にこもる日々

ここ数日間は書斎に籠りながら論文書きに時間を費やしている。どうしてもこう暑くては集中力が散漫になる為、ついつい冷房をかけたまま一日が過ぎてゆく。論文以外は新聞に目を通すくらいだが、最近面白かった事を書いてみる。
まずはサッカーの話。といっても試合はもう既にしつこいくらい毎日のテレビで報告されているだろうから、飛行機移動の話にする。今回、なんとロンドンに向かう飛行機に男子チームとなでしこ、つまり女子チームが一緒に乗ったそうだ。その時のお話。ワールドカップ優勝の女子チームはその「ご褒美」として従来のエコノミークラスから、エコノミーの「プレミアム」に格上げ?!されたそうなのだが、それはそれとしてまあいい。ところが対する男子チームは全員ビジネスクラス!!だったそうな。これは今までの慣習という奴で、これがなんとも女子が優勝したにもかかわらず打破することができなかったらしい。ここに日本社会の縮図があるような気がする。今まで行ってきたことを変化させることが出来ないのだ。前例に従うのが無難であり、そこで関係者は思考停止する。これは何もスポーツだけではない。社会全体に蔓延する病気のようなもの。なぜこんなにも日本人は変化を怖がるのだろうか。
野田首相が民主党の新しいキャッチフレーズを募集中と聞いた。そこで一般庶民からでているアイディアが振るっていた。「国民の生活台無し」(もちろん小沢新党のもじり)、そして「国民の生活が二番目ではいけないのでしょうか?」まさに言い得て妙というやつだ。理想を目指した政権が、現在こんな最低な政権になるっていう事実、それにはいろんな歴史的事情があるらしい。それにしっかり目を向けることも大切だと思う。この論文が終わったらすぐにでも読み出したい本が昨日アマゾンから届いた。孫崎享著、『戦後史の正体』という本だ。元外務省、国際情報局長が最大のタブー「米国からの圧力」を軸に戦後70年を読み解くとある。まさに今目の前で起こっている数々の矛盾がこれによって起きているような気がする。楽しみだ。

2012-07-28 02:56 | つれづれなるままに | コメント(1)

女子高校生のVoice

Voice とは英語で物理的な「声」という意味とは別に「主張、意見、訴え」、あるいは「発言権」という意味がある。Everybody has a voice. と言えば、みんな声を持っているというのとは別に、全ての人は発言権、あるいは主張をもっているという意味にも使われる。演劇は時としてこのvoiceを発信する極めて有効かつ効果的な手段となりえる。勿論、逆に使われれば、驚異的な洗脳手段とも成り得る。かつて戦争に徐々に歩を進めていた日本でも、学校に於いてこの演劇が軍国主義への子どもたちへの洗脳運動の一環として有効に使われた歴史がある。強制的な押し付けでなく、この演劇によって子ども達はワクワクしながら、そしてヒロイズムに感動しながら、「自らが楽しみながら」積極的に受け入れ同調してゆくのだ。かつてルイ・アルチュセールはこのような価値観の再生産のシステムを国家のイデオロギー装置(Ideological State Apparatus)と呼んだ。つまり演劇とは両刃の剣なのだ。
昨日は早稲田の期末試験の後、世田谷の某会館に直行し、このvoice発信の為の貴重な映像を見る事ができた。演劇によって福島県の女子高校生たちが震災地からの彼らの生の主張を舞台から発信し始めたのだ。演題は「今つたえたいこと(仮)」。あくまで現在進行形の事を扱っており、その体験者である彼らの主張も徐々に形を変えてゆくという事で「(仮)」だのだという。勿論、演技自体はまだまだ素人である。しかし、その言わんとしている事に今注目が集まっている。相馬高校放送局の女子高校生たちによる創作劇である。
出演者たちは原発事故の被災者達であり、そして事故後の多くの矛盾する政府の政策、あるいは無策に日常生活の中で翻弄されている福島県民の子ども達だ。彼らは日常を信じがたい高レベルの放射性物質の中で送る事を余儀なくされている。除染も無く、目立った復興は感じられない。こうした様々な矛盾、欺瞞、そして私たち県外の者の認識の甘さを彼ら女子高校生の語り口調で告発されると、大人はただただ絶句するしかない。「将来(私達の)子どもができたときに障害があったら、私たちのせいにされるの?」「国のお偉いさん達は『収束しました』の一点張りしてるけど、私たちの中では終わってないよ・・・。」「誰かお願いです!子どもの訴えを無視しないでください!今ある現状を忘れないでください」
こんな生の声を聞いたら政府の要人たちは、果たして彼女たちにも「ただちに健康には・・・」となるのだろうか。そんな自分の言葉で語れない大人たちと、こうして現状を自分の言葉で発信しようとする高校生とどちらが果たして大人なのだろうか・・・とつくづく考えさせられた夜だった。一体大人になるってどういう事なのだろうか。政治に携わるという事は自分の言葉で真実を語れなくなるという事なのだろうか。この真実の言葉のみで発信される演劇はこんな事を常に大人に問いかけ続けてくれる。同時に演劇という手段が実に有効に機能している事に喜びを感じた。表面的な復興という叫び声を糾弾し続ける相馬高校放送局頑張れ!

2012-07-24 06:59 | イベント | コメント(3)

博士候補来宅

先日ウィスコンシン大学演劇科博士課程で博士論文を書いている後輩、ミッシェルが国立の私の書斎にやってきた。彼女の博士論文のテーマは日本の第二次大戦後の児童劇の推移を分析するものだ。カンジヤマ・マイムの三越公演の前日に来日し、三越にも舞台を見に来てくれ、現在様々な都内や関西の児童劇団を訪れながら関係者の方々にインタビューをして回っている。
西洋の学者が日本の、しかもどちらかというとマイナーととらえられてきた児童劇の歴史に目を向けてくれるという事は有難いことだ。幸い私もかなりのレアな資料や本を持っていたので彼女にその情報を提供した。 6年ぶりくらいに会ったのだが、久しぶりにウィスコンシンの友人たちの話題に花が咲いた。既にほとんどの友人たちは博士号取得後ニューヨーク大学やアリゾナ州立大学をはじめとした教育演劇コースをもつ大学の教授になっている。この世界も世代の交代が徐々に進んでいるようだ。因みに、ミッシェルも今回の沖縄のITYARN (国際児童劇研究ネットワーク)による会議にて私と共に発表をする。http://www.ityarn.org/

2012-07-22 09:47 | つれづれなるままに | コメント(2)