永六輔師匠と その五


思えば、永さんはラジオの人だ。自分でその場所、電波の届く先へ出かけて行って、そしてその現場の空気をラジオに持ち帰るというこだわりを持っていた。しかし、また、テレビにもかなりのこだわりがあった。カメラはいつも僕の目線でついてきてください!!といつも旅番組でカメラのスタッフやディレクターに注文をしていたのを思い出す。そしてそのテレビにかなりご一緒させていただいた。最初にご一緒させていただいたのはテレビ東京が1980年代の終わりごろに放送していた「浪漫街道」という番組だった。(以下過去の私のブログより)

最初にお世話になったテレビがテレビ東京の「浪漫街道」という番組。各著名人がそれぞれのロマンとは何かという事をテーマにした30分番組で、永さんは私達が当時稽古場をかりていた群馬県山奥にある南牧村という村をそのロケ地に選んでくださった。そしてまだ駆け出しのカンジヤマを育てるというテーマでカンジヤマの稽古場を訪れて色々な話をし、村人を前に公演をするという設定。永さんのその時の最後の「浪漫とは?」の定義を思い出す。「浪漫の浪は波のように儚いもの、そして漫とは取り留めのないこと。雲のように漂い、水のように流れる、雲水」これが永さんの定義した浪漫、番組最後の言葉がこれだった。 かっこよかった!!そして奥深かった。(2011年6月のブログより)

このブログを書いたのは2011年。ちょうどカンジヤマが鈴本演芸場での独演会を予定していた時に、永さんのTBSラジオ「土曜ワイド:永六輔その新世界」に生出演させていただいたときのこと。その時書いたこと:・・・ 「今朝のラジオでも話題になったが、当時の永さんが現在の私の年齢、そしてそれから四半世紀が過ぎ、私がその年齢になった。感慨深いものがある。しかし、今の私にはそこまでの深みはない。到底かないっこないのはわかってはいたが、しかしやはり自分の無力さ,小ささに改めて気づかされた。」

そんな永さんはいつも何かシリーズでテレビ出演が始まると必ず私たちカンジヤママイムを切り込み隊のように最初に使ってくださったのだ。「山城新伍のおまちどうさま」というTBSの昼の番組、そして「二×三が六輔」という深夜番組、また日曜日のテレビ朝日の「題名のない音楽会」などなど数出ることになる番組には必ず初回はカンジヤマを使用してくださった。嬉しかったし、荷が重かった。でも今から思うと本当にありがたい事だった。(写真は「新伍のお待ちどうさま」に出演した際のもの。バックに山城新伍さんと永さん。)

やがてこれらのテレビ出演がカンジヤママイムの様々な他のテレビ出演へとつながっていった。笑点もしかり、遠くへ行きたい、花王名人劇場も、そしてNHK演芸広場から笑いがいちばんまで。もとはといえば永さんにこのようにご一緒させていただいたおかげなのである。なんと幸運なマイム芸人であろうか。合掌

2016-07-20 12:01 | つれづれなるままに | コメント

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