永六輔師匠と その三


「江戸っ子」という言葉がある、せっかちで、優しく、思いやりがあり、そしてはにかみやで粋なのだ。この言葉を文字通り生きられたのが永さんだった。旅先で四六時中生活をご一緒させていただくとそんな面が多々見られた。まずびっくりしたのが食事。特にどんぶりものを食べるその速さはかなわなかった。食べるというより飲みこむのである。自分もかなり食べるのが早いほうなのだが、永さんにはかなわなかった(苦笑)。つまりかなりのせっかちなのかな?笑(永さんすみません!)

次にそのやさしさ。特に家族に対するそのやさしさは群を抜いていた。奥様の昌子さんは絶対に表にださずに一般人としての線引きを厳しくされて奥様を守られていたような気がする。そして必ずお誕生日(実は私と同じお誕生日でした!)には必ず仕事を早めに区切りをつけられていらした覚えがある。
ある日、旅先でたまたま早朝に目が覚めホテルのロビーにいくと永さんがロビーのテレビのソファの一番後ろの隅っこに座られていた。おや?と思ったのだが、しばらくしてその意味がわかった。娘さんのまりさんがフジテレビでニュースキャスターをする予定の時間だったのだ。娘さんの出番を待っていらしたのだった。こんな家族を思う優しい一面が多々あった。

思いやり、そしてはにかみ屋で粋という面では多くを語れるが、ここではその一つを。カンジヤママイム。最初からマイムで食えたわけではない。最初は全く仕事などなかったのだ。生活に苦労しながらマイムを続けていた。つまり食えない芸人から始まったのは私たちも例外ではない。そんなある日、永さんから群馬のある町での町おこしイベントに誘われた。まずは永さんがさんざんお客さんを沸かす!!そして僕らを面白おかしく紹介してくださり、カンジヤママイムの出番。小一時間の舞台を終わらせる。やはり永さんの話芸でくすぐられたお客様はまだ芸のつたないカンジヤマの舞台にもぐいぐい乗ってきてくださった。つまり永さんの芸のおかげなのである。終演後、主催者に御礼を言われて楽屋へ行くと、永さんの姿が見られない。主催者が再び楽屋へ訪れてきて今回の御礼ですと封筒を渡された。???あれ?永さんは?と尋ねると、その主催者「永さんはとっくにお帰りになられました。今回の御礼はすべてカンジヤマに差し上げるようにとの事でした・・・」 僕らは唖然として、しばらく頭が混乱した。やがてすべてがわかり、こみ上げる涙とともに永さんに心から合掌した。優しさを自慢したくない、照れながらそれを隠す粋な江戸っ子なのだ。こういった御恩がどれほどあるか。今思い出しても思い出は尽きることがない。この御恩はいつか周りの人々にお返し致します、永さん。ありがとうございました。合掌

2016-07-14 08:54 | つれづれなるままに | コメント

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