インターネットの光と影

エジプトが動いた!チュニジアで起こった事件がフェースブックを通じてエジプトに飛び火し、そしてそれが政権を覆したのだから凄い。また、今日こうしたインターネット時代を象徴するようなニュースが一つ入ってきた。アメリカの大手書店のボーダーズ・グループが資金繰りに行き詰まり、週明けにも連邦破産法11条の申請を行うという。つまり倒産だ。アマゾンを始めとする書籍のインターネット販売や電子書籍にまさに押されまくった結果だろう。ボーダーズ、バーンズアンドノーブルといったらアメリカで最大手に君臨する不動の書店だった。それがネットの時代に乗り遅れた感がある。
だがこうした状況の中で何か不安な気持ちが残るのはなぜだろうか。先日某アメリカの大学が行った電子書籍と従来の本との読書後の比較実験で、電子書籍を使って読んだ本よりも従来の綴じられた本を読んだグループの方が細かい本の内容を逐一記憶しているという結果がでたという。つまり人間は読書、あるいはその他の情報を受け取るときに実際はその文字や言葉だけではなく、それに付随するあらゆる情報(本の汚れだとか、話言葉の抑揚など、その時の自分の状況)を結びつけてそれを記憶するのだという。そういえば、[EG,心の知能指数』というダニエルゴールマンの本に記憶について書かれた部分があり、脳科学によると人間が物事を記憶する部位は主に二か所あり、一つは事実を記憶する海馬、そしてもう一つは事実に付随する情動を記憶する扁桃核だという。例えばあの人は自分の友人であるという事実を記憶するのが海馬ならば、その友人にまつわる感情的な記憶をするのが扁桃核だということだ。このように人間の情報処理はいつも事実とは別の情報とも統合しながら受け入れている事実があるという事を忘れてはならないような気がする。
例えば本屋さんに直接出向いて本の表紙、その時の気分などによって様々な出会いが生じる事が多々ある気がする。こんな出会いが無くなってしまうのが何故か不安だ。大好きな本を何度も何度も読み返しているうちにその本自体に愛着が湧き、その本の内容と共にその本自体が自分の人生の大切な一部となることもある。これらが全て無くなってしまい、ただ単に字面で判断し、字面で本を選ぶような生活がなぜか想像しずらいのは自分が年をとったせいなのかな。
インターネット通信にしてもそうだ。確かに前出のフェースブックによる改革がその光ではあるのだろうが、しかし、驚くことにその影はその後直ぐにその光の後を追ったようだ。エジプト革命の最中、友好だったチュニジアとエジプトの人々の間でネットでの中傷合戦が起こり互いに非難し合う状況になったという。ネットを通じた言葉一つが単なる無機質な文字として交換されるときの恐ろしさを物語っている。http://sankei.jp.msn.com/world/news/110205/mds11020520560018-n1.htm
エンターテイメントしかり、CGに頼りきるようになると映画もテレビも何故か無機質なものになりかねない。今後こうした影の部分をしっかりと見極めていかなくてはならないような気がする。だからいいんだよね、パントマイム(爆)だって生だもんね。っということで、お後がよろしいようで!!

2011-02-12 11:37 | ひとりごと | コメント(5)

インターネットの光と影 への5件のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。