タブロイド紙化するマスコミとそれにマヒする日本人

どうも最近のマスコミの報道がタブロイド紙(いわゆる大衆ゴシップ紙)とあまり変わらなくなっていることが気になる。ヘッドラインがすべて同じ基調ですべて感情的ゴシップの域をでないようなレベルの低さ・・・・基地問題からその他まで問題の核心を鋭くついている論調があまり見かけられない。かえってインターネットの方が鋭い視点で満ち溢れている。マスコミの役割は終わったのかな? 感情論、個人的責任の追及はかりで、起こっている事の内部構造的な分析がまったくない。つまり言葉じりのアゲ足とりに終始している。その台詞、態度の変容、その他の変節にどんな深層的な構造があるのか・・・・これがマスコミにとって一番大事ではないのか。
これは演技を教えるときに学生に一番注意を促す基本事項なのだが・・・人間の台詞、行動は単に植物に例えれば花の部分のはずだ。その根っこがどのように広がっており、どのような障害があってどのような構造で茎をのばしてその花があるのかを知ることが一番大切なのだが。下手な役者はその花のみを見て、その花を論じようとする。つまり「あなたが嫌いになりました」という言葉じりをそのままの意味にとらえる。そのサブテクストを解析して論じるのが本物のマスコミだと思うのだが・・・・どうもそうではない。この浅さがどうも耐えられなくなってきた。鳩山さんの言動の豹変、あるいは変節を表面でとやかく批評するのは街角のおっちゃんたちの床屋政談と何ら違いがない。根底にある構造的そして因習的な大きな力が無視されているのでは。そういった意味では内田樹さんの鳩山発言「学べば学ぶほど抑止力の大切さがわかってきた」の分析が核心をついているような気がする。http://blog.tatsuru.com/2010/05/28_1008.php
様々な政治家の言葉の表面をゴシップ記事レベルの扱いで、ああいい、こういい、事後の後のフォローも全くない。仕分け作業がどのように遂行されるのか、最終的に何が沖縄問題を停滞させているのかまったく論拠に深みの無い新聞、テレビのニュース解説。今は単なる世論誘導のみの装置になり下がっているような気がする。そのマスコミが自らの分析を怠り、感情的な世論調査を頻繁に報道しながら政権を変える事のみに終始しているような気がする。本当はこんなに首相がちょくちょく変わっているような状況ではないと誰もが叫ぶなか、国民の借金はどんどん膨れ上がり、そして経済力は停滞どころかみるみる後退しているという。どうなるのだろう。それとも国家破産もみんなで渡れば怖くない?のかな?このままだと新聞お金払ってとるのやめたくなるな~

2010-06-03 06:55 | つれづれなるままに | コメント(3)

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