人生の出会い


今週は兵庫の加古川、千葉の木更津と連日高校の芸術鑑賞会にて公演してきました!いずれも物凄い反響いただき、終演後校長先生自ら舞台裏にご挨拶にいらして下さりとても嬉しかった!すでにカンジヤマのウェブを通じてたくさんの熱い感想が寄せられており、疲労の中でも心地よい充実感に満たされています。今回の圧巻は何と言っても木更津で舞台に上がられた先生が終演後舞台裏に見えて、「実は私、中学二年生の時にカンジヤマさんのマイム見ていること思い出しました!」と。お話しを伺うと、なんと今から24年前に市原の青年会議所が主催した北海道まで船で行く青少年の研修ツアーがあり、その帰りの船上で私達のマイムのショーをご覧になったそうなのだ!なんとすごい巡り合わせ、と、同時に24年も前に見た舞台を今もはっきり覚えていてくださった事に感激した。因みに先生の奥様も当時同じ船に乗られており、カンジヤマをご覧になったそうだ。人生はこれだから素敵だ!皆んな繋がって素敵な縁で結ばれている!だからこそ今を大切に生きなくては! 終演後舞台裏にご挨拶に来てくださった木更津高校の文化委員会の皆さんと、その先生と記念写真!みなさんありがとう心から感謝を込めて合掌 帰りのアクアラインからの富士のシルエットが美しすぎるくらいに夕焼けに映えていた。

2014-12-19 12:59 | つれづれなるままに | コメント

夢ってなんだろう

 

11月月末より12月初めまで、福岡~熊本~佐賀を回るワークショップの旅をした。初日、福岡県築上郡上毛町という福岡県の東北端の町を訪れるため、大分県中津で宿泊し、「九州着」とフェイスブックにて呟くと、当地で現在英語の先生をしている早稲田の教え子のmarkがすぐにメッセージをくれ、翌朝ホテルで久しぶりに会う事に。彼はカルフォルニア大学より早稲田に来て、卒業後、中津の中学校で英語教師として頑張っている、日本が大好きな陽気なアメリカ人。仕事前、久しぶりに再会し、楽しい話に花を咲かせた(写真上)。

マークがここに赴任直後驚いたことをいくつか話してくれた。そのいくつか。「日本の子どもはすぐに人の年齢をききたがる」。お母さんたちは年齢をいうと、(彼はまだ二十代中盤なのに)「結婚はまだなのか?どうして結婚しないのか」と必ず尋ねてくる。そして(本人はアジア系の顔をしているので)子供達に「なぜ、日本人じゃないの?どうしてアメリカ人なの?」と聞かれるらしい(笑)。大笑いしながらもちょっと気になる話題だった。

言われてみれば、確かに日本の子どもたちはよく人の年齢を聞きたがる。いや、実際執拗に何度も人の年齢をきいてくる。公演終了後、すぐに質疑応答の時間で聞かれるのが「何歳ですか?」なぜ日本人はこんなに年齢ばかり気にするのだろうか?勿論社会や親の影響が大であることもあるのだろう。どうして結婚しないの?も同様だ。ある一つのモデル的な生き方が常に付きまとっているのかもしれない。常にそのモデルを意識しながらこの人はどのあたりを生きている人なのかを聞くのかもしれない。そしてこの規範を逸する事はあまり好ましくはない。なぜならば生きづらくなるからだ。

アメリカに長く暮らしてきて日本に帰国すると気になるのがこの国の年齢差別だ。ある年齢になると極端に様々な可能性を否定される。就職の募集にしても、政府奨学金にしてもしかり、すべてはこの「モデルの生き方の範囲内」で納められる。こんなこと、万が一アメリカであったら年齢差別だと訴えられること間違いなしだ。なぜある年齢になると、ある一定の社会的なステータスやら、その他の行動を規定されるのだろうか。この標準を逸脱すると枠から外れてしまう。とても不思議だ。

自分の場合も、人生に徹底的に迷った時点で、それも当時不惑の年齢に達していた自分にチャンスをくれたのは日本ではなく、アメリカだった。それまでの自分のマイムのキャリアに対し、大学は授業料の完全免除と月々の無条件の奨学金(それも生活には十分すぎるくらい)を異国の、しかも(日本では)常軌を逸した人間にポンと与えてくれた。ひるがえって日本で自分のマイムのキャリアを認めてくれる組織は皆無だった。つまり常軌を逸した生き方にエールを与え、今の自分を育ててくれたのはアメリカの州税なのだ。(もちろんいろんな方法でこのご恩を返しているつもりだが)

もう一つ、この年齢意識と共に最近気になるのが、子どもたちがマイムの公演をみて私たちに頻繁に聞いてくる質問だ。「ねえ、本当の仕事はなにしているの?」「パントマイムって儲かるの?」・・・かなり現実的なクールな見方をする子どもたちが多い。これは悲しい事でもある。なぜならば自分が子どもの頃、果たしてこの仕事で食っていけるか、マイムを始めた時、果たしてこの仕事で生活できるか?など微塵も考えはしなかった。ただ単にこの芸術に惚れ込んで、ただひたすらこれをやりたかった。そしてこんな凄い芸ができる大人にただなりたかったのだ。小さい頃から「いくら儲かるか」「これで食べられるのか」など考えた事もなかったのだが、最近の子どもはどうも「儲かるのかどうか」が非常に気になるらしい。

凄い事を見たり聞いたりしたら、まずはそれをやってみたい、ひたすら食いついていきたいと思うのが夢なのだと思うのだが、最近日本の子どもたちにはこの「夢」や「憧れを」生きる余裕がない、あるいは憧れに生きるという事自体知らないように思われて仕方ない。言い換えれば、「憧れを生きてもよいのだ」「夢を追ってもいいのだ」と思えるような社会ではないように思われる。すべては「どのくらい金を稼げるのか」という大人の価値観に集約され、マスコミでも情報が流されてしまっているのではないか。だとしたら本当にこれは悲劇だ。社会全体が金満主義に満ち溢れすべてはお金で判断されている昨今、未来をしょって立つ子どもたちもその金満主義の洗礼を早くから受けてしまってはいないか。旅の最中こんなことを考えていた。

(写真下は阿蘇にて。風向きが逆だったため、噴煙や降灰は見られなかったが、とにかく寒かった!!!ぶるぶる震えながら写真を撮っていると近くのガソリンスタンドの叔母さんが大笑いしていた)

2014-12-07 06:23 | つれづれなるままに | コメント

太平洋に架ける橋になれ!!國弘正雄先生のこと


カンジヤマの大切な恩師の一人、「通訳の神様」と呼ばれ,アポロ11号の月面着陸の同時通訳者であられた國弘正雄先生が先日25日に旅立たれた。また一つこの国の財産が失われた。このブログでも2007年9月に写真(上)と共に先生と楽しくお話させて頂いた事を記したが、随分いろいろな思い出がある。一緒に映画を見させていただいたり、一日中カフェでお話をさせて頂いたり、舞台を何度も見に来ていただいたり、著作本に推薦状を頂いたり、はてまた自分の結婚式のスピーチをして頂いたり、本当に気さくで優しい先生だった。

元々私が初めて先生のお名前を耳にしたのは中学生の時だった。当時自分が信奉していた元NHK英会話講師の松本亨先生の英語の学び方、「英語で考えるーThink in English」に対するアンチテーゼ「日本で育った人間に英語で考える事は無理。むしろ日本人には日本人なりの英語の学び方、話し方がある」を掲げた論戦相手の敵将としてだった。当時はこのお二人が英語の達人として我々英語学習者のヒーローだったのを思い出す。何十冊というご著書も夢中になって読ませて頂いた。それで親友と偵察を兼ねて、高校生時代、先生が教える大学の授業に忍び込んだりして、その英語論をむさぼるようにして拝聴したのを思い出す。先生の英語習得の根幹をなすものは、「只管朗読」と言われるものだ。禅、特に曹洞宗には「只管打座」という方法論がある。とにかく無駄な事一切考えず、ただひたすら「座りぬく」事で身体で悟りに近づこうと言う方法論だ。これにかけて先生はただひたすら「英語を読め。読んで読んで読み続けろ」と言う事を提唱された。今振り返って結局自分も米国での大学院生活を通じてやっていたのが、この読んで読んで読みまくるという「只管朗読」であった。

そんな先生と再会したのがおよそ14年前。自分の人生において大きな岐路となった時期だった。日本でのマイム活動を一時休止し、アメリカの博士課程へ進むという時期に、舞台仲間を通じて再会させて頂き、先生に頻繁にお会いし、お話させて頂くようになった。その後アメリカより帰国するたびに先生にいろいろ学ばせて頂き、自分の論文作成の為の栄養にさせて頂いた。そしてその私の論文が全米の教育演劇協会(AATE)より最優秀博士論文賞を受賞した時にもろ手を挙げて大喜びしてくださったのも先生だった。

先生は常に新渡戸稲造の「太平洋に架ける橋になれ」という言葉を掛けてくださった。そして常に戦時中、神戸に於いて大切な身内を空襲によって亡くされた無念を語っていらっしゃった。それゆえ、ご自身の体験から来る護憲の信条にはものすごい気迫があった。今の安倍内閣の勝手な振る舞いに対する先生のご心中は察するに余りあるものがある。

人の恩は将来自分ができる機会にできる方法でできる相手に必ずお返ししてゆく。これは永六輔師匠から学ばせて頂いたことだ。今後國弘先生に受けた御恩は自分ができるチャンスに最善を尽くすことで多くの若者たちにお返ししてゆきたいと思っています。先生よい旅をお続けください。合掌

2014-11-27 07:41 | つれづれなるままに | コメント(1)