コロナ休暇の徒然なるままに 映画その2

元NHKエグゼクティブアナウンサーの村上信夫さんより映画バトン頂き、第2日目です。
今回は、「天平の甍」1980年版。1957年の井上靖の歴史小説を映画化したものです。僕はこの映画に非常に影響を受け、その後の生き方を変えられたといっても過言ではありません。この映画を見たとき、僕は仏教の「戒」というものに関して初めて真剣に考え、そして勉強しました。その約十年後に自らインドのブッダガヤ(釈尊がその下で悟りを開いたとされる菩提樹がある)を訪れ、菩提樹下で受戒をするという経験に繋がっていきます。
もともとインド(天竺)で発生した仏教には釈迦が説いた教え(経)と共に、釈迦が弟子たちに課した戒律(戒)というのがありました。その戒を釈迦より授かり、自分が仏教徒として生きてゆくという宣言をした時点から人は釈迦の弟子として仏教徒となります。つまり、クリスチャンが洗礼を受け、洗礼名を頂いて正式なキリスト教徒として生きてゆくのと同じことです。つまり、戒名とはクリスチャンネームならぬブッディストネームなのです。ゆえに、日本の社会の現状のように死後、高額なお金を払って遺族がお坊さんから名前をもらうというものではなかった筈。このことを深く考えさせられたのがこの映画でした。
当時の日本(天平の時代)には日本には釈迦の教え(経)は伝わってはいたが、その経に従い生きてゆく上での約束事(戒)を授けられる専門の僧の存在が皆無でした。勿論、従って戒律を授かる戒壇という設備もない。そこで大陸より、授戒できる高僧を招聘せよという聖武天皇からの命を受け、第九次遣唐使で大陸(唐)に渡った若い留学僧たちの話です。
普照(中村嘉葎雄)と栄叡(大門正明)は命がけで大陸に辿りついた後、様々な寺を訪れ、日本に戒律を伝えるべく同行してくれる僧を訪ね歩くが、当時国禁を破り自らの命を懸けて海を渡ろうとする僧にはなかなか会う事ができなかった。そんなある日、742年、二人は揚州の大明寺の住職であった鑒眞(鑑真)のもとを尋ねる。多くの弟子に鑑真は渡日の希望を尋ねるが、危険を冒してまで渡日を希望する者は誰一人としていなかった。すると鑑真が自ら同行しようと名乗りでる。真の教えを命を懸けても布教する仏教の本来の布教の精神を遂行する為だと、、、それに心打たれた21人の僧も同行を希望する。だが、5回、出国を試みるが5回とも密告、難破などにより出国に失敗する。
僕は、もともと遣唐使、遣隋使に憧れていたのですが、それに加え、この経験の少し前に出会った新渡戸稲造の「太平洋の橋になりたい」という言葉、つまり異文化にかける橋になるという夢を持っていました。そこでこの遣唐使の話に興味を持ち、映画を見たわけですが、インパクトはそれ以上のものがありました。こののち僕は鑑真和尚の由来の寺である奈良の唐招提寺を訪れ、鑑真和上に心より御礼を申し上げました。現在では入手が困難なようですが、この映画はお勧めです。真の仏教徒の生き方が見事に表されています。
2020-05-12 12:03 | つれづれなるままに | コメント

コロナ休暇の徒然なるままに

元NHKエグゼクティブアナウンサーの村上信夫さんより映画バトンリレーのバトンを渡して頂きましたので、今日から僕も参加させていただきます。
【人生を変えた映画バトンリレー】~life changed movies
このバトンリレーは人生を変えた映画を7日間連続でご紹介する映画リレーです。
・中身の概略はオッケー詳しくは内緒
・なぜ選んだか?
・何が変わったか?
・おすすめポイント
など、自由に人生を変えた映画を紹介するバトンリレーです。
僕の第一回目はこれです!!「MR Holland’s Opus: 邦題:陽のあたる教室」です。1995年のアメリカ映画です。主演のリチャード・ドレイファスは1995年アカデミー主演男優賞候補になりました。
舞台は1965年のアメリカ、作曲家を夢見ていた元バンドマンのホランドは夢を叶えるまでの一時的な経済的な安定を求めて、「腰かけ」のつもりで高校の音楽教師を始めます。彼にしてみれば音楽教師はプロの音楽家から見ればランク的には下という認識。そういった動機ですので、彼は適当に授業を済ませるとさっさと帰宅し、作曲に励みます。女性校長のヘレン・ジェイコブズはそんな彼の態度を窘め、本来の教師の道を説きます。
そんな彼は、やがて、音楽が退屈で全く興味を示さない若者たちにどのように本来の音楽の魅力を教えるべきかを模索し始め、教科書を捨てます。そしてその過程で、改めて自分の音楽をやる意義を学ばされることになるのです。生徒一人一人がしょったコンプレックスなどにきめ細やかに立会いながら、その個々の長所を見つめさせながら、次第に生徒たちの中に音楽に対する関心がわき始め、また自分の中にも音楽教師としての誇りが自覚されるようになります。そんな中、妻の妊娠をしり、もう作曲家の夢をあきらめて教師の道を進むしかないと決心します。しかし、そんな彼に次々に試練が、、、一生懸命指導した女学生との間に恋心が芽生えそうになったり、魂が触れ合った学生が戦士したり、あるいは成長して立派になったり、本当に心が動かされます。最後も圧巻です。教師の喜びってこうなんだ!!というクライマックスです。僕は現在も早稲田で担当する「教育演劇学」なる授業で、この映画を必ず学生に見てもらう事にしています。一緒にみていると、必ず最後に目にあふれる涙を必死に学生に見られないようにしている自分がいます(苦笑)
映画のカバーする年代は広範囲にわたり、その中に60年代から90年代の様々な名曲が各所にちりばめられており、時代の流れを肌で感じる事ができます。まるでその時代が体の中によみがえるような感じです。そして、実はこの映画は僕の青春をなぞっているような気分にさせる出来事がいくつかあります。多少ネタバレの感はありますが、その一つを、、、、、劇の後半ホランド先生の学校は、アメリカの80年代のレーガン大統領による予算の削減という事態に遭遇します。そこで学校が下した最後の決断とは、、、、今でも横行しておりますが、一番「なくてもこまらない、、、少なくとも困らなく見える、、、芸術科目を割愛すること」でした。それゆえ、ホランド先生をはじめとする芸術系の先生がみな解雇を余儀なくされる、、、これ以上はお話ししませんが、実は僕自身この影響をもろにかぶった青春時代でした。
1981年に、ニューヨーク州立大学で演劇学を修め、次の大学院修士課程を当時盛んだった「教育演劇学」のメッカ、シアトルにあるワシントン大学で学ぼうと燃えておりました。学科審査、面接などを終え、合格通知をもらい、いよいよ9月からの入学を夢見ていた時に、一通の手紙が日本の実家に届きました。「大規模な政府予算の削減により、当大学の教育演劇学科は閉鎖されることになりました!!」 「えええええ~~~~!!」僕はそこで学ぶ事を夢見ており、そこしか受けていなかった!!結果、留学浪人(厳密には当時まだ間に合ったハワイ大学大学院で短期間アジア演劇の勉強をするのですが)をして、もとのニューヨーク州立大学の修士課程にもどりますが、この時ほど、芸術科目のあやうさ、、、人々のそれに対する認識の甘さを実感したことはありませんでした。
また、この映画の中では80年の12月8日に起こったジョンレノンの射殺事件も全米を揺るがすニュースとして扱われ、登場人物たちも動揺しているのですが、僕はちょうどジョンがころされた12月8日にニューヨークにおり、その衝撃を全身で味わい、恐怖に震えていた事もありました。まさに青春のページを一ページ一ページめくるような感動の映画です。この映画は私に教育演劇という分野に40歳過ぎてから今一度挑戦するチャンスを与えてくれた映画です。結局ニューヨークでは演劇史など一般演劇理論を学びまあしたが、その後41歳にて、一度舞台を離れ、再度渡米し、この芸術教育を再び研究するチャンスをくれた映画です。
2020-05-08 12:02 | つれづれなるままに | コメント

学校環境での演劇教育について!

学校劇、演劇教育のパイオニア的存在である都内の名門校にて舞台をさせていただきました!今回で2度目の公演。前回やった時の子供たちは大学生になったとの事でした!しかし日常生活の中に劇が自然にあると言う事は本当に人間力の育成になるな〜とつくづく舞台鑑賞の反応を感じながら思いました。本当に最初から凄い反応、、、まるで欧米の大人たち相手にやっている時のような積極的かつ情熱的反応でした。数値にできないこの素晴らしい結果に気づいて導入しようとする教育関係者がどれだけいるか、、、、、日本の教育がこれにいつ気づいてくれるのか、、、、

2020-01-15 09:15 | つれづれなるままに | コメント