願わくは 桜の下にて・・・


今日は、友人からの突然のメールに誘われて、なかば衝動的に夜桜の見物となった。最初は成城の妙法寺。しだれ桜に大島桜、その他さまざまなちょうど見ごろの夜桜がライトアップされていて実に見事だった。すばらしい心のご馳走だったが、その上に妙法寺の特製桜餅まで食べてしまった。帰りには「はしご」で府中市の東郷寺。初めて訪れたがこれもまたすごい!(本当にボキャブラリーが貧困だが、本当にすごいものをみると、すごい!!しかでてこなかったのだ!)薄暗い夜の背景に真っ白にその姿を映し出す枝垂れ桜。そしてそのまた背景に黒々と立ちすくむ山門の影。この山門が黒沢明監督の例の「羅生門」のロケ地であることを初めて知らされた。なぜか二歳半の息子がこの山門を異様に怖がったのが印象的だった。自分が黒澤にであったのはたしか20歳のときのニューヨーク!!「七人の侍」をみてからものすごいファンになって、その後母校のニューヨーク州立大学に黒澤映画が来るたびに見に行った覚えがある。「羅生門」みたのも当時だった。何とこんなに近くにロケ地があったとは!!息子は果たしてこの映画をいつ、そしてどう見てくれるだろうか。
「願はくは 桜の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」・・・西行法師のこんな歌が脳裏に響き渡った・・・いつから日本人は桜と死を結びつけたのだろうか。思えば、人間だれしもが皆刻々と死にむかって大股で歩き続けている毎日なのだ。いつの間にか目の前を時が駆け足ですり抜けていってしまう昨今、久々にこんな死を意識する思いが心をよぎった。時に立ち止まって死を見つめるのは素敵なことだと思う。終わりがあるから、だからこそ今の一瞬一瞬が「美しく」、「美味しく」思えるのだ。今目の前にあるもの、仲間、家族、自分、それをちゃんと「観られる心」・・・凡人の精一杯の悟りだ。今日のこの瞬間に感謝、そして合掌。  

2008-03-29 02:53 | ひとりごと | コメント(1)

できること

23日のブログに関する様々な反応をメールでいただいた。皆さんそれぞれに真剣に考えていらっしゃることを知り、このエネルギーをよい方向に集中できたらいいだろうななんて思った。そしてこういったことがある度に疑問に思うことがある。果たしてこういった事を風刺して笑いに結びつけること自体に意義があるのだろうかということだ。誤解しないで聞いてほしい。これはあくまで個人的な感情論ではない。最近時事ネタを中心に笑いのネタを作っているグループや個人があるが、一番気になるのがこの笑いでお客さんが同感、納得して安心しまうという事なのだ。英語でこういう表現がある。”preaching to the converted” つまり身内の賛同者に対しての説教というような意味だが・・・こんな状況になっていないかということだ。つまりそんなことに意識のない人間は最初からそこにはいないのだ。そしてその笑いで、同感した安堵とともに現状を納得してしまうような風潮が怖い。自分でもたまには時事ネタはやるが、いつもこの不安が同居している。笑いとはガス抜きである。しかし、今平和な国にいる自分たちがガス抜きをしていても何の意味も無いような気がするのも正直な感想だ。ん~、難しい。大切なことは、どうにかしてこの子供たちを救いたい。
一つの方法として、日本人にディベート的な思考回路を身につけてもらう事だ。日本人は論争が嫌いだ。すぐに喧嘩になってしまう。そこでこの知的対決の方法、ディベートが役に立つ。あくまで方法論の一つなのだが。たまたま今度、自分が演者として参加する会が今月29日にある。著名なディベート教育、英語教育の先達、松本道弘氏が主催する会である。ご参考までに http://www.english-kodokan.com/kodokan-08-03-29.pdf?ie=UTF8&s=books&qid=1191923460&sr=8-1

2008-03-25 02:41 | ひとりごと | コメント

責任ってなんだ?

先日夕方のテレビのニュースで元吹田市役所の職員だった方がイラクの悲惨な現状を伝えようと今必死にイラクに通ってその悲惨さを日本に訴えている姿を見た。隣国に難民として逃げ延びた家族の人々の中にたくさんの奇形や腫瘍をもった小さな子供たちがいた。ペニスが無く、尿道がつねに開いて尿が漏れている10ヶ月の男の子、首のまわりに大きな腫瘍ができている子、奇形のため、人工肛門をつけなくてはならない子、などなど。以前から噂は聞いてはいたが、やはりアメリカ軍はイラクで劣化ウラン(Depleted Uranium)弾をかなり使っていたらしい。もちろん米兵の中にも被爆して自らの子供たちが腫瘍などで苦しんでいるという。今日また「きっこのブログ」http://kikko.cocolog-nifty.com/ をみていてさらにその悲惨な現状を知らされた。と同時に、今、アメリカに盲目的に追従している日本政府を容認してしまっている国民の一人として本当に胸が痛んだ。悲しかった。
いったい誰だ?「大量破壊兵器があるから」といって戦争加担を容認したのは?そしてそれが嘘だった今、誰がそれを責任とるんだ?今も日本政府はせっせとアメリカ軍にお金をばら撒いている。そしてその金で、どんどんイラクの何の罪も無い人々が殺されている。結局殺されるのは罪のない子供たちじゃないか!!苦しんでいるのは彼らじゃないか!!もうたくさんだ!そしてその裏でものすごい儲けを上げているのがラムズフェルドなど一連の戦争関連の企業に携わっている政治家たちだ。ブッシュがテキサスの豪邸でコミック読んでいる間にも(あいつは字を読まないし、また読めないーこれは誇張ではない!)あいつの命令でどんどん子供たちが殺されている。
病院をまわっていて一人ひとりの子供たちが少しでもよくなりますようにって祈るようにして出会っているとき、僕らの税金は他国の子供たちをこんな悲惨な目に合わせるために使われている。これをだまって容認していること自体、この罪に加担している共犯者になっちゃうよ。いったいイラク戦争に加担すること決めた政府は誰がその責任とるんだ?小泉さん、あなた言ったよね「大量破壊兵器」がその正当化される理由だって?個人的な恨み一切ないけど、やはり責任とれよ。あの悲惨な子供たちをちゃんと見ろよ。
今「明日への遺言」という映画をやっているが、本当に戦争裁判についても考えさせられる。一体今のアメリカを誰が裁けるんだろう。そして今の中国も誰が裁けるんだろう?こんな人権無視した大国が今世界ですき放題なことしてまかり通っている。だとしたら国連て何なんだろう。安全保障理事ってなんだ。やくざの国のあつまりじゃん。力があるやつ裁くのはだれなんだろう。みんなこの悲惨な状況で苦しんでも声も上げられない子供たちから目を背けないようにしよう。彼らに安らぎは一日もない。一分一秒苦しみ続けている。そしてその状況作っているやつらはのうのうと金儲けしながら暮らしている。これが世の中ならば、ここは修羅、畜生、地獄の世界だ。

2008-03-23 10:16 | ひとりごと | コメント(3)