できること

23日のブログに関する様々な反応をメールでいただいた。皆さんそれぞれに真剣に考えていらっしゃることを知り、このエネルギーをよい方向に集中できたらいいだろうななんて思った。そしてこういったことがある度に疑問に思うことがある。果たしてこういった事を風刺して笑いに結びつけること自体に意義があるのだろうかということだ。誤解しないで聞いてほしい。これはあくまで個人的な感情論ではない。最近時事ネタを中心に笑いのネタを作っているグループや個人があるが、一番気になるのがこの笑いでお客さんが同感、納得して安心しまうという事なのだ。英語でこういう表現がある。”preaching to the converted” つまり身内の賛同者に対しての説教というような意味だが・・・こんな状況になっていないかということだ。つまりそんなことに意識のない人間は最初からそこにはいないのだ。そしてその笑いで、同感した安堵とともに現状を納得してしまうような風潮が怖い。自分でもたまには時事ネタはやるが、いつもこの不安が同居している。笑いとはガス抜きである。しかし、今平和な国にいる自分たちがガス抜きをしていても何の意味も無いような気がするのも正直な感想だ。ん~、難しい。大切なことは、どうにかしてこの子供たちを救いたい。
一つの方法として、日本人にディベート的な思考回路を身につけてもらう事だ。日本人は論争が嫌いだ。すぐに喧嘩になってしまう。そこでこの知的対決の方法、ディベートが役に立つ。あくまで方法論の一つなのだが。たまたま今度、自分が演者として参加する会が今月29日にある。著名なディベート教育、英語教育の先達、松本道弘氏が主催する会である。ご参考までに http://www.english-kodokan.com/kodokan-08-03-29.pdf?ie=UTF8&s=books&qid=1191923460&sr=8-1

2008-03-25 02:41 | ひとりごと | コメント

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