北海道その後

吉凶は糾えるなんとやら・・・・こんなに楽しい旅公演のブログの結末はかなり悲惨であった(涙)まずは順番を追ってお話しましょう。
18日のブログの後、ほとんどの滞在地で信じられないくらいインターネットにアクセスできない日々が続いた。18日の余市公演の後は宿泊地小樽だったのだが、なんとホテルにインターネット接続がない!信じられなかった。近くのインターネット喫茶は舞台が終わって戻ったときには9時すぎており、全て閉まっていた(健全といえば健全だが・・・) ちなみに翌朝小樽駅周辺を散歩する。なんとここの姉妹都市はロシアのナホトカという都市らしい。(写真は駅の壁にあった姉妹都市の看板) 北海道だな~!!でも果たしてどれ程に友好的な交流が草の根レベルで行われているのだろうかと少々疑問に思われた。
翌日は再び室蘭に戻ったが、徐々に台風の影響か、海の様子が荒くなってきたのだ(写真)ん~、いやな予感。前回と同じ会館で公演。前回は低学年用のおしゃべりなパントマイムという四人編成のショーであったが、今回は高学年から中学、高校生用の小型の英語とマイムのショーだった。マイム的動きを利用した英語入門ショーだ。観客席に何人かネイティブのお客さんが見えたが、その方々も私の本を買っていってくださったのにはびっくり!!お父さんの参加として出演してくださった方の一人は現在東北大学の経済学部の博士課程で博士論文を執筆されていらっしゃる方だった。終演後博士論文の苦難の道を短い間だったが語り合った!頑張れ!若い博士候補父さん!!
さてさて英語のショーも,とてもあたたかく、熱烈な反応を頂いて無事終わり、一路急いで苫小牧港へ。午前一時半出航の大洗行きフェリー。なんだか台風にわざと向かって体当たりするようないやな予感がした。いや、予感ではなく、実際に台風に体当たりするのは天気予報から確実だった。後で聞いたのだが、東京湾のフェリーはすべてこの日休航だったらしい。しかし、かなり無謀な船旅だったな~商船三井さん。この船旅は実に凄まじいものだった。大概の船旅には慣れていると自負していたが、これほどまでに船酔いに苦しんだのは初めてだった。何しろ大シケにシケている大海原に揉みクシャにされている船はピッチング、ローリング(縦揺れ、横揺れ)の連続であり、大波に乗って宙に舞い上がった船体の船底が海面に体当たり着水するときの音は、まず爆弾が破裂したような響きと振動で一晩中全身の五感を襲い続けたのだ!! 
連続公演に困憊しきった体だが、一睡もできずに、そして常に揺さぶられる船体に抵抗もできず、しかも逃げ場がない!!食べた物は既にすべて戻しているのだが、それでも尚且つ襲ってくる嘔吐感!生き地獄だった(涙) プロの船乗りの皆さんはいったいこのような場をどのように過ごしているのだろうか?鼻歌ついでに海を眺めてビールでも飲んでいるのだろうか(笑)
やっと落ち着きを見せたのは福島のいわき沖あたり。その夕日は美しいのだが、もう既に自分は一日なにも口にせず、病人のようにぐったりしてベッドに寝そべっていた。しかも、大洗港に着く直前にアナウンスがあり、先に入港した船が船底をすってしまったらしい。つまり大洗港の水深が十分でない可能性が出てきたというのだ!!どうするの?とスタッフに聞くと、「近くの日立港か、もしくは苫小牧へ・・・・」オイオイオイオイオーイ、よしてくれ~!!結局二時間半くらい遅れて10時半過ぎに入港。帰宅はとうに12時をすぎていた。いやはや暫くは船はパス!!(ちなみに写真は同伴のスタッフが根性でとったものです)

2008-05-22 03:28 | つれづれなるままに | コメント

声が出ない!!

富良野までのドライブ中、少々気になっていたのだが、喉がなんとなくイガイガしていた。ところが一晩たったら、声が枯れていた!まずい、旅慣れた筈の自分が、久しぶりの長旅ですっかり忘れていた過去の知恵があった!!疲労が重なると自然と人間の免疫力が低下し、長いドライブの空調で喉に菌が入りやすいということ、そしてドライブの最中頻繁にウガイをするという単純な事だ。しまった!!富良野の舞台が終わった時点ではかなり声が枯れていた。翌日の滝川への移動は、それはそれは快晴の美しい景色の中だったが、声が気になって風景もあまり目に入らなかった。
滝川着、すぐに地元の耳鼻咽喉科に駆け込む。土曜日の午前中ぎりぎりだった。なんと待つこと2時間半!!そして診療はおそらく2分少々だったろう。薬を吸引して炎症止めとトローチ、ウガイ薬をもらってホテルで一休み。医者はとにかく2~3日声を出すなという。
公演会場を訪れると、主催の滝川の劇場のお母さんが「はちみつ100%の飴」をくださった。半信半疑で舐めていたが、これが驚くほどの力を発揮したのだ!!
喉に心地よい刺激を感じつつ3つ連続なめていたら、少しずつ喉のひりひりが消えていった。もちろん枯れた声が治るわけではないが、たしかに感じるくらい喉が滑らかになった。本番はハンドマイクに極力口をちかづけて小声で・・・と思ったのだが、そんなこと無理なのはわかっていた。特に夕べはお客様の反応がよかったからどうしても芸人はその雰囲気に便乗してしまうのだ(苦笑)
気がつくと、声を張り上げていた・・・・何とか気分よく舞台は終えたものの、やはりかなりの声を張り上げていたせいか、少々声の荒れが悪化したようだ。ムムム~、あと北海道2ステージをどう乗り切るか。

2008-05-18 11:00 | つれづれなるままに | コメント

稚内から富良野へ


先日の留萌から稚内への道はオロロンロードではなく、オロロンラインであったので、ここに訂正させていただきます。おまけにこんな写真とってみました。(よいこの皆は絶対に真似しないように!笑)

15年ぶりの稚内、前回も訪れた日本の北端、宗谷岬を訪ねた。変わらない風景。以前と同じ売店郡が並んでいた。ただ、異様な海草の臭いが鼻をついた。あいにく今日は雨だった。降りしきる雨の中、富良野への約300キロ、6時間をひたすら走りつづけた。富良野につくころには雨はおさまり、周囲は真っ暗になっていた。ここには前回は1998年、つまり10年前に公演で訪れている。

翌日は快晴。宿の近くにある富良野小学校を訪ね、お笑い教師同盟の乙部先生を訪ねた。メールではかなり頻繁にやり取りしていたが、初対面というのは実にネット世界の象徴でもある。先生に富良野小学校の校庭にある、「北海道のへそ」なるものを見せてもらう。なにやらこの写真の白い球のようなものがある場所が北海道のへそ、つまり中心地だというのが富良野市民の主張だそうだ。本当かな?(笑)富良野ではこの「へそ」をキーワードに「へそ踊り」だとか「へそ祭り」をしているそうだ。

「脱・北の国から」・・・・こんな言葉を滞在中なんども耳にした。それほどこの地はドラマ、「北の国から」に大きく影響され、また恩恵をこうむってきたのも事実だろう。しかし、人の印象とは一度根付いてしまうと、なかなか拭えないのも事実だ。「北の国から」を除いた富良野・・・・ム~、でも若い人々の間ではこのドラマを知らない割合も確実に増えているのも事実だ。だからこそ脱富良野、なのかも知れない。いざ知らない世代が多数派をしめたとき、果たして富良野はどのような存在として生き残るのだろうか。ラベンダー畑?それとも・・・・

ここもやはり地域復興の策の一つとしてオムライスならぬ、「オムカレー」を地域ぐるみで黄色いのぼりを立てながら提唱していた。なぜ北海道はいつもカレーがらみなのだろうか?(室蘭はカレーラーメン、そしてその他さまざまなところでブラックカレーなどを目にした。)ある人は北海道のジャガイモ、玉葱などを利用するための苦肉の策だともいっていた。公演前の楽屋から綺麗な夕日が見えた。山の夕日はなぜか心が落ち着く。

2008-05-16 08:18 | つれづれなるままに | コメント(4)