立教大学教育学部ワークショップ

流山にて英語とマイムのバラエティーショーを行った。人数こそ決して多くはなかったがものすごい反応のよいお客さん達で舞台が本当に楽しくできた。思うに本当にお客さんの質により、こちらが普段出さないネタまで出させてしまうと言う事がある。今日のお客さんはまさにそのような積極的に『攻めてゆける」客層だった。会館に到着して以前ここで公演したのを思い出したが、なんとそれは1998年であったそうだ。そう、ちょうど10年前だ。ん~、最近少しは慣れてきたがやはり時のたつのは早い。 おととい早稲田の学生が私のところへやってきて『先生、僕の本棚に先生の本がサイン入りでありました。母親に尋ねると僕が小学校低学年のときに舞台をみてどうしても買いたいといって買った本だそうです」だって!!つまり家族で自分のマイムをみていたらしい。ん~諸行無常である。低学年だった少年が今は大学生。感慨無量。
明日は、というか、今日は朝から池袋の立教大学にて松ゼミという教育学部のゼミの集まりにてマイムのワークショップをおこなう。今年で三年目。学院長の松平先生には本当に色々お世話になりっぱなし。学位取得その他折に触れていつも励まされている。感謝感謝です。
さて、そろそろ寝ないと明日が、いや、今日がつらくなる。渡米まであと三日!!えっ論文発表は?って?まだ準備終わってない(汗) Good Nite!!

2008-07-20 02:34 | ひとりごと | コメント

採点地獄と墓参り

今は朝から晩まで試験の採点に取り組んでいる。目が痛い。特に英語のハンドライティングは癖があると本当に読みにくい。目薬さしながらの格闘。そんな中、渡米のためにお盆に行かれない墓参りに行った(地元は旧盆なのだ)。なぜか実家は臨済宗と真言宗(豊山派)の二つの寺に墓がある。雨がしとしと降る中を傘はささずに久しぶりの墓参り。息子が「のんのさん」といって手を合わせる姿がたまらなく嬉しい。
お線香をお願いしに寺の入り口でご挨拶する。実はその昔、確か高校生のときだったと思うが、私はここの坊さんにかなり難題をふっかけたことがあるのだ(ご本人は覚えていらっしゃるかどうか・・・)血気さかんだった若いころは仏教を一生懸命自分なりに解釈しようとさまざまな仏典やら解説書を読んだ。そこで戒名とは、つまりキリスト教でいうクリスチャンネームのことだと気付いたのだ。ところがキリスト教の場合は「私はイエス様のお弟子になります」と宣言することにより、つまり生きているときにキリスト教に帰依する(これは仏教用語だが)事を示す為に頂く名前なのだが、なぜか仏教の戒名(宗によっては法名、法号ともいうが)においては死後の成仏の為のものという概念が日本にはある。それも何十万,何百万円というお金を出して、しかも其の金額により院号、あるいは位号などという差別化を図る行為が日常茶飯事になっている。なんだ?これは?もともと仏教とはカースト制度を標榜するヒンズー教に対して全人間の平等を説いた宗教ではなかったのか?しかも戒名というからには仏教の戒律を守りますという戒を授かるからこそもらえるものであり、お金で買うものではないはず。では貧乏人は成仏できないのか?そしてもっと言えば坊さんとは出家した人間、つまり俗世間のあらゆる欲を断ち切った立場で自らが修行に励み、その生活のために一般の人々がお布施という施しをするはずではないのか?(もっともこれは浄土真宗の教えは例外ではあるが)。それが肉食をし、酒を食らい、女を抱く、おおよそわれわれ凡夫と変わらぬ生活をしながら仏教の戒律を無視し、ただ単に其の家に生まれたから宗教法人としての特権を許されるとは!!!・・・といきり立って直接訪ねて質問をしたのだった。まあ、今から考えると赤面ものだが・・・こんな事して本当に周囲に迷惑かけてきたのだった(大汗)・・・一つインドに実際に行って思った事。戒名のもう一つの意義。彼らは名前を言うと、ずばりそのヒンズー教での階層がはっきりわかってしまうのだ。だから戒名とはその階層を隠してしまう為のものでもあったのだろう。
さてさて、今日はこれから流山市での英語とマイムのショーだ。出国前の最後の舞台!!やるぞ~!!

2008-07-19 10:09 | つれづれなるままに | コメント(2)

可児工業高校公演

16日は可児工業高校芸術鑑賞会。以前渡米前に多治見北高校で公演したことがご縁となり、今回の舞台となった。マイムを見たことがない生徒さんたちがほとんどだったように思う。だとしたらカンジヤママイムのマイムを最初に見ていただいて光栄の限りだ。最初は高校生はとにかく身構えるものだ。それが時間を経ると徐々にその壁が無くなってゆくのが手に取るようにわかる。最後まで本当にみんな良い顔をしながら見てくれていた。終演後たくさんの学生達が声をかけてくれ「おもしろかったっす!!」「最高っすよ」って言ってくれたのが嬉しかった
さてさて、その後楽しみにしていた坪内逍遥生誕の地散策を開始した。逍遥が幼少のころの遊び場としてその回想録に頻繁に登場する虚空蔵堂、イチョウの木、そして本陣跡。今まで読んだ何冊もの逍遥の伝記に必ずでてくる風景だ。もちろん町並みはすっかり変わっているのだろうが、それでも要所要所に過去からの風景の断片が感じられる。昨日までは一人でこの町を散策するというイメージを抱いていたのだが、今日のカンジヤマの舞台を見に地元美濃加茂市や各務原からいらしてくださった4人のお母さん達とわいわい楽しい会話をしながら散策した。その会話の中で、地元の方々も坪内逍遥は知っていても、彼が日本で最初に児童劇、教育演劇の青少年への効能を科学的に説いた人物だとは初めて知ったとおっしゃっていた。そうなのだ、この事を声を大にしていいたい!!最後に逍遥が住んでいた場所に今たたずむ太田小学校をおとずれ、その中にある「逍遥山つばきの部屋」を見学したのだが、そこの年表にも1921~3年までの逍遥の児童劇運動の期間は空白になっていた。太田小学校さん!!ここに是非「日本で最初の児童劇の教育的価値を解説した『児童教育と演劇』出版をはじめ、その後の学校劇ブームの火付け役となる児童劇運動を展開する!」と記述しましょうよ!それは大いに太田の誇りとして良い事ですよ。
とにかくここ大田村で厳粛な父親をはじめ寺子屋から吸収した儒教の教えが逍遥の後の人生を大きく方向付けることになる。逍遥の一時養子となった坪内士行氏(逍遥の兄のご子息)の回想でも逍遥は人生の最後まで論語など儒教関係の書物の翻訳を夢としてもっていたと述べられている。もっともこの儒教思想と西洋思想との衝撃的な出会いと葛藤が彼の小説神髄を書かせるきっかけとなるのだ。逍遥が帝大のときにアメリカ人でイェール大学出身のウィリアム、ホーガンのシェークスピアの授業を履修した際のことだ。試験にて「ハムレットの中の后、ガートルードの性格を分析せよ」との問題に逍遥は、主人を殺した義理の兄弟コーネリアスと結婚したガートルードの行いを儒教的善悪の価値判断で真っ向から徹底的に批判したのだそうだ。その結果かなりあやうい成績をとってしまったらしい。この苦い経験が大きな動機付けとなり、今まで勧善懲悪のステレオタイプな登場人物と決まりきった筋書きしかなく、しかも芸術としての価値をまったく認められなかった日本の小説を批判し、小説本来の神髄を説く事になるのだ。性格描写とは儒教的な善悪の二律背反にとらわれるべきでなく、そのさまざまな葛藤から感じられる「人情」が大切なのだと!!
話はかわり、今日はその坪内逍遥由来の早稲田での期末試験!旅の最中に問題を必死に作り上げた。さてさて学生がどのくらい答えてくれるか楽しみだ。(写真は虚空蔵堂‐上、と太田小学校脇の逍遥公園の碑‐下)

2008-07-17 09:11 | つれづれなるままに | コメント(2)