英語脳!?

月末から舞台の仕事が詰まっており、大学もいよいよスタートする。だからそんな前に提出しなくてはならない論文と朝から晩まで格闘しているのだが・・・・なんと、しばらく英語を書いてなかったら本当に脳がつかれるのだ!(汗)なんでこんなに?と思うほど脳が疲労困憊状態なのだ。一日に3回くらい昼寝している!!(爆) つくづく思うのだが、やはり英語脳は3~4歳までにできているのだろう。自分のように、一般的日本人と同じく中学ごろから文法で英語をやったものにとってはいくら喋れるようになったって、しょせんは外国語であり、意識的に使っている言葉なのだ(涙) 新学期からの英語の授業もかなりきつくなりそうだ。これは年齢とともにより明瞭になってくるような気がする。例えれば引力に反抗して必死にジャンプしようとしているような・・・・
その上、先日またアメリカの演劇教育協会から依頼があり、次回の博士論文の審査員を再度依頼されてしまった!!(涙)おいおい、また何百ページの論文何本も読むのかい?! ああ、こんな時は思いっきり舞台でお客さん笑わせるのが一番の療法だ。

2009-09-17 01:53 | ひとりごと | コメント(1)

Prevention is better than cure!

昨夜のボイスマガジンの仲間に関する続き。
では、彼らは果たしてどのようにして路上に迷える若者を救ってあげているのだろうか?彼らによると、まずは話を聞いてあげることだという。彼ら自身の生き方に批判抜きでまずは本気で興味をもってあげる、そして徹底的に耳を傾ける。これは他人にはなかなかできないことだ。彼らは毎週末夜の繁華街に出て行っては気になる若者に話しかける。そして必要ならば徹底的に時間を割いてあげる。また電話やメルアドを交換し、いつでも話し相手になる。つまり彼らの私生活にもそれは入り込んでくるのだ。次に、彼らが認めてもらえる「場」を提供してやること。これは今ボイスの皆さんが新しい行動を起こそうとしているので、みんなで是非協力したい。誰でもがいつでも集える場をつくるのだという。(http://www7a.biglobe.ne.jp/~voices2006/)
そして最後にもう一つ気になったのが一人一人に人生のなるべく多彩なオールタナティブ(選択肢)を見せてあげる事だという。これは本当にすばらしいと思った。私の先輩で高校教師をしている方が過去に呟いていた。「うちの高校の生徒に夢を持てというのが所せん無理。彼らの環境をみているとそんな選択肢なんか想像もつくはずがない」と。つまり生まれ育った世界がいま過去以上に極端に閉鎖的になっている、そして荒んでいる。ほとんどの子供は家庭、そして学校の往復とテレビ。もしも家庭生活が崩壊あるいは、不和の連続であったり、無理した関係で治まっているものであったら彼らの人生はどんなものであろうか。そして、一方果たして学校の先生たちの中に学校外での現実世界を本当に熱意をもって語れる人、あるいはご自分の人生をめいっぱい楽しんで輝いていらっしゃる方がどれだけいるだろうか。もし若者にとりこれだけが彼らの世界だとしたら、この世の中はまさに無味乾燥なものだと結論づけるに違いない。それから解放されるのが若者にとっては携帯のネットの世界なのだ。そしてその世界には様々な大人の罠が渦巻いている。
一方他に生きる選択肢といったらテレビの世界だ。そしてその世界には実現不可能な金満主義のセレブという世界が年中幅を利かせている。あたかもこれが「究極の幸せ」という触れ込みで!そんな中、ボイスの仲間たちは若者たちに進んで生きる選択肢を紹介してあげている。女子プロレス、演劇、その他さまざまな世界で自分の人生を一生懸命に楽しんで輝いて生きている人々を見せるというのだ。素晴らしい。今これが必要なのじゃないか。つまり教育とは大人の背中、後ろ姿をみて子どもなり若者が自らの判断を下す事であり、決して価値観を押し付けることではない。だからこそ若者たちには様々な選択肢として、いろいろな世界で必死に生きている人間の後ろ姿を見てほしいのだ。(後ろ姿:なぜならば後ろ姿は何も強要しない、ただ姿をみせるのだ!)
一方、昨日のブログの最初に登場した絹川さんたちと話している時に出た話題の一つに、博士論文を書いている時に出会った日本の文部省の大正時代のコメントがあがった。大正末期、政府より学校劇禁止令が出されたときに政府の使った自己正当化の理由付けは「転ばぬ先の杖」であった。つまり若者たちが演劇により堕落したり、(役者のような)嘘つきの習慣に蝕まれない前に手を打つ必要があったというのだ。ちなみに当時この「転ばぬ先の杖」という表現を英語にするのにかなり悩んで探し回った。いちばん適切な訳はおそらくPrevention is better than cure. (つまり後々治療をしようとするよりも、それを防ぐ事の方に力を傾けるべきだ)といった表現だ。演劇活動(特に大正当時の学芸会の大流行)を禁止する事が(つまり事前の防御策が)、若者の堕落をあとで更生させる(つまり治療)よりも正しいといった意味だ。この言葉が昨夜の橘ジュンさんらとの会話の最中に自分の頭の中に響いていた。今現代においては、まさに上記の表現は逆に読めるのだ。つまり大切な事はボイスの人々が行っているこういった地道なcure、「癒し」を極力しなくていいような世の中を少しずつでも構築しようとする努力だ。つまり、すさんだ世の中を助長してしまう前にPrevention (防御)が大切なのだと。そして芸術に携わる者たちはこういったミッションを背負っているという意識を持ってほしいということだ。芸術に「今、この瞬間」に生きながら人生を生きているたくさんの輝いている人間がいる。そういった人間たちとの出会い、それがこういった自暴自棄の若者に新たな選択肢を与え、悲劇を少しでも減らす有効な手段なのではないか。一人でも多くの子供たちと若者に少しでも多くの人生の選択肢に触れさせてあげること。そのためには一人一人の大人が自らの人生を謳歌し、楽しんで輝くことが第一歩ではないのかな。良く若者は言う「あんたなんかには言われたくないよ」。言い得て妙かも知れない。つまりあなたのようないい加減でつまらない人生を生きている人間に偉そうな事言われる筋合いないよ!!って。自らへの自戒の意味をもこめつつ、そんな事言わせないような人生を生きたい。つまりそんな魅力ない大人にならぬために一人一人が自分の「今、ここで」の瞬間の人生を生きねばならないよねって。それぞれの分野で。そう自分は舞台で。

2009-09-15 04:03 | ひとりごと | コメント

出会い

ここのところ本当に仕事で、あるいはプライベートで様々な人々との出会いがあり、とても刺激的な毎日をおくっている。先日はカンジヤマが2000年に翻訳した「パントマイムのすべて」を出版してくださった晩成書房の水野社長とそしてインプロのパイオニア的指導者の絹川友梨さんとかなりおしゃべりをして様々なインスピレーションを頂いた。同じく演劇を応用して人々の為に役立てようとしている仲間とは本当に話題が弾んで興奮しつづけだった。それにしても本当に最近の演劇ワークショップはかなり怪しいものが多くなってきたのも事実。しろうととプロが混じり合って混沌とした世界だ。
また先日は桂文楽師匠とお仕事をご一緒させて頂いた。師匠の若かりし頃の様々なエピソードを車の助手席で伺いながら笑い通しだった。本当に面白いし、勉強になる。自分の知らない世界がたくさんある。舞台での噺家さん達のコンビネーションによる空気の違いも本当に為になる。寄席自体がその組み合わせによりまったく異質で固有なケミストリーが作用して独特の世界を作り上げる。そしてそれは保存できるものではなく、文章にしても絶対に保存できない「その場で消えてゆく」ものなのだ。ううう、楽しい!
今日は自分のウィスコンシン大学後輩でNPOポラリスプロジェクトという人権問題を扱っている女性、藤原さんの主催する講演会ですてきなグループを知った。橘ジュンさん、ケンさんという御夫婦が自らの自己資金で続けているVoiceというフリー雑誌、そしてその雑誌の核となる彼らの行動に関する講演会だった。詳しくはhttp://www7a.biglobe.ne.jp/~voices2006/ とにかく毎週末新宿歌舞伎町や渋谷センター街、はたまた丸山町などへ出向いて行って気になる少女に声をかけ、そしてうんと話をきいてあげる。地道な活動を3年半くらいつづけており、その結果たくさんの「居場所」の失った少女が救われている。最近ようやくマスコミが取り上げ始めたらしいが、本当に地味な、そして意味のある活動だ。こういった無私無償の仕事をしている方々をみると胸が熱くなる。そして何か自分にも出来ることはないかと考えてしまう。教育演劇は実際にこのように居場所を失った若者たちに具体的になにができるのだろうか。自分も地道な行動を起こさねばと本当に学ばされた。(つづく)

2009-09-13 11:45 | つれづれなるままに | コメント