コロナ休暇の徒然なるままに 映画6

元NHKエグゼクティブアナウンサーの村上信夫さんよりバトンを頂きましたこのシリーズの第6日目は、これです。
The Graduate 「卒業」、、、僕の初の洋画体験でした。小学校高学年の時、不二家のチョコレートのテレビCMでこの映画のシーンと共にサイモンとガーファンクルのサウンドオブサイレンスが流れていた。CMでダスティン・ホフマン扮するベンが恋人エレンの結婚式に侵入し、まさに指輪が交わされる瞬間、二階のガラス窓越しに「エレーン!!エレーン!!」とガラスを叩きながら悲痛な声を上げる、、、、婚約者の指輪を今まさに受け取ろうとしていたエレンは、暫くこのベンを見つめるが、やがて「ベーン!!」とその声に応じ、ベンとその場を手に手を取り、結婚式場を強行突破する。この瞬間、サウンドオブサイレンスが流れ始めるのだ!!この曲の美しさに魅了されると共に、無性にこの映画が観に行きたくなった。実際に友人と観に行ったのは日比谷だったと記憶している。当時の僕はアメリカ文化にメチャメチャ憧れていた。僕の最初の洋画体験だった。
映画は確か、主人公のベン(ダスティン・ホフマン)が東海岸の有名大学を卒業し、カルフォルニアの実家へ戻ってくるシーンから始まる。到着した空港で彼のカバンがベルトに乗せられて手荷物受取所に至る描写から始まったと記憶している。ここで既に名曲、サウンドオブサイレンスが流れる。僕はこの時点で既に大興奮!
陸上選手や新聞部部長などとして大活躍後、大学を卒業したベンがその後の進路に悩んでいる。帰宅後行われた卒業パーティーで出会った父親の職業上パートナーであるロビンソン氏の妻のミセス・ロビンソンに誘惑され、ズルズルと逢引きを続け、時間が過ぎてゆく。進路を決めようとしない息子を心配し、両親は彼にある大学生の女性を紹介する。それが実はミセス・ロビンソンの娘、エレンであった、、、、そして彼はその娘に恋に落ちる、、、
60年~70年代にありがちだった「恋愛にその青春の、或いは、生きる意義を見出す~」的なパターンは今では陳腐かもしれないが、若い僕はこの映画にその後の人生をかなり左右された気がする。まず第一に、この映画の最初のシーンのインパクトから、その直後のベンの卒業パーティーで何度となく繰り返された「東海岸の大学」という言葉。この言葉が強烈に僕の脳裏に刻まれた。なぜか分からないが, とにかくカッコよかったのだ東海岸の大学という響きが(笑)そして僕はやがてアメリカ東部の大学に進路を定める事となる。
第二に、この映画の曲を担当するポール・サイモンとそのパートナー、アート・ガーファンクル。彼らの歌がもっと知りたくなり、僕はその後、初めて自分で当時のLPを買った。“All about Simon &Garfunkel” という2枚組の、当時では結構な値段したLPだった。名曲「スカボロフェア―」も何千回と聴ききながら、映画のシーンを回想した。ベンがエレンに恋心を抱き、彼女の通うキャンパスに、赤いアルファ・ロメオ・スパイダーベローチェのオープンカーでオークランドベイ・ブリッジを渡るシーンだ。あまりにも美しかった。このアルバムを始めとして僕は全てのS&Gのアルバムを入手し、歌詞を事細かに調べて発音をコピーして歌った。初めてニューヨークへ留学した時、彼らの出身地、クイーンズの街を地元の学友にドライブしてもらった時の興奮を今もはっきり覚えている。そしてそれから何十年後、40歳をとうに超えて博士論文を書いていた2003年10月25日、シカゴのユナイテッドセンターにてOld friendsという彼らの復活コンサートがあるという情報を入手。毎晩博士論文で煮詰まっていた自分を少しリラックスさせるべく、チケットを買い、ウィスコンシン州マディソンから一人、車を走らせた!!無茶苦茶懐かしくてコンサート中涙がボロボロこぼれてきた。隣の中年アメリカ人女性に僕が持っていた双眼鏡を使いますか?とオファーしたら「いや、私は彼らの声だけ聴いていたい。現実は見たくない」って笑 そうだろう、ポールは相当禿げていた!!それから彼女とも随分S&Gの話題で盛り上がった。
そして第三に、この主役のダスティン・ホフマン!そしてミセス・ロビンソン演じる、アン・バンクロフト!!ダスティン・ホフマンは間違っても二枚目ではない、そして背も低い。それでも彼の演技がものすごく好きになった。アン・バンクロフトの、夫婦の倦怠期の表現も凄かった。(勿論、そのころ、倦怠期などという言葉は知らなかったが、とにかく結婚生活が嫌なんだな~と思わせてくれた)いったいこの人達、どこでこういう事勉強したのだろうと思っていた。ずっとそれが気になっていた。そしてそれを知ることになるのも、やはりニューヨークへ行った後。アクターズスタジオというニューヨーク市にある演技学校だった。最も今では僕は、このスタジオで教えるメソッドと称される演技術をスタニスラフスキーを曲解した亜流として授業で教えているのだが、、、、
若いころの衝撃って本当に凄いと思う。その若者の方向性をかなり決定づけてしまう。最もあれだけ若かったころだからこそこの映画のインパクトが凄かったのだと、今では思う。因みに僕が後にマルセル・マルソーを初めて映画でみたのは、このアン・バンクロフトの旦那であるメル・ブルックスによる「サイレント・ムービー」なる映画だった。
2020-06-05 02:34 | つれづれなるままに | コメント

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