マイムはパフォーミングアーツの孤児?

北陸~東京~東北~東京~そして再び北陸(石川県)と連続公演の旅を続けながらつくづく知らされた事。それは演劇というジャンルを日本人は本当に狭い範疇でしかとらえていないという現実。学校の先生がたの多くは新劇、あるいは小劇場の演劇などのみを演劇として認識、定義されていらっしゃるようだ。そしてそれ以外の舞台表現術、特にマイムを演劇の一環としてとらえる事がないという悲しい現実。マイムという演劇的ポテンシャルを大いに内砲した芸能が舞台芸能の孤児のような扱いを受けているという現状を再認識せざるを得なかった。
逆にいえば、今回、高校にしても中学にしてもカンジヤママイムを受け入れて下さった先生がたは本当に勇気をお持ちだったのだが、一般的にマイムを演劇の一端として見る習慣がこの国にはまずない。そして訓練法としても如何にマイムが演劇の基礎として重要かも認知されてはいないのも悲しい現実だ。もっとも、演劇的なアプローチをとっているマイム芸人が如何に少ないかという事もまた事実なのである。最近はことに陳腐な見世物的なマイムが横行し、マイム=大道芸という構図がほぼ定着してしまっている。それに最近のダンスブームがマイム的なテクニックを「表面的な見世物」として固定してしまっているのだ。平たく言えば、マイム=壁つたわり、マイム=綱引き、マイム=エスカレーター、そしてマイムのイメージはこれ以上発展してゆく事はない。残念なことだ。
先月(六月)の玉川大学の青山円形劇場公演にてある先生がつくづく私にi言ってくださったのだが、マイムは舞台上の動きの大前提となる基本訓練なのだ。マイム訓練を受けていない役者は物を持たずにある行為を表現しようとするとき、本当に不器用な醜態を曝してしまう。また演劇的な表現に慣れ親しんできた学生たちもマイムの演劇的なアプロ—チを知ると本当に新鮮な驚きと興味を示す。これは様々な演劇系大学での講座を通して実感している事だ。多忙を極める舞台スケジュールの中で無理して大学の講義を続ける理由がここにもある。一人でも多くの若者にマイムの潜在的な力を知ってほしい。
さてさて、一連の講義が再開する中、明日はまた埼玉の久喜にて高校の鑑賞会にご招待を受けている。それが終わると直ぐに関西~広島と移動し、帰京後再び多摩パルテノンにて町田の高校の鑑賞会。若者達に少しでもマイムの潜在的な演劇的可能性を知ってほしいと心から思う。人間の身体一つが生み出す劇=ドラマの世界、これが劇でなくて何なのだろう。・・・・もっとも私の身体も現在「劇的」に悲鳴をあげているのだが・・・(苦笑)

2010-07-07 06:22 | ひとりごと | コメント

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