価値判断という力

ある作品、あるいはアーチストがある日突然ブレークする。これは様々なパターンがあるが、その一つに気になって仕方ないパターンがある。先日もアメリカのバン・クライバーン・コンクールで全盲のピアニスト、辻井伸行さんが優勝した。するとそのとたんに彼のCDに注文が殺到したという。なんだかおなじみのパターンだが、日本人はどうしてこう欧米のコンクールで優勝したり受賞しない限り、自分の目で価値判断ができないのだろうか。今まで顧みもされなかった人々が受賞するとそのとたんにそれに飛びつき群がり、そして大騒ぎする。想像するに今まで辻井さんご自身は日本でかなりの演奏活動をしてきたと思う。しかも、もし彼がこの米国コンテストで優勝しなかったとしても彼の実力は変わらないはずだ。今まで逆にその実力に気づいた日本人はいなかったのだろうか?それなのに海外で受賞したとたんにそれに殺到する。はたして日本人は欧米のお墨付きのないものに自分の判断で価値を見出すことはできないのだろうか?自分の目で見、耳で聴き、その価値を判断できないのだろうか。そうだとしたらとても恥ずかしい。 マスコミも同じだ。受賞する前にこのピアニストに注目したマスコミはどのくらいあったのだろうか?騒ぐ前にこのダイヤモンドの原石に気づかなかったことをどう思うのか。それとも、やっぱり私ら日本人の価値判断も「欧米か?!」苦笑
同じことが政治機構その他にも言える。欧米の言いなりになって全てを迎合してきた日本。明治の開国から始まって自己の中からの改革、改新ができないのは私たちのDNAのなせる技なのだろうか?いつも後ろ盾に欧米の力が必要なのだ。官僚機構にしても、この政治腐敗にしても中からの浄化ができた試しがない。だとしたらこれからは欧米の人々にも選挙権をもってもらって直接選挙で投票をおこなったらいいのでは?変わるぞ~日本は!!(爆) 総理大臣を決める欧米コンテスト。裁判の結果を決める欧米コンテスト、そして憲法を決める欧米コンテスト。すべてお墨つきだ!!涙

2009-06-10 10:11 | ひとりごと | コメント(3)

価値判断という力 への3件のコメント

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