残すはあと一日!!

鈴本演芸場もあと残すは一日となった。(20日はお休みいただきます)噺家さんたちに囲まれて舞台に上がるのはいつも快いプレッシャーを感じる。向こうは話すプロである。こちらがどうあがいても話芸ではかないっこないのだ。しかし、こうやってもまれている事は、普段青少年や子どもたちの公演をたくさんこなしている自分にとっては本当に勉強になる。来月も中席は国立演芸場が決まっている。
最近様々な縁で、さまざまな若いマイム演者たちに会うことが多くなってきた。また違った意味で刺激をうける。若いといって侮れない。何しろ若者達は「失う物がない」し、「守るもの」もあまりない。だから思いっきりばかげた事もできるし、破天荒な発想もできる。最近「まとまって」きてしまった感がある自分に気がつくと同時に、これじゃイカンとも思うことがある。かたや「うまく枯れなくては」と思いつつも、一方では「まだまだ動ける限りバカやってみなくては」とも・・・・・
今日ウィスコンシン大学の教授からメールが久々にきた。博士課程の同期だった仲間達の多くが来年の5月に博士論文を終了していよいよ口頭試問を受ける予定だそうだ。何人も途中で脱落したが、最後まで頑張りあった仲間がゴール間近ときいて嬉しい。ガンバレー、友人達よ!!すぐそこにPとHとDの輝く三文字が君らを待っているぞ~!!(Ph.D=ドクター、オヴ、フィロソフィー、哲学博士号)
人生はたくさんのゴールがある。一つ一つクリアーしてゆかないと、ゆっくり、じっくり、楽しみながら。ね!!

2007-09-18 10:41 | ひとりごと | コメント

同時通訳の神様

同時通訳の神様といわれる國弘正雄先生に久々にお会いしてお話させていただいた。高校生のころからの憧れの「雲の上の存在」だった方である。いつもお会いすると話は延々と尽きない!!異文化コミュニケーションの話、通訳の話、そして教育、歴史、政治の話・・・・・
ちなみに場所は六本木、国際文化会館。もと明治の外務大臣、井上馨邸跡地だ。そう、ここは今からちょうど120年前、明治20年4月26日に明治天皇が初めてj歌舞伎を観た、いわゆる天覧歌舞伎が行われた場所なのだ。九代目團十郎、五代目菊五郎らが出演したこの天覧歌舞伎は、歌舞伎、および歌舞伎俳優の社会的地位の向上の大転換要因となり、また、歌舞伎が近代化する大きなきっかけとなった、日本演劇史上特筆される出来事だったという。 もっともこれも明治政府の不平等条約撤回のための欧化政策の一つであり、日本の伝統文化を誇示しようとするアクションであったのだが・・・。
話が横に大きくそれてしまったが、いつも思うのはこの演劇史上の大転換の要因となった場所で、國弘正雄先生という、これまた東西文化の架け橋の代表者にお会いするという、自分にとっては物凄い事なのである。今、自分の英語のショーの最後にも子ども達に語りかける、あのアポロ11号の月面着陸の際の有名な言葉がある。「一人の男にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」このアポロの月面着陸に実際に立ち会われたのが西山千先生であり、この國弘正雄先生なのだ。(西山千先生は残念ながら今年他界された) 
自分が英語狂いで、とにかくアメリカに憧れていたときに、三木首相のブレーンとして、あるいは
その他の国際会議の舞台にて第一線でその英語力を駆使されて日本の為に活躍されていらっしゃった、まさに「雲の上の人」である。いつもお会いするたびに元気をいただく。永六輔さんにしても國弘正雄先生にしても、やはり一流の存在とは、一緒にいるだけで何かを感じさせる輝きがある。バイブレーションがある。自分もそんな存在にいつかなりたい。

2007-09-16 09:59 | ひとりごと | コメント

病院でのマイム、そして人々とのご縁

今日は鈴本演芸場に行く前に一つ仕事をした。某都立病院にて入院している子ども達の為にマイムを見せた。面白い事もない病院内にずっといなくてはならない子ども達、様々な苦痛を伴う医療処置を受けなくてはならない彼ら。そんな彼らに一瞬でも心の安らぎが与えられたらと努力しつづけている人々がいる。その人々のお膳立てで時々こんな事をして子どもたちと遊んでいる。今日も子ども達が大笑いしてくれて、そして最後に一緒に写真をとってくれた。僕のつくったマイムの風船を一生懸命握り締めてくれていた。嬉しい瞬間だ。中には強がりをいいながら、何気なく笑っているこどもたちもいる。
最近クリニクラウンなどという所謂病院訪問専門の道化師の本などが出回り、そしてそれを売りにしている道化師たちがいる。それがあたかも専門職のような誤解を与えている。特にアメリカの例が頻繁に挙げられているが、それらはよくよく注意しなくてはならないことだ。自分はアメリカ生活がながいが、そんなクラウンが持続的に存在したことを見たためしがない(ほとんどそのときの勢いで始まるが、やがては様々な障害に遭遇し、あるいは自分の理想との落差に気づき、消えうせてゆく)。自分もよくそんな道化を目指したいとの相談を受けるが、あまり積極的に進めたことはない。その一つにクリニクラウンと言う名前が示すとおりに、そのクラウンがあまりに異文化な西洋の白塗りのサーカスのクラウンなために子どもの目にそれが異様に映るのだ。それに気付かない道化がおおい。なぜ西洋のクラウンをそのままコピーして病院に持ち込まねばならないのだろうか。日本の子どもにあの白塗りはグロテスクすぎるのだ。なぜそのままの日本人のお兄さんお姉さん、おじさん、オバサンが道化を芸で演じられないのだろうか?確かに白塗りをして派手な衣装を身にまとえばそれは表面は「立派な?!道化師」に見えるかもしれない。しかし、それに内容が伴わない場合は悲惨である。それは道化の押し売りの他のなにものでもない。まずは芸をみがこう。そして心もみがこう。そして「素」でも道化ができるようになったら、あらためて適切なメイクや衣装をまとう事をはじめよう。
それにしても面白いのが人と人の縁だ。今日の病院の女性の先生とお話をしていたら、偶然にも自分のアメリカの母校の大学病院にお勤めされていたらしいのだ。何度あの病院に救急でお世話になったことか!!(笑)しかも年代こそずれてはいたが、あの広い町中で同じアパートにすんでいたとか!!!何だろう、このご縁は?! この会の主催者いわく「天国で子ども達がせっせせっせと人と人をつなぎ合わせているのです」とか!笑 そうならば、あえてそれに身をゆだねてゆきましょう。どうぞよろしく!!ってね

2007-09-14 12:11 | ひとりごと | コメント(2)