途中経過

ノースカロライナよりひたすら北上し、テネシー州、バージニア州、ウェストバージニア州、ペンジルバニア州、そしてニューヨーク州を経て、やっとマサチューセッツ州に入る。二日間運転し続けた。行けども行けども果てしなく続く山々、草原、そして転々と散在する小さな町々。現在はマサチューセッツ州アムハーストの友人宅に滞在中。時間がないので途中経過のみ報告します。いや~、つくづくアメリカは広かった。そして今回も貴重な情報、資料が集まっていま~す。
さてさていよいよこれからボストンへ移動です。ここから残る運転は、およそ一時間半!後ほどまた詳しく報告いたします。

2008-08-04 07:43 | つれづれなるままに | コメント(4)

ノースカロライナにて

ノースカロライナ州Etowa にニューヨーク時代の恩師を訪ねた。その昔自分がまったく西も東もわからずに、ただマイムがやりたくてニューヨークの大学に飛び込んだ際、親身になって指導し、また生涯の師となるトニー・モンタナロ氏を紹介して下さったカイラー教授だ。私の博士号授与式にわざわざノースカロライナよりウィスコンシン州マディソンまで車でお祝いに駆けつけてくれた。かれこれ30年の付き合いになる。絶頂期も試練の時も電話やメールで励まし、祝い、そして相談にのってくれた。その恩師はご自身がクラウンであり、ジャグラーでもある。御歳77歳。しかし、相変わらず無邪気なおどけ方は子供たちを引き付ける。無論言葉の通じないわが息子と、なぜかコミュニケーションを自然にとっているのもお見事だ。
そのカイラー氏が終の棲家として選んだのが、ここノースカロライナ州はアパラチア山脈の中腹。彼の話では、最近までアメリカではとにかく現役を退くとフロリダへというのがお決まりのパターンだったのだが、今はフロリダの隠居人口が膨れ上がり、その上夏の湿度があまりに高いというので、ここアパラチア山脈沿いに移住するパターンが増えているとの事だった。標高が高いのでかなり気温も涼しくすごしやすい。確かに話かけた町の人々にフロリダからの移住者が多いのには驚いた。
アトランタでの南北戦争の共同墓地の話しになったときに、ここノースカロライナはその際にかなり州内でも北側につくか、南側につくかに揺れたらしくという話をきいた。同じ家族や親類の中で、それぞれが南北に分かれて争うなどという悲しい運命に引き裂かれた例が数多く見受けられたらしい。いや、もっと遡れば、より以前に、ここ一体はネイティブアメリカンのチェロキー族が有する土地であったらしく、白人達に追われ続けて西へ西へと移動する悲劇があった事も忘れてはならないだろう。
たまたま教授の家にあった1930年代のアメリカのDVDのアニメ選集をみんなで見た(本来は教授が息子に見せようと探しあてたものだが)。しかし、あまりにも当時、当然に使われていた黒人や、ネイティブアメリカンに対する卑劣な限りの差別用語、差別概念に全員が唖然としてしまったのだった(教授もたまたま倉庫から見つけてきたので、初めて見るらしかった) 本当に人の価値観、良識とは時代によってここまで変わるのかという意味で本当に興味深い経験だった。まさに漫画、アニメは時代の風潮、価値観をダイナミックに映し出す鏡だと思った。子供の頭には知らず知らずの内にそれを見たことによって大人の価値観が再生産されるのだ。しかもいやいやでは無く、演劇と同じく、楽しみながら無自覚の内に・・・確かフランスの構造主義的哲学者、ルイ・アルチュセール(Louis Althusser)がこれを「イデオロギーの再生産の為の社会装置」という呼び方をしていたと思うが、実に怖い事だ。今の日本のテレビはずばり今の子供の将来の価値観をつくりあげている。(写真はカイラー先生)

2008-08-01 11:26 | ひとりごと | コメント

アトランタ郊外の怪奇現象!?

アトランタではまだまだ時差ぼけが取れずに深夜に目を覚ます毎日だった。もうすぐ三歳になる息子も早朝4時ごろには暗い部屋をぐるぐる歩き始めていたので、そんな息子をつれて早朝に二人でここアトランタの郊外の住宅地を散歩した。未だ寝静まる住宅地を近くの教会まで約30分くらい散歩した後、さすがに疲れた息子に抱っこをせがまれ、両腕に彼を抱いて家への帰路についた。朝霧が立ち込める中、あと少しで到着という時、腕の中で今来た道をじっとみていた息子が突然「ねえ、あの子だれだろ?・・・」何気なくその方向に振り返えってみる・・・しかし、自分の後方にはただ今来た道があるだけである。すると息子が「ねえ、あの子誰だろう?」としきりに道端を指差す!!「え?どこ?・・・」確かに何も誰もいないのだ。「誰もいないよ?」(言いながら、おいおいよせよ、冗談だろ・・・汗・・・) しかし、彼はまだ言う「ねえ、あの子だれ? 心の中で「よせよ、よせよ、悪い冗談・・・まだ言えるわけ無いか・・じゃあ、これって・・・」
そんなわけで、朝早くからなんとなく不思議な気分で帰宅。全員が起きてその日の昼近くブランチを食べているときに、何気にその話をしてみた。すると従妹が「私もみたんだよ・・・」ドキッ 実は彼女はある日旦那さんの隣に見たことの無い人物を見たのだという。「おいおい、アトランタまできて納涼怪談シリーズの始まりかい?(笑)」そのご主人「いや、実はここの付近は南北戦争当時、かなりの激戦地だったのですよ!」おお、そういえばここへ来る途中に延々とつづく白い小さめな墓碑が並ぶ共同墓地のようなものがあったのを思い出した。なるほど、そういえばそうかもしれない。でもそれって、だからさ、さっきの、その息子のみた、いや、その・・・
というわけで、その翌日せっかく?だからとみんなで近くのConfederate Cemetery (南部連合軍共同墓地)を訪れて南北戦争の当時を偲びながら墓地の中を散策した。そう、ここは彼の『風と共に去りぬ』を書いたマーガレットミッチェルが生まれ、彼女がその物語の背景の南北戦争をあつかった場所である。世界中かつてどこでも人は生まれ、そして死んでいっている。しかし、そんな事は日常生活の中で何気なく忘れていってしまうものなのだが、こんなひと時を過去の歴史を肌で感じてみるのもいいかなと思った。あまり感じてしまうのも問題だが・・・苦笑
(写真はアトランタ郊外の南部連合軍の共同墓地とその碑)

2008-07-30 08:50 | つれづれなるままに | コメント(2)