本物の大学の授業とは!!

最近の新聞記事で知ったのだが、今NHK教育テレビで毎週日曜日夕方六時より「ハーバード白熱教室—名門大学の人気の授業」と題して、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の「JUSTICE(正義)」という政治哲学の講義がオンエアされているという。今日早速見てみようと思っている。毎回千人を超える学生が会場を埋めるという未曽有の人気授業だという。政治哲学といえども取り上げるのは現実に目の前に起こっている問題を学生達と討論を交えて進行しながらそれらの題材を具体的な哲学の命題へといざなう授業のようだ。前回書いた日本の大学の現状と照らし合わせてみると本当に悲しいものがあるが、とにかく上をみてインスピレーションをもらおうと思う。もしこのブログをご覧の方々、間にあったら是非ご覧になってはいかがでしょうか?
5月16日(日)午後6時~ NHK教育テレビ 「ハーバード白熱教室」 (内容の一部:嘘をつかない練習、クリントンの言い訳に正義は?他)

2010-05-16 07:53 | ひとりごと | コメント(2)

大学(少子化)の弊害

ショッキングなニュースを読んだ。読売新聞に「大学生の基礎学力の低下が問題となる中、埼玉県の県立高校が来年度から、提携先の大学生を聴講生として受け入れることになった。」とある。ついにここまで来たか。大学生が高校のクラスを受けなくてはならない。いや、ややもするとそれどころか高校生以下の学力というケースもあり得る。かなり以前から大学の中には授業の一環として「算数」やらその他の基礎学力を学びなおす内容がかなり導入されていたと聞く。空いた口がふさがらない。もっともそれを正面から受け止めて対策を講じている方がマシなのだろうか?なぜならば、このような学生達を甘やかして卒業させてしまう大学が多く存在するのも事実だからだ。文部省はもう少し大学の質を厳しくチェックするべきではないか。
諸悪の根幹は大学の数と子どもの数の不均衡であるのは明瞭だ。現在では700以上ある大学の約半数が定員に満たないと言われている。その各大学が「経営上の都合により」募集人数をはるかに下回る子どもたちの青田買いに躍起になっている。いや、正確に言うと青田買いという言葉は以前は優秀な人材をあらかじめ確保するという意味に使われていたはずだが、現在はその質は殆ど問われない。とにかく募集人数を満たすだけの頭数合わせとしか思えないような入試がまかり通っている。(内容の伴わない)推薦入試、面接だけ、あるいはとにかく学科を受ける通過儀礼をこなせばめでたく合格!なんていうのはざらだ。電車の中の公告はまさに大学学生募集一大キャンペーンで花盛りだ。まあ徐々に大学自体が自然淘汰はされていくにせよ、そのプロセスの間に無作為に「かき集められる」大学生の質の低下は甚だしいものが当然予想される。それよりもっと凄いのは在籍するのが海外からの「留学生」という名の元で、その実態は入国ビザを取得して日本でほとんどを労働についやす、「出稼ぎ人」達の集まりというケースも多々あるらしい。
かつて都市銀行がそうであったように大学も早く淘汰されてゆかないと、このままではこの国の学士は世界で通用しないものになってしまう。いや、もうそうなっているのかもしれない。かつてアメリカで学ぶ日本人留学生は英語力では劣っていたがその数学力などではアメリカ人を驚愕させるような実力があった。(数学がさして得意でない自分でさえ、SAT,GREといった大学、大学院入学の為の共通試験では数学で点を稼いだものだった)ところが今はそういった日本人の実力さえも影が薄くなっているらしい。もちろんこういった学科の実力だけが人生の生きる力ではないのは十分承知している。だが、しかし、やはり日常の読み書きを考える時、やはり携帯でしか文章を書かない若者、携帯小説などのライトものしか読まない彼らの思考能力はかなり限界があるような気がする。
日本語能力が低いゆえに英語力に関してもそうだ。海外に目を向けると、ハーバード大学の学部には中国や韓国から何百人という物凄い数の留学生が在籍しながらアメリカのエリート達と切磋琢磨しながら学んでいる。こういった彼らが将来自国の外交などを担うエリートとなるわけだが、悲しことに日本人の数は極端に少ない。正規の学生は実に10人にも満たないらしい。(これはあくまで自分がケンブリッジに住んでいた四年程前の情報)。元来の外交音痴である日本の将来を思う時、この外交力の差はどんどん広がってゆく気がする。
基礎学力、これは国力と同じだと思う。それがないがしろにされているこの大学制度は一体これからどこへ向かってゆくのだろうか。実に少子化という問題は経済力という以外にも国力維持に色々な側面から影を落としているようだ。

2010-05-15 07:56 | ひとりごと | コメント(1)

ピエロとパントマイム

またまた忙しさにかまけてブログが滞ってしまいました。さてさて前回のお約束をまもりましょう。映画「天井桟敷の人々』のお話です。映画自体は19世紀前半フランス、パリのタンプル大通り(俗称、犯罪大通り)を舞台に、様々な芸人や取り巻きの生きざまを描いた物語です。

勿論、この映画の恋愛物語は架空のものでありますが、主人公のバチスト(ジャン・ガスパール・デビュロー)や、この場末の劇場地区の時代設定、そしてバチストが演じることによって当時のパリに巻き起こされたピエロブームは歴史的な事実なのです。19世紀の前半まで、フランスやイギリスの道化芝居はイタリア喜劇の絶大なる影響下にありました。そしてその道化芝居の中心はイタリア即興喜劇、コメディア・デラルテの中心的キャラクターのアルルカン(またはアルレッキーノ)でした。そのアルルカンの役柄というのはドタバタ喜劇の中心で、ある種サディステックな笑いを得意としていました。この道化芝居の中で比較的マイナーであった「ペデロリーノ」というキャラクターを自らの創造で一躍「ロマンチックなピエロ」としてパリのヒーローにしてしまったバチストの物語がこの天井桟敷の人々の土台になっています。
当時のパリでは主に絶大な人気を誇るイタリア喜劇からフランスの体制側の演劇を守るという大義名分のため、(もちろん反体制運動規制の意味合いも大きかったのですが)、政府の認可を受けたごく一部の劇団しか正当な台詞劇を演じることができなかったのです。なんだか可笑しな現象ですよね(笑)。そしてその他の場末の劇場は台詞を使う劇は一切許されず、その上様々な、実に奇妙な規制が強要されていました。例えば、舞台に出るときには逆立ちやトンボ返りをしながら出ないとならないとか、ひどい時には紗幕の裏側でしか劇を演じることができなかったという例もあるほどです。(そして統治者が変わるたびにこの規制が変わることも頻繁にありました)。つまり台詞を禁じられた劇場が生き残る術は台詞の代わりに曲芸、アクロバット、パントマイムなどを上演するほかにありませんでした。バチストの所属していたフュナンブル座もこういった弱小劇団の一つだったのです。(映画の中で舞台袖のギャランスに心を奪われているバチストをみて、いたたまれなくなった座長の娘でバチストの許嫁が、「バチスト!!」と声をあげてしまったシーンが大騒ぎになりましたね。これはこの時代背景を知っていて初めて事の重大さが分かります。つまり台詞を喋ったらややもすると当局から劇場封鎖の懲罰をくらってしまうのです!)
この映画の主人公バチストは実在の人物であり、1796年ボヘミアで旅周りの芸人の一座の長男として生まれました。この一家はヨーロッパ放浪の末、パリのフュナンブル座に雇われることになりますが、もともと不器用なバチストは専らマイナーな道化役を演じていたそうです。ところが1818~9年のシーズン中に(映画でもあったように)あるチャンスがやってきたのです。それまでにマイナーな役であるピエロを演じていた役者がある事件を起こし、その穴埋めの為にやむを得ず代演させられた彼のピエロが大ブレークしてしまったのです。彼の作り上げたピエロというキャラクターはそれまでには無かった独特なものでした。白い長い上着をまとい、白塗りで恋にやつれた哀愁漂うピエロでした。(つまり現在私たちがピエロに対して抱くイメージというのはこの時代に作り上げられたのです。) パリ中の人々が彼のピエロを絶賛するようになり、それ以後ピエロというキャラクターがすっかり道化芝居の中心的存在になったのです。
特にその舞台に魅了された様々な文化人たちはそれぞれの分野でピエロを絶賛し、絵画や詩や彫刻作品として残したりしました。代表的な人物には前回お話したロマン派の詩人たちがいます。シャルル・ノディエは自らの仲間たち、バルザックやヴィクトル・ユーゴなどの文人たちを誘って劇場に足繁く通い、彼の為に脚本を書いたりしたそうです。結果、ピエロは様々な芸術分野のモチーフとしてもその舞台上のキャラクターとしてもパリ中に満ち溢れ、パリはパントマイムの全盛期を迎えたのです。ここで重要なのが、この様々な政府の規制の網を潜り抜け、しかも観客にアピールする為にバチスト達が用いたのが従来のマイム(様々な雑種劇の総称でドタバタ中心)とパントマイム(沈黙の動きを中心とするダンス的な語り芸)の合体だったのです。この時代に歴史上初めてマイムとパントマイムが有機的に融合されたのです。
ちなみにこの映画はバチストの没後100周年というタイミングで作られました(没1846年)。もう一つこの映画がマイムにとり貴重な理由があります。このバチストを演じたのがパントマイムの名手であったジャン・ルイ・バローであり、彼は見事なパントマイムを映画の中で演じています。また彼の父親役を演じているのはバローをパートナーにして現代マイムの動きの基本文法を作り上げた「現代マイムの父」として知られるエチエンヌ・ドクルー(マルセル・マルソーの師匠)なのです。
(写真下は『天井桟敷の人々』におけるエチエンヌ・ドクルー[写真右]とジャン・ルイ・バロー[写真左])

2010-05-09 08:14 | ひとりごと | コメント(7)