鈴本演芸場八月下席

本日21日から上野鈴本演芸場八月下席に出演しております。今日は初日。本日より弟子のカンジヤマCがめでたく落語協会会員として寄席に出ることになりました。従って今席は24の私のソロの日と25のお休みを除いて二人での出演です。もっともCはすでに10年ほど前に鈴本演芸場や国立にお世話になっておりますので必ずしも初めての寄席ではありません。今日は立ち見も出るほどのお客様。とても楽しく二人でできました。
尚、以前お話ししました、週刊新潮のコラム「私の食卓日記」に関しては8月26日発売予定の9月2日号にカンジヤママイムの日記が掲載される予定だそうです。是非ご覧ください。さてさて今年後半戦がはじまりました。楽しく思い切り動いてゆきたいと思っております。今月は鈴本演芸場下席に加え、29日には親子寄席もございます。そして25日には秋田へ高校の芸術鑑賞会にまいります。その他論文もいくつか手がけておりますので、またまた忙しい日々です。楽しみましょう、人生を!!

2010-08-21 09:08 | 公演 | コメント

採点終了!!

イエーイ!!ようやく大学の期末試験採点がすべて終了し、成績を提出し終わりました。この何とも言えない解放感。いくつもの仕事掛け持ちながらの殺人的スケジュールの中での採点。飛行機の中、車移動の中、そして移動先のホテルの部屋・・・何百というエッセイを採点するのはかなりの労力。ブログも滞ってしまっておりましたので少々キャッチアップさせていただきます。この間も様々な舞台をこなし、そして依頼原稿などを書いていたのですが、その中のいくつかの出来ごとをピックアップ。
まず先日、古今亭菊丸師匠の独演会ゲストとして広島を訪れましたが、これが凄い!何しろ全国広しといえども、噺家さんの名前を冠したホールがあるというのはまず見た事がない!!広島市にある上野学園という7つの専門学校を展開する学園のその一つ、ビジネス専門学校。ここの最上階にあるホールに「菊丸ホール」なるものがあったのだ。この学園の理事長が菊丸師匠の後援会長さん。しかし、自らの名前のホールで独演会って凄い!!因みにご一緒させて頂いた月の夜鏡太さんが私と同じ松戸出身であられた事を発見。かなり地元ネタで盛り上がった。(もちろん世代はかなり違うのだが・苦笑)
8月1日に先日当ブログでも紹介させて頂いた、早稲田大学の教え子がベトナムへ発ちました。ハンセン氏病の方々の為のシャワー設置のワークキャンプ。現地のベトナムの学生と協力してハンセン氏病患者さん達の劣悪な生活状況を少しでも改善しようという若者たちの善意のエネルギーの集結です。出発直前に大学で彼女に会いましたが、皆さんからの熱いご声援と暖かい愛情に感動しておりました。どうやら目標にしていた金額をかなり超えたカンパが集まったそうです。しかし、おそらく様々な予期せぬ出費もあるでしょうからギリギリという事になるのでしょう。もし、まだこの活動をご存知でなかった方々も可能でしたら是非無理ない程度のカンパをしてやってください。このワークキャンプはまだまだ続くそうです。
この一連の過程をみて「世の中捨てたもんじゃないな!」というのが私の正直な感想でした。普段耳をふさぎたくなるような信じがたい人間の愚かで邪悪な姿が新聞、ニュースを埋め尽くす中、様々な人々がカンジヤマのブログを読んで下さり、次々に善意のカンパしてくださいました。こうした善のエネルギーが若者の無私無欲の行動を確実に後押しし、勇気づけ、そしてゆっくりですが世界の各地に小さくても確実な結果を出してゆくと信じております。この場をお借りして私からも心から感謝させていただきます。合掌
さてさて毎年必ず論文を発表すると自分に言い聞かせながら、ムチ打ちながらやっている論文作業。これも今なんとか次のものがスタートし、徐々に形になってきております。出版は来年早々の予定。ああ、論文を口頭でしゃべれたらこんな楽な事ないのに(苦笑)
国立演芸場の寄席前後から書いていた原稿は「週刊新潮」のリレー連載の一人として載せて頂けるものです。題して「私の週間食卓日記」。様々な分野の人々が一週間の食生活を中心に仕事などを綴るものです。また掲載号がハッキリしましたらお知らせさせていただきます。ちょうど期末試験などの過渡期だったのでカンジヤマの普段の生活としては異様なほど家にいられた日々でしたので食生活も健康的で安定した日々でした(笑)
今、実は私の人生におけるかなり大きなプロジェクトが進行中です。詳細はまたいずれ。8月5日より渡米し、暫らく静養を兼ねて会議に出席したり舞台を見たりしてまいります。さあてと、走り込むぞ~。

2010-08-03 05:31 | つれづれなるままに | コメント

足場づくりでお手伝い!−スカフォールディングについてー

ヴィゴツキーという学者が提唱した最近接発達領域(Zone of proximal development)という考え方がある。自分が初めてこの考え方に触れたのは博士過程の一年目の夏に心理学の集中講義を連続して受けた時だった。このとき自分の脳裏では私のマイムの師匠、モンタナロ氏の舞台上での演出的行為と重なって見える思いがしそして興奮したものだった。
まずは最近接発達領域だが、これは一般的に定義されているのは「学習者が一人でできることと、自分より有能な他者の手を借りればできることとの間の領域」のことを指しており、「有能な他者がうまく学習者の「足場をつくってやる=支援(scaffolding)」することで、その領域は縮まる」という事である。つまり学習者をそのまま放り出しておいて何のケアもなかったら、その学習者の本来の可能性(ポテンシャル)は育たずに終わってしまう事が多い。その学習者のレベルに合わせた適切な支援を適時に施してやり、その支援が必要なくなったときには自らの足で立たせてみるという、こうした交互の適度のバランスによる指導によりその学習者のポテンシャルが最大限に開発されるという事だ。
ほったらかしにされる・・・これは従来のマイムの舞台では顕著にみられた傾向であった。観客がどんな層であれ、どんな文化的背景であれ、どのようなタイミングで客席にいるかを問わず、マルソーの構築した「ユニークなタイトル表示のあとの沈黙の芸」・・・「後は一切想像しなさい」・・・これがマイム公演の定番であった。これが好きな客層にはたまらないくらいの知的創造力が喚起されるのだが、日本の伝統的文化背景やら、子どもの観客の年齢層、その他の条件によっては、このようなマイムは非常に難解でそして冷たい芸術として映る。なかなかなじめない、入り込めない。そんなイメージが日本であったのは事実だ。ところが自分が80年代に初めて渡米し、師匠のマイムの進行をみるとこの既成概念が見事に打ち破られていたのだった。最初に開演前にモンタナロ氏は必ずざっくぱらんに舞台に顔を出す。そして世間話から始まり、徐々にマイムのデモンストレーションを初め、グイグイ観客をその世界に引き込んでゆくのであった。一つ一つの作品の前に適切なスカフォールディングを行い、客が何を知っている事により、より想像力を喚起できるかを事細かにその話題にとりいれるのだった。だが、この魅力が何なのだろうと常に思ってはいたが別に分析する意志もなく、長年師事していたのだった。
ある日自分のバイオリン弾きという作品を舞台で師匠に見て頂いた後で批評を頂いたときに、以上の事がはっきり自分の理解として咀嚼され吸収されたのだった。師匠にとってはこの作品を子どもの前で演じるときに、仮面を独立させて想像させよとのことだった。この作品の最重要要素として「仮面」というマイムのテクニックがある。この仮面が理解できないとこの作品は満喫できない。この仮面というのは両手を仮面の形に固定して顔面に当て、そしてすばやくその手の裏で顔の表情を変えて固定し、手を離すと仮面をかぶったような錯覚を見せられる。大人ならばある程度わかるのだが、子ども、特に小さな子ども達にはこれがどのくらい仮面としてはっきり理解されるのかが問題なのだ。
そしてこの仮面が理解されなかったり、理解しようと色々「これは果たして仮面なのだろうか、それとも何か他のものか」という自問を作品の最中に観客がくりかえしていたりすると、マイムの全体の作品としての効果が鈍ってしまうのだ。つまりジェスチャーゲームのごとき推測ゲームとして終始してしまう。まさに「木を見て森を見ず』の世界・・・・これが従来のマイムの陥りやすいトラップであった。
そこでこの作品をやる前に私は必ずパートナー、あるいは自分で何気ない話題から初めて、徐々に思いで話などの中に「お面の思い出」という逸話を挿入し、ここで子どもたちにお面というマイム的行為のゲッシングゲーム(推測ゲーム)をやってもらってしまう。つまりここで仮面のテクニックを既に紹介してしまう事によって、次にくる作品の中の仮面を容易に受け入れ、その背後にあるより重要なコンテクスト(作品の文脈)を自然に追う事が出来るようになるのだ。ここにはすでに余分な想像ジェスチャーゲームの要素はなく、適所適所で子どもたちは自らの想像力にチャレンジを促される。
このような行為を舞台で行うようになってから、容易に大人用の作品を子どもにも見せられるようになったのだ。つまり子どもは文脈上それほど推測に時間をかけてほしくない箇所にはすでにその知識を持ち、適切な重要な場所ではそれ相応の知的チャレンジを受ける事ができるのだ。
もっともこのテクニックを最初にアメリカから帰国後見せ付けられたのが実に永六輔師匠の話芸であった。永さんの話芸は必ずこのテクニックが使用されていた。永さんの紹介する芸人さん達の、時に難解な内容も、一般的にいったら年齢層が合わないような内容も、必ず永さんのスカフォールディングがあると、観客のポテンシャルは最大限に引き出されるのだった。話しながら観客の層を読み、そしてその必要最低限のコーチングを施す。まさに落語における「まくら」の中の重要要素でもある。もっともこのような理屈抜きで噺家さんたちは肌でこのテクニックの必要性を感じ、経験によって習得しているのだろう。恐るべし話芸の達人も使っていたこのテクニック − スカフォールディング=足場づくりだ。

2010-07-26 06:32 | つれづれなるままに | コメント(2)