応用マイム原稿


お笑い教師同盟が発行する「超!エンタメ教育経論」の最終原稿を提出しましたので、その内容をここに転載させて頂きます。

メールマガジン「超!エンタメ教育評論」
第142号 2015年2月13日発行

応用マイムとは?(what is “applied mime”?) 第4回
         パントマイム役者 カンジヤマ・マイム
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 始まったばかりのような気がしていたら最終回と言う事でか
なり慌てておりました。それと度重なる旅公演と学期末の大学
のクラスの成績管理が重なって遅れまして申し訳ございません。

 さて、マイムの魅力、応用法などまだまだたくさんあったの
ですが、最後のまとめとしてどうしようと散々迷った挙句、今
回は俳句マイムについて簡単にご紹介いたしましょう。俳句マ
イムというと、かなり上級向けのような気がするでしょうが、
実は意外とこれが楽しく簡単にできるのです。例えば山頭火の
自由律ですと、本当に描写だけでもシンプルで楽しい。勿論そ
のシンプルな句に難しい深遠な意味もあるのだけれど、あえて
描写が面白いものをその年齢なりの解釈でもって身体で表現す
ることにより、自由律の山頭火がより身近に思えてきます。深
い意味は後で学べばよい。まずはその句と親しくなることが大
切です。

 実は私たちカンジヤママイムが芭蕉に挑戦する前に、永六輔
さんのアドバイスで始めたのがまずこの山頭火の句でした。例
えば「歩く」という行為に関連する句を全部集めて、どのくら
い違う歩き方ができるかどうか挑戦してみました。これも素人
なりにできる範囲でやれば面白いこと沢山表現できると思いま
す。 いくつか例を挙げてみます。「けふ(今日)もいちにち風
をあるいてきた」、「なんとなくあるいて墓と墓との間」「笠
にとんぼをとまらせてあるく」、 「風の中のおのれを責めつ
つ歩く」、「まっすぐな道でさみしい、どうしようもない私が
歩いている」、「何を求める風の中ゆく」、「もりもりもりあ
がる雲へ歩む」などなどです。どうですか?童心に帰って想像
してみてください。どんな面白い表現の仕方があるかなどを楽
しんで考えたら小学生でも相当面白い事ができると思います。
こういうシリーズでなくとも、例えば「てふてふひらひらいら
かをこえた」など山頭火の句には本当に純粋にその字面だけで
も楽しめる情景描写がたくさんあります。この中で例えば、喋
喋は?あるいはトンボは?それぞれどのように表現することが
できるかをクラスのグループごとに考えながらブレーンストー
ムしてグループで表現できたらそれで大成功。最後に互いにそ
れらを発表しあってみるとなおさら楽しいです。勿論先生のフ
ァシリテーションが大きくその楽しみ方を左右することは言う
までもありません。ですからある程度はマイムの基礎を学んで
いただけたらと思っております。

 こうして自由律の句で自然や生き物をある程度表現できたら
芭蕉などに取り組んでみるのも面白いと思います。例えば、こ
れはかなり上級になりますが、以前教えていた学芸大学のクラ
スにおいて芭蕉を自由に解釈してよいから好きな句を動きにと
課題を出したところかなり面白い解釈をしてきた学生がたくさ
んいました。一つ例をあげるとしたら、自分がファストフード
などで接客バイトをやっていて、クレームなどで散々気を遣っ
て忙しい時間をやりくりし、やっと休憩時間がきて、逃げるよ
うに店の裏口から外へ出る。たばこを一服し、ほっとして汗を
拭いながら暑い空を見上げ、深呼吸をする。そこで「静けさや
岩にしみいる蝉の声」と一句を背景に流します。すると芭蕉の
句が今の若者の日常の一場面のバージョンに早変わりしたので
す。
 つまりそれぞれの年齢や知的解釈のレベルによって様々な身
体表現への翻訳ができるのが俳句マイムの魅力なのです。その
ままでもいいし、あるいは自分なりの解釈でもよい。以前、私
は日本経済新聞の文化欄のコラムにこの俳句マイムを紹介した
ことがありますが、その時にこんな解説をしたことがあります。
俳句というの「まさに五七五の簡潔さの中にすべてを凝縮した
『言葉のパントマイム』、」であり、「俳句マイムの創作とは、
五七五に凝縮されたエッセンスの還元、再凝縮作業なのである」
と(日本経済新聞 1994年2月16日)

 最後に、日常の俳句などを改めてマイムに創作する例を少々
上級のカンジヤマの俳句マイムを例に一つ紹介しましょう。同
じく日本経済新聞に紹介した例です。実際にこの俳句マイムは
今でも舞台でたまにやることがあります。以下日本経済新聞 
1994年文化欄のカンジヤママイムの記事より引用 かっこ内は
筆者の加筆

 例えば(山梨県)中富町の句碑の里には、永(六輔)さんの「寝
返りをうてば土筆(つくし)は目の高さ」という句がある。寝
転んでいて、寝返りを打つと土筆が目の前にある・・・・・・。これ
ではただの当て振りである。実をいうとこの句は簡潔すぎてか
えって難しく避けていたのだが、テレビ番組で中富町の特集が
あった際、半ば無理やり作らねばならない羽目になってしまっ
たのだった。

 七転八倒の末、思い付いたのが「寝返りをうつ」=知らぬ間
に、「土筆は目の高さ」=季節、時間の経過、ということであ
った。そしてこの句の解決のヒントになったのが、永さん作詞
の「坊や」という曲を、偶然ラジオで耳にしたことであった。
 結果はこうである。親子が草原に散歩にくる。子供が父の手
を擦り抜け、草原で戯れている間に父親はウトウトと居眠りを
してしまう。子供は草原の中に土筆を見つけ、それをつかもう
とした瞬間に土筆そのものになりムクムクと成長する。やがて
父親が寝返りをうち、わが子に目をやるとその子は知らぬ間に
すでに自分の日の高さにまで成長している。やがて老いた父親
は今度はその子に手を引かれ歩み出す。(引用終わり)

 勿論上記の俳句マイムはプロとしての舞台に上げるための創
作であり、子どもたち、あるいは若者が必ずしも上記のような
完成度のある作品を作り上げる必要はありません。ただ前にも
申しましたようにそれぞれの年齢、解釈力に相応する楽しみが
あるのがこの俳句マイムの創作なのです。文学に親しみ、しか
も楽しみながら、徐々にその解釈を深め、広げてゆく手段にも
なりえるのです。一度是非試していただければと思っておりま
す。

2015-02-13 05:07 | つれづれなるままに | コメント(2)

応用マイム原稿 への2件のコメント

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