感性について考える

さて、いよいよ師走。師が走る月にはいった。相変わらずの公演の日々。先日は都内荒川区の小学校にて芸術鑑賞会。都内の学校らしく、体育館ではなく、アリーナと呼ばれる舞台設備のなかなかの施設。当日は学校の御好意とご理解を得て、NHKエデュケーショナルの方々が見学にいらしてくださった。実は来年度のNHK教育の「おかあさんといっしょ」という番組のコーナーが新しくなるにおよび、カンジヤママイムがそのマイム的なアプローチで振り付け、演出などのお手伝いをさせて頂く事になったのだ。やはりマイム自体、大道芸というイメージが先行し、舞台でのマイム演技というものがあまり知られておらず、NHKの方々も舞台マイムを改めて見学し、その可能性を確かめたいという事だった。嬉しい限りだ。教育関連の方々にマイムの可能性を少しでも知っていただく。これが自分の人生における大きなミッションだと思っている。
カンジヤマのショーは小さな低学年から高学年までを対象とした様々な作品をオムニバス形式に網羅しているのだが、決してこれはもともと年齢を意識して作ったものではない。つまり私たち大人が童心にかえって「面白いな~」と思ったものを単に練りこんでいるのだ。であるからして、子ども達を大人と同じく扱うように努力している。ある時は低学年の子達がかなり難しい作品に感じ入ったり、あるいは高学年が本当に初歩的な身体的なギャグで感動したり、その可能性は無限であり、予想不可能でもある。問題はその子どもの発達の過程段階と、持っている感性と、そして眠っている筈の可能性なのだ。
当日も、実は公演後なんと小学校一年生の女の子が涙を流しながら公演後舞台に先生と母親に連れられてカンジヤマをたずねて来てくれた。感動を伝えたくて仕方なかったという。思わずその子を抱きしめてあげたくなった。その他、今反抗期らしき高学年の子供たちもカンジヤマを舞台の外でずっと待っていてくれたという。舞台撤収後その子らに会いに行き、直接感想を求めるとテレながらもブツブツと色々話をしてくれた。彼らの中に潜んでいる感性。いかにこれらの(もしかすると眠っている)感動の種に水をやれるか、これが勝負なのだ。そしてマイムという芸には確実にその可能性がある。そしてこれが少しでも教育に応用されてゆくことを切に願ってやまない。まずは大人自身が表現しなくてはならないのだ。
さてさて師走。走るぞ~

2011-12-01 06:56 | ひとりごと | コメント(5)

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