プロだという意識

つい先ほど夜10時近くに玉川大学のゲネプロから帰宅し、今から明日からの金沢への旅公演の準備をする。帰京後、土曜日の朝TBSへ。ウェブのトップページでもお知らせしている永六輔さんのTBSラジオ「土曜ワイド東京、永六輔その新世界」へのゲスト出演予定だ。(午前9時より)
鈴本のリハーサルもままならない忙しさの毎日、仕事に専念し、打ち込みたいところだが、今まさに気になる事がある。先日の保育園にての放射線計測は見事に断られた!!先方いわく、「様々な方々から計測の希望がでており、機器によって違ったデータがでたら混乱を招くから云々・・・・」まさに政府の、それも官僚の論法そのものだ!そこに見られる態度は全く事を荒立てたくないという保身のみ。幼児や乳児を思いやる態度がみじんも見られない。だったら混乱の起きないように代表して園や市がちゃんとした地表のレベルを計測すればよいのだが、それもまったく気配がない。ご存知のごとく文科省などの計測は地表18メートルなど問題にならない。(鳥の被曝を計っているのではないのだ!!) 現状は空間線量ではなく、地表線量が一番大切だということだ。幼児たちは毎日のように砂場におり、そしてその砂を口にいれたり、または砂をいじった手をなめているのだ。 それにもしも機器によって違う数値がでたのならば、高い数値に対応した処置をすればよい事なのだ。騒ぐ必要はない、恐ろしいのは、かえって何もしないという状況で、単に想像上の論議をすることではないだろうか。その具体的な行動を阻止しようとする国とは、市とは、そして園とは一体なんなのだろうか?
危機対応という言葉は日本人にはなじまないのかもしれない。そういえば話は古いが、江戸末期のペリー来日の際も、考慮すると約束をし、翌年彼が再来日するまで、一切の対処をせずにおり、結局再来日したペリーに場当たり的に開国を約束してしまったという事実もある。その後の歴史もまさに思考停止、現実逃避の連続のような気がする。
とにかく現実から目をそらすばかりだ。思うに子供を扱う仕事とは何だろうか?単に子供たちに微笑みかけて挨拶をし、一緒に歌を歌うなどということは誰でもできる事だ。(もちろんうまい下手はある。)しかし、こういった尋常でない状況下において、いかに想像力を働かし(目に見えない放射線量であり、その影響も長期的な観察が必要なものだからこそなおさら)、自分の思考能力で決断し(ご存知のように国はあてにならない)、そしてなによりも子供たちへの愛をその原動力とすることが本当の意味での子供と接する仕事のプロだと思う。自分の子どもたち、あるいは孫たちが放射線にまみれた砂場で砂いじりをし、それを口に入れている姿を想像できるだろうか?そしてこういった危惧も実際にレベルが計測できないでいるもどかしさから起こる事ではないのだろうか?もっと現実に科学的に対処してほしいと心から願っている。本当の愛情とは時として体制に反しても自分の考えを貫こうとする勇気なのだから。
明日カンジヤマは金沢へ向かいプロとしての仕事をしてきます。それは青少年、そして子どもたちに対する愛から始まると信じています。みな日本中が同じ誇りをもってプロの仕事をしてくださるよう心から願っています。

2011-06-07 11:19 | ひとりごと | コメント(6)

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