ん~~??おぼろ月夜?

鈴本演芸場4日目も物凄い入りでした。団体のお客様が大勢入られて立ち見の方がたくさん!!嬉しい事です。昨日はパートナーのCは朝から車で本日の公演地秋田県湯沢まで運転してくれたので私が一人で演芸場をこなしました。寄席が初めてのお客様が多いようでしたのでひと動きひと動きに物凄い反応。
汗を拭く暇もなく終演後上野駅でこまちに飛び乗り、一路秋田へ。雫石をすぎたころ窓の外は小雨が降り始め、湿ってかすんだ東北の山々の風景がそれはそれは美しかった!!なんとなく山頭火を口づさみたくなるような気分。しばらくするとその夜空にぼやけたまん丸い月が・・・・一瞬「おぼろ月夜」っと口から出そうになり、ふと考える。確か「おぼろ月夜」って春の季語だったような・・・・では、これをなんと表現するのか・・・とここまで考えた時にソシュールの主張する言語の恣意性というものをついつい考えてしまった。おぼろ月夜という言葉をしらなければ、この素敵な風景をそのまま自分の中に受け止められたのかもしれない。しかし、人は一度このような体験を形容する(区切る)記号(言語)を知ってしまうとついついそれに符号するものを探し出し、レーベリング(ラベル付け)をしたくなってしまうのだ。しかし、またこれはその文化の中のその特定の言語を操る人々の中ででしか通用しない事が多い。おぼろ月夜といってもそれは英語を使用する人々にはピントこないのだ。(つまり「もったいない」が英語にないのと同じ) 言語学者ソシュールは、言葉が存在して初めて、概念や事物が誕生するという。つまり私たちは使用する言語によって世界や自分自身の体験の区切り方が違ってくるのだ。ん~~~、言語を使わずに物事を考えるのは不可能なのか?? 
しかし、あえてより直接体験をしてみようと試みる。ぼ~~~っとかすんだまん丸い月を見つめてただその月と一つになって楽しもうとしてみた。言語がなければこんなに素敵な体験もありなんだ。言語の美しさにも心打たれるが、直接体験という事も現代人は必要なのではないだろうか。ただ見るものと一つになってそのものになりきる。そこには美しいも醜いもない、ただ、それがある。たしかに生易しい事ではないが、何気に心が癒される。この際おぼろ月夜はどうでもいい(苦笑)
さてさて今日25日はここ湯沢で高校の芸術鑑賞会。また若いエネルギーと対峙して沢山芸を楽しんでもらい、私たちも沢山エネルギーもらってこよう。

2010-08-25 06:07 | つれづれなるままに | コメント(2)

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