教会deマイム!?

このところキリスト教教会の関係のお仕事の依頼を頂くことがあるのだが、考えてみると本当に面白い因縁だと思う事がある。というのは、実はもともとマイム、いや演劇自体は歴史上キリスト教会からは真っ先に忌み嫌われたものだからだ。ローマ時代終盤にしても1642年のイギリスの清教徒革命にしてもキリスト教会が実権をにぎるとまずは禁止されるのは演劇的催し物だったようだ。そして演劇の中でも特にローマ、中世と嫌われたのがマイムやパントマイムであったようなのだ!!実は今教えているクラスの一つがその歴史なのだが、この身体芸の中身なり様子がなぜ記録として現存するかというと、実に面白いのだがこれが当時のキリスト教教会の聖職者達によるマイム、パントマイムへの非難、攻撃の文章の中からなのだ。つまり聖職者たちはその非難文の中で、マイム、パントマイム芸人がおこなったありとあらゆる行為を「神への冒涜」「神をおそれぬ破廉恥行為」と名指しで詳しく述べながら個々のマイムの内容記録に「貢献?!」してくれているのだ(苦笑)。もしこれらの批判的記録がなかったのなら現在私たちはマイムの詳細を知るすべはない(爆)。
とはいったものの、これまた面白いのが一旦は演劇的行為を一切否定し、禁止したはずのローマカトリック教会だったのだが、運命とは皮肉なもので、死に絶えたと思われた中世の演劇はなんとそのキリスト教の僧院内より復活したのだ!一説によるとイースターのミサの中に挿入されたトロープ(trope)と呼ばれる短い詩、あるいは音楽にQuem Quaeritis(汝、誰を探したもうのか?)というセリフがある。イエスの死後三人のマリアがイエスの墓を訪ねるのだが、そこに天使が現れ、マリアたちに発する台詞だ。マリア達が「ナザレのイエスの墓にきました」と告げると、天使は「イエスはもう墓にはいない。死から復活されたのだ。行って人々に告げよ」と言う。つまりこの短い言葉のやり取りがミサの途中でコーラスと僧の間で交わされるのだが、実はこれが演劇復活の最初のダイヤローグ(会話)になったとされるのだ。これに端を発して、次第に他の聖書にまつわる物語がやり取りされ、ついに僧院の中、そしてやがては教会内で一般大衆に向けて聖史劇、あるいは奇跡劇が頻繁に行われるようになる。
もっともこれはこれで非常に教育的な意義があったはずだ。つまり当時ラテン語で書かれていた聖書を読めるのは(能力的にも、権限的にも)聖職者のみであり、一般大衆が聖書の内容に触れるのはそれまでは説教、あるいは教会内の装飾品(絵画、あるいは彫刻)のみであったはずだ。ところがこれらの劇があまりにも大々的になり、しかも世俗化してくると教会はその世俗化、演劇による堕落をおそれ1240年にイノセント2世により教会内の演劇的行為を再び禁ずることになる。・・・・やはり演劇的行為への欲求、その劇的本能は全ての人々に普遍的に存在するという証ではないだろうか?
その教会に依頼されてマイムをしていると何故かこんな歴史的情景が頭をよぎってしまう。時代とは面白いものでそんな教会で信者の方々が今パントマイムを楽しんでいらっしゃる。まさにマイムは世につれ、世はマイムにつれ・・・・かな?(笑)

2010-04-30 07:37 | つれづれなるままに | コメント(2)

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