教会deマイム、その2

いつもコメントを下さる泥水さまがおっしゃっていらした事が非常に面白かったので今日はいっそその事にもう一度触れさせて頂きましょう。つまり、「原始的な宗教はハナから芸能的要素を含んでいた」という事です。
その前にまずはキリスト教の演劇禁止の裏側には、それぞれの時代に微妙にちがった事情があるのでしょうね。例えばローマ時代には演劇はギリシャほどではなくとも多分に異教徒のお祭りという位置づけがありました。ギリシャの演劇のもともとはディオニソスという(つまりローマのバッカス)収穫と葡萄酒の神を祭る収穫の宗教的催しという意味合いがありましたから一神教のキリスト教にとってはかなり異端的催しだったと思います。一神教とは歴史上いつも他の神を否定するところから始まりました。(ただし、現在のキリスト教は必ずしもこの範囲ではないという事も触れておきましょう)。ただし、そういうキリスト教ですら、無意識のうちに異教徒のお祭りを自らの祭日などと称して引き続き踏襲している場合が多々あります。(たとえばクリスマスなど)
それから演劇にはやはり人を楽しませる要素、魔法がふんだんに内包されているという事です。「酒のごとく人を酔わす」とは坪内逍遥が大正当時児童演劇に警告を発した時に用いた言葉でもあります。まさに当時のキリスト教の指導者たちみずからが「演劇的活動に酔いしれ」始め、徐々に教義以外の娯楽的要素をふんだんに取り入れ始めたそうです。これでは布教のためか果たして娯楽本意の為か微妙になってきます。ましてや一般の信者さんたちはさぞ楽しみにしていらしたのでしょうね、教義抜きでも(笑)
まあ、一番の原因はその演劇的内容も(特にローマ時代は)凄まじいものがあったようです。皇帝ネロなどの常軌を逸した言動を思い起こせば恐らく御想像はつくとおもいますが、とくに皇帝ヘリオガバリスの時などは大衆の面前で本物の男女の性行為を実演させてみたり、処刑のシーンに実際の死刑囚を利用したりと常識を逸脱した行動を続けていたといわれています。このようなことにまさに「火に油をそそぐ」ように、当時のパントマイムはキリスト教の教義やら儀式をあざけるような内容の劇を頻繁に行っていたようです。(といっても当時はかなりの数のパントマイム達が皇帝や貴族にやとわれていたらしいのですからそれは皇帝のキリスト教に対する態度を反映しているのかも知れませんー注:パントマイムはマイムとは違いますので・・・・ご注意を!!)
さてさて、というわけでギリシャにしても、はてまた日本の芸能にしてもまさに芸能的な要素をふんだんに含んでいました。例えば日本芸能の元は天照大神が弟スサノオのあまりのわんぱくぶりに怒り、天の岩戸にその身を隠した時に岩戸の前で裸踊りをしたといわれるアメノウズメがその芸能の神の始まりだと言われているのは御存知でしょう。まさに日本神話は芸能的な要素が沢山ふくまれています。このアメノウズメの裸おどりに、日本芸能の基本である「舞」の始まりを論じていたり、あるいは歌舞伎のエロティシズムの源を求めたりもしているようです。さらに、これはどのくらい信憑性があるのかわかりませんが、この岩戸の一件で、アメノウズメが滑稽な舞を披露し、他の神々が大笑いしたところで天照が岩戸を少し開いた瞬間にその照らす光でアメノウズメを含めた神々の顔、つまり面が光を受けて白く(この白いというのはハッキリとするという意味もあるようで)輝いたという所から「面白い」という言葉が由来しているとか。そして天照の眼が岩戸から覗いて目があらわれた事から「メデタイ」という源になったというのはある日本芸能研究しているアメリカの学者から教えてもらったことなのですが・・・・確認はしておりませんのであしからず・・・・・

2010-05-01 06:07 | つれづれなるままに | コメント(5)

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