古き良き時代へ古き良き友と

話は多少前後するが、28日は大学が終ってから浅草でウィスコンシン大学教授の友人デビッド古本と待ち合わせし、雨の中を吾妻橋より初めての屋形船にのった。日本人より、より日本人を愛し、より日本人っぽいハワイ出身の日系人デビッド古本。彼とは1982年自分が一時、数か月ハワイ大学の大学院で学んだ時以来30年近い友人である。ハワイ大に行ったのもかなり複雑な事情があった。当時1982年教育演劇では最高峰のプログラムを誇っていたワシントン大学の修士課程に合格し、渡米の支度をしている自分に思いがけない手紙が来た。当時のレーガン大統領の予算凍結のあおりをくらい、ワシントン大学の教育演劇コース自体が閉鎖されるという信じられない事態であった。その時期に及んで自分にとり選択肢は二つ、つまり浪人するか、あるいはまだ出願の時間が許されているハワイ大学へ行くかであった。自分はハワイ大をとりプログラムの内容もあまり把握しない状態でハワイ大学大学院の演劇学部へ一時的に入学した。そこで新学期が始まる前に友人に誘われるままに出席したのがこのデビッド古本の渡日パーティーであったのだ。そのパーティーでデビッドに紹介され、確か一度だけ握手を交わした・・・・たったそれだけの出会いであった。・・・ところがその半月後、自分の祖父が危篤に陥り、その上ハワイ大学のプログラムが人形劇中心に組まれている現状に満足がいかずに自分は結局一か月もしないうちにハワイを後に帰国する事になる。その時にデビッドの友人が、彼が日本へいった後にいろいろと苦労しているようなので助けてほしいと頼まれたという経過がある。帰国した自分はそこからデビッド古本といろいろと交際を始めることになる。翌年自分は母校ニューヨーク州立大学大学院へ奨学金をもらい渡米する事になるが、それまでの一年間、彼は国立劇場の養成科にて研修を積み、自分は日本にてマイムの修行をすることになる。ところが縁というものは面白いもので、その後18年後に自分は再び博士課程への挑戦を心にきめ、全米の教育演劇博士課程を持つ大学院を訪ね歩いて担当教授に面接をしてまわっている途中でウィスコンシン州マディソンに出向いた。そしてそこの担当教授と話しているうちにデビッドがウィスコンシンに前年に就任していることを聞き、その日のうちに15年ぶりの再会を果たしたのだ!!しかもその日が8月15日!!お盆なのである。(もっともこれを指摘したのも彼であったのだ)人の縁というものは不思議なものだ。そして今再び日本にて彼と再会し、こうして古き良き日本を分かち合っている。屋形船は雨でかすんだ隅田川をより情緒豊かなものに演出しながらお台場へと抜けレインボウブリッジをくぐる。古き良き東京と現代の東京を対象的に照らしながら航行していた。下船後は浅草名物神谷バーの電気ブランに半ば無理やりデビッドを誘い、二人で再開の喜びを語りあった。はじめての電気ブランでかなり酔いがまわってしまったのだ(苦笑) 有朋自遠方来 不亦楽・・・友遠方より来たる、また楽しからずや・・・・
(写真は屋形船からみた雨のレインボーブリッジと神谷バーの電気ブラン・・・明治の当初、珍しいものにはすべて電気~~と名付けていたそうなのだ)

2009-05-29 11:08 | つれづれなるままに | コメント(5)

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