岐阜県中津川から美濃太田へ

玉川大学の授業を終えて一目散で新横浜へ、のぞみにのって名古屋から中津川へ。先日公演した地でワークショップ!!子供たちにマイムで身体使って遊ぶ楽しさを知ってもらう目的でここのおやこ劇場の皆さんにお願いされた。その後、美濃太田へ移動し、今日の宿を取る。明日はここで公演なのだが、実は楽しみがある。ここ美濃太田はなんと彼の坪内逍遥の生誕の地なのだ!!美濃太田駅を降りるとまもなく逍遥の胸像が目にはいった。しかし、夜遅かったので、写真を撮るためにフラッシュをたくと、なんとなく胸像が異様に見えるのであきらめた。明日に期待をつなげよう。
坪内逍遥が生まれて確か10歳くらいまでこの地にいたと思う。その間実に大変な事が起きた。そう、大政奉還なのだ!!1859年生まれなので、9歳のときであるが、討幕運動は既に生まれたころからくすぶっており、4歳の時には本人の脳裏にも強く焼きついている経験をした。『逍遥選集』の記述によると、それは倒幕をめざした天狗党の大集団がこの地を通過するという情報が入ることから始まる。逍遥の父親は親幕派であるここ太田代官所の役人をしていたのだが、この集団とどのように対峙するかという決断にせまられたのだ。結局民の身を案じ、一行を静観するよう指示、無血通過の選択をする。4歳であった逍遥もその一行を息を飲みながら見送る群集の大人たちの中にに混じってたたずんでいたのだそうだが、突然逍遥の前のその一行から一人の武者が逍遥に近寄り、おもむろに「坊主えらくなれよ!」とその頭をなでたのだそうだ。晩年の回想で、逍遥はこの時の緊迫感をその幼少期の思い出として語っている。彼は実にこのころより思春期までの時期を歴史上まれなパラダイムシフト=価値観の変動の時代に生きた人物だった。寺子屋での四経五書の儒教的教えから、やがては兄の進めで成美という名古屋有数の英語学校に入り、やがて帝国大学へと進学してゆく。後のさまざまな改革運動の魂は若いころのこんな環境によって培われたのかもしれない。ちなみに大政奉還の後逍遥一家は名古屋に移住することになる。
明日は可児工業高校の芸術鑑賞会!!高校生に思いっきり自分のマイムをぶつけてみたい。
彼らの発想力、創造力の糧になることを念じつつ・・・

2008-07-16 12:32 | ひとりごと | コメント(4)

志賀高原の星空

土曜日、日曜日と志賀高原に行ってきた。といっても遊びでないのが残念!!久しぶりの志賀高原なのだが、なかなか高原をお散歩というわけには行かない。そんな中、夜中にふと外にでて見上げると満天の星空!!この何年かこうして夜空の星々を眺めるなどという心の余裕も無かったし、またそんな環境にもいなかったような気がした。会議にでていた仲間と何人かで地べたに仰向けに寝転んでしばしの間、流れ星を満喫した。自然と口をついて出てくるこの世の不思議さ・・・この何年か味わっていなかった人間存在の根本的なミステリーに心を委ねた。いつか絶対に死ぬよな!どこへ行くんだろうか?どこから来たのだろう?そんなたわいの無いつぶやきが誰からともなく始まる。大いなるものに接したとき、自分の存在の卑小さに感じ入る。こんな一瞬が命を浄化してくれるような気がする。別に何時間もいなくてもいい、この瞬間に生きているという実感を肌で感じる。
翌朝は朝食の後のほんのひと時を白樺の林を散策した。スリランカの上座部仏教の僧たちがよくしている歩きながらする瞑想法を思い出した。ラベリングといって、歩く動作一つ一つを意識しながら行為を名づけて声にだして呼びつつその行為に今の全意識を集中させる。しばらくすると雑音やら妄想が頭の中に忍び込もうとしてくる。「あっ、ブログの写真撮らねば!!」「今日の帰りの新幹線何時だったかな?」「えっと、論文のスピーチ原稿は?!」・・・おいおい、なんだよ?この妄想たちは!?まるで親しい親友のように自分にそっと忍び込んでは意識を奪ってゆく。・・・そこでまた今行っている動作の名前を口にしながら、それに意識を集中するのだ。つまり今、この瞬間に生きる練習。・・・昔はよくしていたのだが、最近めったにしなくなった。自然の中でも都会でもできなくてはならないのだが、このぐうたらな凡夫はどうしてもこのような美しい自然が後押ししてくれなくてはできない。空気は綺麗だし、気温は穏やかで涼しいし、こんな中でいつも瞑想できたらもう悟りは間違いなし!!などと贅沢を求めるというところがすでに修行が足りないのかもしれない(苦笑)ちなみに、この写真は妄想君のリクエストで後で撮りました(爆)

2008-07-13 06:39 | つれづれなるままに | コメント(4)

「子ども」について考える

昨日は朝六時松山駅発のしおかぜ6号にゆられながら駅弁を食べ、そして久し振りに瀬戸大橋を列車で渡り、9時14分岡山発ののぞみ号で一路名古屋へ移動、そこからここ、尾張一宮へきた。なんだか最近、全国天気予報を見ていて自分がどこにいるのか戸惑うことがある(苦笑)
ホテルの部屋にこもりながら深夜の空いた時間に大学の期末試験を作成している。(ちなみにここ一宮の付近の喫茶店は実に健全で?!10時にはみな閉店してしまった。本当は穴埋め問題、しかもマルチプルチョイス(選択問題形式)でパッパッパ~と採点できるようにしたいのだが、それでは学生の実力がつかない。しかも今回は試験直後の渡米、論文発表があるので、飛行機の中の採点になる。きつい~(涙)
最近様々な会議に出席し、ことに感じるのは子供とは?という問いが盛んに議論の合間にあがってくる事だ。子供もに何を見せたらよいのか?子供用になにを?それとも子供用などない?果たして、そもそも子供とはなにか?やはり避けては通れないのがフィリップ・アリエスというフランスの中世研究家が1960年にだした「子供の誕生」(正確にはアンシァン・レジーム期の子供と家族生活)という本である。つまり大雑把に言うと、中世までは子供という概念が存在しなかったと言う事である。子供は「小さな大人」であり、労働力の一旦を担っていたのだ。アルコールも許され、大人と同じ扱いを受けた。(いやもっと正確にいうと、それができる7~8歳までに生き残ればの話だ。)それがさまざまな技術(特に印刷技術など)の発達により、文字による知識の伝承が主流になり、文字を操る大人が文字を習得しなくてはならない子供を管理するようになる。そしてそれが時代を経て、ロマン主義とともに「子供の存在」が純粋で、無垢であるという神話が創造されるようになったのだ。日本でも大正新教育の時代にはこういった概念が社会に普及し、無垢な子供を扱った児童劇、児童文学がさかんに作られるようになる。
しかし、今現在この神話は妥当だろうか?いや、子供というある時期に作られた概念はいまだに機能しているのだろうか?つくづく考えてしまう。なぜなら一般世間を見渡しても、今の情報は大人の優位性を今まで維持してきた文字的な継承が比較的すくなくなり、もっぱら映像、音楽、そしてビジュアル的なもの(漫画、アニメ)に移行しつつあるような気がする。文字にしても電子機器、つまりコンピュータなどを介した以前とは違う形態で行われている。そしてそれらのミディアム(手段)においては若者のほうが、つまり子供のほうが敏感で先取りが得意である。そうして、そろそろこういったビジュアル、電子系に馴染みながら育った「子供達」が今「大人」の世代になり、振り返ってみると子供という領域と大人という領域の境界線が多分にぶれてきている。
実際にこうした現象は身近に非常によく見られる。映画などもヒットするのは大人向けとも子供向けともいえない、よく言えば両方にアピールしているもの。宮崎アニメはその典型だ。一昔前の大人の恋愛などを扱った映画は今はあまりヒットしないようだ。そしてゲームにいたっては大人も子供も同じものを扱って楽しんでいる。いや、共有しながら楽しんでいる。漫画だってもう大人、子供の境界線はない。ファッションをみてみよう。子供のファッションは今「小さな大人」の為のブランド商品が目白押しだ。逆に大人のファッションが「子供化」している状況もある。
産業革命などから作られた時間的、金銭的「余裕」は一時子供という存在を確立し、学校という組織で子供を取り締まってきた。そして彼らに「子供らしい振る舞いや、子供らしい遊具」を作り上げてきたが、今の経済的な余裕は逆に「子供」を大人に仕立て上げる方向に進んでいるような気がする。先ほど触れた子供のファッションをはじめ、テレビのアイドルを見てみよう。中心になっているのは子供じゃなかろうか?子供が大人の振りをするのを楽しむ時代。大人が子供の振りをする時代。こんな流れの中で、果たして「子供」という概念は徐々に消えていくのだろうか。だとしたら今考えねばならない大切な事ってなんだろうか?
おいおい、今こんな事している余裕ないだろ?!論文発表まであと・・・・やばい、約二週間じゃ!(涙)
(写真はうちの小さな大人!?)

2008-07-10 03:08 | ひとりごと | コメント(2)