驚いた!!


最近旅先にて沖縄関係の本をかなり読みこんでいる内に驚愕の事実に触れた。江戸時代末期に浦賀に訪れたペリーが、実は浦賀に来る前に琉球を訪れ、上陸し、奥地まで探索、測量し、その水源や水質を調査していたというのだ、さらに驚くことはその時の調査資料が太平洋戦争末期に米軍が沖縄上陸の際の参考資料として使われていたと言う事!!米軍が上陸地に嘉手納を選んだのは今まで推測されてきた様々な理由(海岸の上陸のしやすさ、飛行場の存在)の他にも、その水源と水質もあるというのだ。軍隊を置き、軍艦や飛行機、多くの兵士達の為には大量の良質な水が必要なのだ。(『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』より)

つくづく西洋の調査、記録に対する習性というか執着のようなものに圧倒された。またそれを使用し、分析、応用する力にもだ。思えば第二次大戦中に敵国の言葉として英語をすべて禁止し、場当たり的な戦術しか持たなかった日本(大本営)と比べて、敵国の日本を徹底的に分析したルーズベネディクトの『菊と刀』にも、アリューシャン列島で捕獲されたゼロ戦を徹底的に分解、分析したその力量にも完全に日本は負けていた。(もちろん相手国の暗号文の徹底的な解析も含めてだ)。

勿論その分析力がいつも功をなすとは限らない、しかし、少なくとも第二次大戦においては情報量とその分析力の前に日本は既に開戦以前から劣っていたのだ。ひるがえって今現在を考えるとき、現在の日本の大学の教育にしても、双方のアカデミアを長年経験した自分としては本当にものすごい差を感じる。論文のリサーチ方法、書き方、その正確な引用方法などの詳細にわたる大学レベルでの教育には日米には今現在もかなりの差があるような気がする。今文科省が文系を無駄なものとして割愛しようとしているが、未だにこの調査方法、分析に対する評価が低いのに悲しみを覚えるのは自分だけだろうか。調査、分析な理系だけのものではない、いやかえって文系のような数値だけでは表せないものにこそ、こういったリサーチのメソドロジーは開発、応用されなくてはならないものなのではないかと思う。情報にしても、芸術にしても形のないものにその価値をなかなか認めようとしないのは現在もこの国の悲劇だと思う。

さてさて、一連の石川県かの高等学校公演が大成功に終わり、明日から青森です。まるでトラックの運転手のような毎日です。青森は藤崎町の皆さん、待っててくださいね。(写真は喜屋武岬にて)

2015-07-15 12:03 | つれづれなるままに | コメント

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