永六輔師匠

先ほど、TBSから帰宅。ラジオ「永六輔、その新世界」で久しぶりに永さんにお会いした。いつもながら打ち合わせ無しの本番に挑んだ。直前に永さんから、飛び入りで、加藤登紀子さんと医師・鎌田實さんとの福島への思いを綴ったCDと詩を流すのでそれとカンジヤマとを何とかつなげようと、言われた。(http://jcf.ne.jp/)このような本番直前の即興は永さんとお仕事をするたびに課せられたお陰で、こういう即興をいつの間にか楽しめるようになった。これも永さんのお陰だとつくづく感謝。
本番のラジオブースに入って、鎌田先生の福島への詩を初めて聞いた瞬間、自分の頭をよぎったのは、やはり先日の野田首相の原発再稼働への無責任な発言だった。「自分の責任において」という余りにも軽い言葉だった。一体どんな責任をとるのだろうか。そして福一の責任は一体だれが取ったというのだろうか。やはり、今の政治家は国民の気持ちを本当にはわかろうとしていない。口先だけの同情とお情け。これが今を生きる子ども達の手本になるかと思うとぞっとする。そこで敢えてsympathy とempathyという言葉を持ち出して、この二つの違いを敢て説明させて頂いた。sympathyが頭で思う同情、憐れみだとしたら、empathy はそれに対して体で感じ、共感する事。つまり相手の痛みを自分のものとして共感する事なのだ。ダニエル・ゴールマン著の『EQ心の知能指数』に於いて紹介されている事だが、イェール大学心理学教授のピーター・サロヴェイは分類する5つの人格的知性の中にこのempathyという言葉を掲げ、他人の気持ちを共感する事が如何に大切な知性であるのかを述べている。
このempathyが今の政治家に一番欠けている事。このエンパシー、つまり体感し、学ぶという目的で行われるのが教育演劇なのだ。若者や子供達には今のこの浅はかな政治家たちを反面教師とし、マイム、演劇を通じて人の心、気持ちを頭ではなく、身体で理解し、感じてほしいのだ。福島の人々の気持ちを本当にわかろうとするには時間がかかる。そしてその為に首相は一体どのくらい福島をおとずれたのだろうか。
話をしている時の永さんの優しさは本当に心に沁みてきた。自分はこの師匠の話芸に心底憧れてきた。それをマイム芸と融合する、これも自分のライフワークの一つなのだ。

2012-06-09 07:29 | つれづれなるままに | コメント(4)

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