大分にて

大分に行ってきた。大阪南港まで車で走り、そしてフェリーで別府港へ。久しぶりの別府港は様変わりしていた。前回自分がこの港に上陸したのはおそらく15年以上前だったろう。当時は早朝フェリーで上陸しても食事を取る場所はわずかに一件joyfulというファミレスが道の途中にあるのみであったのだが、今回はそこいら中にコンビニやらファストフードの店が立ち並んでいた。 (先月もここ大分の高校で公演したのだが、その時は自分は飛行機で当日入りした) 湯けむりがモクモクと立ち上がる温泉街は相変わらずの旅情をかきたててくれる。以前大分を旅した際は周辺の地獄めぐりをしてはそこいら中の温泉に浸かったものだ。
さてさて、今回は日田市にある仏教系の高等学校での公演だった。まず学校にはいって気づいたのが生徒さんたちの礼儀の良さ。ひとりひとりが挨拶をしっかりしてくれる。実に気持ちよかった。職員室に入ると衣姿の僧侶の方がいらっしゃることにまた新鮮な驚き。そんな素直な若者たちに舞台が盛り上がった。終演後も何人もの生徒さんたちが話しかけて来ては色々みせてくれとせがんでくる。汗びっしょりで撤収しながらもそんな楽しい一時を味わう。戦時中の国家神道などの影響で宗教を恐れ、宗教を教育理念から極力排除し、忘れた日本は教育が廃れている。正しい宗教教育は教育の基礎を作ると思う、たとえ万が一その子が将来違う宗教を選んだとしてもだ。
撤収後、間もなく学校を後にして、スタッフ一同と港近くの食料品店に駆け込み野菜やお米を買いあさった。九州産の野菜は今大変貴重だ。原発事故は今だまったく収束してはおらず、時折セシウムの風が確実に東京に吹いている。幼い子供たちには絶対に被爆の可能性のあるものは口にして欲しくない。先日明治の粉ミルクにもセシウムが検出されたという。そして今だ牛乳会社は一社として自らの放射能検査の結果を発表していないのだ。そして今日もまた東電が汚染水を海に放出する予定だという。なにか狂っている。まともではない。やはり教育からすっかり宗教を排除してしまった日本の教育の歪みの結果なのではないかとも思う。国がこういった隠蔽体質で塗り固められた一企業にこの問題をすべて丸なげしていること自体も異常な状態だと思う

2011-12-08 05:00 | ひとりごと | コメント(3)

大分にて への3件のコメント

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