決断できない日本‐なぜ誰も裁かれないのか?

本日発売の文春新書、『決断できない日本』を読んだ。著者は『沖縄はゆすりの名人』との発言報道に国務省日本部長の座を更迭されたケビン・メア氏。あの事件で彼がその座を退いたのが3月10日、震災の前日だったとはその後の混乱ですっかり忘れてしまっていた。著書のおおよその部分はメア氏自身と日米を巡る沖縄問題について書かれているが、その第一章は「トモダチ作戦の舞台裏」と題されており、震災、および原発を巡る一連の事件をアメリカ側からの視点で綴っている。その視点に興味をもってこの本を読み始めたのだが、驚愕の事実が綴られていた。相変わらずの日本政府および官僚達の無能ぶりと機転のきかないおざなりな態度に無性に腹が立った。
例えば原発直後に米国は支援の為の提供可能なアイテムのリストを日本政府に提示したそうだ。そこには無人ヘリなどの原発対応に欠かせない品目が沢山書かれていた。ところが、このリストに2週間もたってから後に返ってきた官僚の返事が「もしも無人ヘリが放射能汚染などに遭遇した場合の補償をどうしたら良いのか」などという枝葉末節な質問の羅列だったという。自国民の命が危険にさらされている時に、補償の額などを気にかけている態度に、その他人事のような怠慢さを感じるのは自分だけだろうか?もしも我が子が死にそうな時に、愛するその親達はこういった態度をしめすだろうか?(だったら普段何の役にもたっていない自衛隊の戦闘機に何十億もかけるなよ!) もっともこの他にも、例えば海外から支給されたガイガーカウンターが国民に渡されずに何千台も倉庫に保管されたままだったという事実もネットで報道されていたのは周知の事実だが。一事が万事。まったくもって何の為に働いているのかわからない人々が官僚に多い。
またこの今回の原発事故を何年もさかのぼる過去に、ブッシュ政権が9.11後のテロ対策として原発へのテロ攻撃を研究していた際に、同盟国日本の余りに手薄な原発警備に驚いた米国が、日本の警備要員の武装の必要性を説いた際の日本政府の返事が、全く必要がないとの事だったらしい。いわく、「なぜなら銃の所持は法律違反になるからです」と・・・この回答に米国要人達は、これが果たしてジョークなのかと困惑したそうだ。
これら理解に苦しむ一連の日本政府の対応に関連して、過去の驚くべき事実も語られていた。例の御巣鷹山のJAL墜落事故の事。墜落が午後7時前後という事で、現場が暗くなる時間である上に、鬱蒼とした御巣鷹に着陸可能な部隊は日本の自衛隊には無かったそうだ。そこで米軍から日本政府に横田基地にある夜間捜索可能な部隊を至急派遣するオファーをした所、それが日本政府によってあっさり断られたという事実。当時数少ない生存者の証言で、墜落直後はかなりの生存者がいた事は新聞その他でも報道されていたのは自分も記憶している。つまり日本政府は自国民を見殺しにしたのだ。これが犯罪でなくてなんであろうか。私がもしも犠牲者の遺族であったなら、当時の政府のこの返答の責任者を訴えるだろう。
過去にどれだけこういった怠慢、おざなりの無責任な対応が政治家、官僚によってとられてきた事か、そしてその大勢の無責任な言動の為にどれだけの命が奪われ、その裁きがなされてきただろうか?まずはこの根幹から問い直さなければこの国の将来は無いように思う。今回の泊原発にしても、まったく福島の反省がされないままに惰性と共に再開(もっとも今までもフル稼働していたらしいが)されてしまった。この責任の所在は?責任を問わずに、反省なしになぜこの国は暴走を続けるのだろうか?そろそろこんなメチャクチャに終止符を打つべきではないだろうか。

2011-08-19 08:55 | ひとりごと | コメント(1)

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